今週はずっと仲間と一緒に聴福庵で過ごしましたが、家も心も温まる素敵な暮らしをたくさん実践することができました。餅つきにはじまり、家の修繕、掃除、また明障子の張り替え、畳づくり、そのどれも貴重な暮らしの体験をすることができました。
実際に暮らしを体験していると、暮らしの合間に仕事をしている感覚がよくわかってきます。都会では暮らしそのものがなくなり仕事漬けになっていますが、本来は暮らしがあって仕事があるのです。それもまた今ではわからないくらい都会は便利で全てが揃っていてお金さえあればほとんどのことができるような環境になっています。
便利さというのは、かえって暮らしを遠ざけていきます。例えば、漆器や陶器など昔から大切にしてきたものを使えば食後すぐに洗って拭いて乾かすという行為がいります。しかし紙コップや使い捨てのものを使えばゴミにしてしまえばその労力は必要ありません。簡単便利の方を優先するのは楽ですが、その時大切な暮らしが失われていきます。
暮らしの中には、すべて感謝する機会があります。感謝する心や恩返ししたいという気持ち、御蔭様を感じる精神はこの日々の暮らしの実践の中に存在します。私たちは暮らしを通して感謝を学び、暮らしを通して生き方を直してきました。自分の我慾に打ち克ち、いつも平常心で本質からブレナイ生き方ができたのも暮らしがあったからです。
人間は人間の都合を優先すればするほどに暮らしと感謝する機会が失われます。そして同時に心の豊かさというものも消失していくのです。物が溢れ成功したけれど豊かさがなくなってきたという人は沢山増えてきた今の時代。なぜそうなったのかを突き詰めてみるとそこに「暮らし」が関係しているのは自明の理です。
私たちは物質的なものを有り余るほど増やしそれが自由に搾取できれば豊かさであると刷り込まれていますが、その豊かさは本来の豊かさの本質とは意味が異なっています。物が豊富にあれば豊かなのではなく、暮らしがあるから豊かなのです。暮らしが優先されていく中に、そこに暮らしを彩る道具も物も人もあればそれは感謝に包まれる幸福な日々が訪れる、その豊かさが本物の豊かさなのです。
国が富むというのは、自国を成功させようと必死になることも短期的には必要ですし確かに結果も大事です。しかし長期的に観れば同時に人間はただ生きながらえる生物ではなく、そのプロセスの思い出や体験こそが人生の生きがいと喜びになりますからそれを大事に積み重ねていくことで唯一無二の自分の人生を謳歌できますし国もまたその人材たちによって真に豊かに発展していきます。
私たちのやっている古民家甦生は暮らしの甦生です。
引き続き子どもたちのためにも、自分たちが実践して先祖の暮らしから気づいたことを伝承していきたいと思います。