本物の佇まい

本物には本物だけが持つ佇まいというものがあります。例えば、自然物でそのいのちが壊れないように丁寧に丹精を籠めたものはそれを手に持つと独特の佇まいが出てきます。他にも、神社仏閣であっても古来からの技術や祭祀をそのままに守り徹底して厳修されているものにもまた独自の佇まいが出てきます。

この本物が持つ佇まいとは何かということです。

例えば物事には本質というものがあります。何のためにそれをするのか、なんでそうなるのかということを透徹するまで磨き上げその本質に辿り着くとします。それを守るためにありとあらゆる手間暇と真心を込めていくと自然にあったかのような雰囲気が出てきます。そこに人工的なものがなく、まるで自然のものになるのです。言い換えるのなら無心であるそのものが顕れます。

こういうものは我が入っておらず本質そのものになっています。本物というものはこういう佇まいを放つのです。つまりは本質や本物には人間の我や慾をどれだけそぎ落とされたものであるか、どれだけ純粋であるかということと同じであるのです。

人は知識を持てば、その知識によってある程度のところを狙っては妥協していくものです。もしくは自分のことを中心にその知識や認識で考えているうちに自然から遠ざかってしまうものです。自然とは何かすらわからない状態では、本物が何かも分からないのです。

自然物というものは誰がつくったのか、それは自然にできたものです。誰かがではなく、自然の御蔭で出来上がっているのです。そういう御蔭様をもって自然に本物は顕現します。

自然の力を引き出すのも、自分の持ち味を引き出すのも、その中心には何のためという本質に由ることが本物であることです。本物の佇まいとはつまり自然体であるということです。

引き続き、自然と本物を深めて近づいていきたいと思います。