郷里の歴史を紐解いていくと、今まで何が行われて今の郷里になっているのかを実感します。自分の居るところのルーツや出来事を学び直すことは自分が形成されてきた土地のことを知ることであり大切です。
時代時代にどのように暮らしてきたか、時には平和、時には戦争に巻き込まれたりと変化の中でも今につながるまでに多くの人たちのドラマがあります。そのドラマは私たちが知らないところで日々につくられ続けています。そのドラマが引き継がれ今の自分たちがドラマの続きをつくっています。
そのドラマはその時代の人たちがドラマを創りましたが、今の時代のドラマは私たちが創るドラマです。筋書きがある中での物語を演じる主人公はそれぞれの人です。そのそれぞれの人が合わさってはじめて筋書きがないドラマが生まれます。
歴史を見つめていると、どのようにその時代を生きたか、その人の逞しく勇猛な人のドラマには心揺さぶられます。郷里には炭鉱王の伊藤伝右衛門がいますが、一代で栄枯盛衰、時代に翻弄されながらも自分を盡した人の生きざまがあちこちに残存しています。
史跡や建物はもう色褪せていますが、どのような生き方をしたのかは口伝や功績によって後から伝わってきます。世間が知っているものがあれば、その人の周辺で親しい人たちしか知らないことがあります。しかしどんな人生の脚本を書き、どのように人生を演じるかはその人次第ですから本人のみがドラマの真実を知っています。
どのようなドラマを創造するかは、先人たちのドラマの生きざまを参考にしていくのです。自分にしかないドラマは、自分自身がどう感じて意味付けをするかによります。意味を紡ぐとき、色褪せていたドラマが生々しく鮮やかに甦生するのです。
ドラマは主体的に真摯に自分のいのちを燃やし尽くして人たちによって常に甦り続けて今を意味づけます。日々はドラマですから、そのドラマを無二の仲間たちと一緒にどのように演じているか、ただ流されて終わりを迎えることがないように明るく楽しい心で深い意味を味わいながら歩んでいきたいと思います。