人は失敗をすることで成長していきます。成功か失敗かの二元論で育ってきてしまうと極度に失敗しないでいよう、優等生であろうとするものです。特に失敗をキャリアに傷がついたと思っている人は、結局は何もしようとはしなかった人ということになります。
失敗の御蔭で人は自分の間違いに気づけます。本来は失敗か成功かではなく、その後の方が大切だということです。ある人は失敗してもそこから学び、それを糧に次の挑戦に活かす人がいます。またある人は成功してもそこに奢らずに謙虚に成功が失敗ではなかったかと自分を戒め一つ一つを大切に積み上げていく人もいます。
また反対に、失敗をしなかったり、成功したらそれっきりになったり、それが本当の意味の失敗であることには気づかずにいつまでも変わらない人もいます。変化というものは、学び続ける姿勢であることでありそれは失敗か成功かに一喜一憂するようなことではないのです。
新しいことに挑戦するのは確かに不安ですし時折怪我をするものです。しかし何度か繰り返しているうちに「コツ」が次第に掴めてくるものです。それと同時に、自分の何が間違ったのかという自分自身にある癖に気づけるのです。例えば、事前準備をいい加減に済ませてあとからそれを修正するのに時間がかかる癖があるとか、集中力が途切れるとすぐに雑になってしまう癖とか、失敗を通して自分の至らなさに気づけるものです。また同時に失敗から立ち上がることで、自分の中にある信念や奥行きに気づき、自分にはこんなに諦めない癖があったのかと感心したりもします。
つまり人間はみんな、この失敗と成功の体験を通して学ぶのです。学ばないことがもっとも勿体ないことであり、それは失敗も成功もせずに無難に何もしないでいることのようにも思います。
考えて何もしないよりは、実行してみて考える方が学びが深くなりますしその方がワクワクドキドキと心が動き続けます。この逆にある格言に「失敗する人には二種類ある。考えたけれども実践しなかった人と、実践したけど考えなかった人だ」とあります。どちらも失敗なのは、学ばなかったということでしょう。
失敗は何か大きな出来事によって決まるのではなく、日々を学ぼうとしないことによってすり寄ってくるように思います。学ばない日はすでに失敗だとしたら、何もしない何も考えない日こそ失敗であったとも言えます。
成功や失敗の二元論ではない成功とは、日々に学び続ける積極的人生を送るということです。それは失敗を恐れずに挑戦するということです。そして挑戦とは失敗した後にやってくるものですから挑戦し続けるというのは失敗し続けるということです。
最後に本田宗一郎の言葉です。
「私がやった仕事で本当に成功したものは、全体のわずか1%にすぎないということも言っておきたい。99%は失敗の連続であった。そして、その実を結んだ1%の成功が現在の私である。私の現在が成功というのなら、私の過去はみんな失敗が土台作りをしていることになる。私の仕事は失敗の連続であった。」
「失敗もせず問題を解決した人と、十回失敗した人の時間が同じなら、十回失敗した人をとる。同じ時間なら、失敗した方が苦しんでいる。それが知らずして根性になり、人生の飛躍の土台になる。」
失敗の中に真の価値があると、この失敗しないことを畏れようとする心が人を積極的に甦らせ活きらせるように私は思います。子どもたちのためにも失敗から学ぶ姿を示していきたいと思います。