い草道

昨日は、聴福庵にて畳づくりを畳職人と一緒に行いました。私たちが手伝ったのはほんの少しでしたが、い草の表を藁のクッションの上に敷きそれを加工し糸で縫い上げていきます。い草のいい香りがする中で、一つ一つの畳を丁寧に手作業で創り上げていくプロセスを一緒にすることで畳の持つ魅力となぜこれが日本文化とつながっているのかを再認識することができました。

また今回は、熊本の八代からい草の生産ではとても有名な草野さんご夫妻に来ていただきイグサのことや育て方、その生き方までお話をお聴きするご縁をいただきました。

聴福庵に導入されたい草の畳は丈夫で艶のある品種のい草「せとなみ」「涼風」の中から厳選され選り抜かれたい草のみで織り上げたものです。その風合いはまるで美しい草原が和室に入っているようなもので、その上に座りじっと佇んでいるとうっとりします。時間が経てば経つほどに好い飴色の雰囲気を醸し出すこの畳は私たちの暮らしにとても大きな豊かさを引き立ててくれます。

まず草野さんは「畳は工業品ではない、農産物です」という言葉からはじまり、「生物として生きているからこそ「いのち」を扱っていることを大切にしている。いのちがあるからこそ、畳の色も香りも変化してくる。喋らないから生きていないのではなく、植物も生きているということを忘れてはいけない」と仰いました。

私がお話の中で特に感動したのは、「自然の恵みを受ける農業は、自然から授かるのだからもっとも神聖なお仕事です」という言葉です。また続いて「自然は素直で必ず自分がやったことがそのまま帰ってくる。だからこそ素直な心で自然と向き合っていかないといけません。」

私も自然農を実践して6年目になりましたが、ここにも自然に寄り添い自然の道に学ぶ人がいて、草野さんから醸し出す雰囲気はとても謙虚さに溢れ優しく日本人らしい懐かしい精神を感じました。私が尊敬している自然人はみんな、同様に自然の畏敬を忘れずに自分自身を変え続けている人です。そして自然の御蔭様に感謝して楽しみ喜びの中で暮らしている人々です。

かつての日本人はみんなこのように優しくて素直な雰囲気を持っていたように思います。風土が育てた純粋な日本人はみな、このような無垢な自然体を持っていたように思います。今ではその日本の風土と異なった人間都合の生活の中で風土に合わせた生き方をする人たちがいなくなってきています。

草野さんは「自分がい草に寄り添いながら生きてそれを喜びにすることでい草を使ってくださる方の喜びをつくり、そして竟には社會の喜びにしていく」といいました。それを「共存共栄」と定義してその生き方が草野さんの理念になっていました。そのために「本物の製品をつくり続ける努力を怠らない」といいました。これは単にものづくりにおける精神ではなく、真摯に真心を込めて生き切る生きざまと生き方を感じてそういう方の畳とのご縁をいただき尊いご縁に有難い気持ちになりました。

そしてこれは私のこだわりではなく、当たり前であることと仰る姿に草野さんの道楽の境地を感じて私も精進していきたいと改めて学び直しました。

最後に草野さんの言葉です。

「子どもや孫たちにしてほしいことをやっているだけす。そうして自分たちが真から楽しく、喜びの真ん中にいればいい。よい思いは周りも変わっていくのだから。またこれは自分の生き方だから、それを子孫へ押し付けるつもりもない。どんな時も自分がどうありたいかが大事、まずは、自分の心が素直で真摯かどうか。それがすべて。そうはいっても自分の中に反発心とかもあるけれど、それでもやりきることが大切。イグサとも、そういうことをやっている。そして私の楽しくは、泣いても苦しくても楽しい。面白くで楽しいではなく、そういう思いでやっているのです。」

ここに私は「い草道」を感じました。

道を歩む先覚者たちの言霊はみんな同じ響きを持っています。有難いご縁に感謝し、このご縁を活かせるよう子どもたちにこの出会いを還元していけるように引き続き心の在り様を見つめて伝道していきたいと思います。