地縁血縁

昨日、親戚の集まりがあり父親の兄弟とその子どもたちや孫たちと一緒に会食を行いました。一時期は途絶えていましたが数年前より父親の声掛けで正月に集まって食事会をすることになりました。私の幼いころは、よく祖父の家で正月に集まり賑やかに朝から夜まで歌ったり飲んだりと大人たちが騒いでいたのを思い出します。

最近ではその親戚の集まりが嫌だからとその関係も変わってきています。確かに個々のプライベートが尊重され過ぎればわざわざなぜ集まるのかと疑問に思うのかもしれません。

私たちが言う親戚とは血縁関係ある人たちのことを言います。この血縁とは何か、念のためウィキペディア百科事典によれば「血縁(けつえん)とは、共通の祖先を有している関係、あるいは有しているものと信じられている関係を指す。」とあります。

そういう意味では先祖が同じである日本人同士もまた血縁だとも言います。さらにこう書かれています。「中世以前の社会や、開発途上国では、社会で重要な位置を占める。子供・老人・病人・障害者がいる場合にも、国家に福祉政策の観点がないからである。必要性から、このような社会では血縁を拡大解釈し、濃密な関係を維持しようとする(大家族主義)が、先進国(特に新中間層の核家族生活者)では必要性が少なく、プライバシーに干渉されることを嫌う傾向が強いため、縮小解釈して淡白な関係に留めようとする。」

今では変わってきたかもしれませんが20年前に中国で仕事をしていた時に中国人たちが血筋を辿って縁者と結び合うことを重んじていることを学んだことがあります。中国人にとっては血縁関係や地縁関係は伝統的な儒教文化の倫理基盤になっていて一番信頼できる人的なネットワークになっていました。言い換えれば逆に血のつながっていない他人はいつでも裏切られる位置に据える存在で、警戒すべき対象となっているとも言えます。

ここまでなくてもこの血縁というのは助け合いをしていくときの道徳的理由になっていたのでしょう。日本も中国とまではなくても親戚が集まる伝統がまだまだ残っている国です。ウィキペディアには地縁についてはこう説明書きがあります。

「日本においては、中世武家社会の成立とともに血縁よりも地縁を優先するような社会が形成された。氏族の名は、血縁関係を意味する「姓」ではなく、多くは地名に由来する「苗字」を通称するようになり、地縁の中心として村々には鎮守が設けられ、各地で祭典がおこなわれるようになっていった。「遠い親戚よりも近くの他人」の言葉もあり、日本は世界的にみれば地縁的要素の濃厚な社会といえる。」

鎮守とは、地域の氏神様、土地神様、その地域の神社のことを指します。つまりはこの地域のつながり、地域で助け合う人たちの集まりを神社を中心にして関係を結んだのです。

親戚の集まりと同じように、その土地で暮らす人たちの集まりを実施することでお互いの繋がりや関係性を確認したのが以前の私たちの伝統だったのでしょう。

福祉国家ができて、国家とのつながりが優先され国家と個という結びつきの中では親戚の集まりも地域での集まりもまた必要がなくなってきたということでしょう。かつてあったものが近代国家の形成と共になくなってきていますが、そのために血縁関係と地縁関係が薄れてしまい本当に個々がバラバラになってしまったようにも感じます。税金を支払っていれば自分が国家において保障されるというのはこの血縁と地縁を勘違いしてしまうのかもしれません。

本来は何のためにつながっていたか、それは日ごろの御恩に感謝しつつ助け合いお互い様お蔭様を確認したものもあったのでしょう。公民館も自治会も活動が途絶えて、より田舎にも都市化の波は押し寄せてきています。この時代、改めて関係を再構築し結び直す意味や方法を刷新していく必要を感じます。

今年は地縁血縁を見直し、かつての家という概念を復古創新してみたいと思います。