人間は困難によって魂が磨かれるものです。自分の思い通りにならないことは自分を磨く試金石だとも言えます。自分の魂を何を持って磨くか、そこに自分の志や初心があります。魂を磨くというのは、人生の意味そのものですから誰もが磨く機会、試練をいただけます。その試練と苦労がその人の魂を育て光らせていくように思います。
以前、ある人に私たちの会社のことを「魂を磨く会社だ」と言われたことがあります。今の時代は、心とか精神とか肉体とかはあっても魂を磨くということを経営にしている会社は珍しいと言われたことがあります。子どもの心を見守る仕事をしている人たちはほとんどこの魂を磨くことをそれぞれの持ち場で真摯に実践しているように思います。
もう10年以上前に熊本県阿蘇の満願寺窯にて陶芸家の北川八郎先生にお会いしたことがあります。先日も致知の中の記事で写真を拝見しましたがとても穏やかで厳かな雰囲気に懐かしさを覚えました。あの頃に教えていただいたことのヒントも今の会社にいきています。
その北川八郎先生のブログに魂を磨くことについての記事があったので転載します。
===ここから
「今 この日本に生きていると言う事。
この 混乱のない時代に魂が出てきたという事は 素晴らしいチャンスです。
魂を磨く時と場が与えられ その上 世の中に貢献し、魂の向上を図る機会を得たと言う事なのです。
少し前の時代 1940年代、つまり第二次世界大戦の前後の人達と言うのは
私達よりも 魂と生きる意味について学ぶ事が少なかったかもしれない。
なぜならば 現代は魂の事を語るチャンスがとても多いし そのことに気づいた人がたくさんいます。
でも 戦前戦後の頃は ただ食べることに必死の時代でした。貧しくて ほとんどの人が 学ぶ機会がなかったのです。
私達が今 この物質的に恵まれ 自由に生きられる時代の日本に生まれたということは 今世 魂や転世や、生きる意味について 学びの良き場を与えられているという事です。
今世に何を成そうとして生まれてきたのか、その一つはまず 人に良きものを与えよう という事です。
それは 祈りでもいいのです。笑顔でもいいのです。やさしい感情でもいいのです。人を助けることでもいいのです。
「自分の為だけの人生」は 神の意志から遠いという事に気づく事です。
人を許し 人の喜びに参加することです。
特に怒りを捨て 自分を傷つけた人を許す生き方を身に付ける事です。
人の失敗を許してみましょう。人の情けなさ・・・を許してみましょう。
何回も練習して 「○○さん あなたを許します」 と言ってみましょう。
特に 自分に苦と被害を与えた人を許す事です。
許して 光を与える事。
許し続けましょう。もう 許しましょう・・・。」
(「心にある力」より http://manganjigama.jp/ )
===ここまで
平和な今の時代、物は豊かになりましたが心が貧しくなりました。そしてその心の貧しさを豊かさに転じるには魂を磨く必要があります。磨き方はいろいろとありますが、この北川先生の言う「ゆるす」ということにはとても深い祈りがあるように私は思います。
許す自分、許される自分、自分を労り自分に優しくすることは周りの人も同様に思いやりをもって大切にしていくということでもあります。
許すという磨き方があることを知り、新たな砥石を得た心地です。引き続き、磨くことを本業にしている以上、試練を試金石ににして磨き直していくチャンスに転じていきたいと思います。