変化の源泉

物の観方というのは、変化するためには大切であるように思います。事実に対しての観方は人それぞれで異なりますが、そのどちらも有難いと感じる人は物事の見方を転じて自分の方を変化させようとします。

反対に、物事の見方が自分の思い込みからこうするのは当たり前だというように正解や自分を正当化した物の見方をする人は周りを変化させようとします。

同じ変化といっても、自分の物の見方を柔軟に変えていくという意味での変化と、見方は変えずに自分の状況の方を変えるという変化があります。言い換えれば、心の変化と環境の変化といってもいいかもしれません。

環境が変わることで心が変化することもあります。しかし、天候が毎日変わるように日々は毎日変化していきます。その中で自分の思い通りにならないこと、思った通りになっていくこと、日々の変化は続きます。自分の願望や欲望が強ければ強いほどに、自分の思い通りではなかったこと、自分の思った通りになったことに一喜一憂していては疲れてしまいます。

以前、取引先の経営者の方から「雨が降ったらアーメン、晴れればハレルヤ」という言葉を聴いたことがあります。すべてのことは神の御心のままにという意味ですから、あらゆることを感謝で受け取るということが大切ですと教えられました。

あらゆることを不平不満ではなく、感謝で受け取れる人間になっていこうというお話でしたがこれこそ変化の源泉であると私は思います。変わらない人と変わる人、その差は一体どこあるのか。それは物事の受け止め方、物事の見方が感謝が土台になっているか、それとも不満が土台になっているかのように思えます。

満たされない人はいつまでも外的変化を望みます。反対に満たされている人は、自分の心の方の変化を望みます。前者は常に不安が原動力になり、後者は安心が原動力になっているようにも思います。どちらも原動力が働くという意味ではいいのですが、大前提にすべてを感謝で受け取ることができるかどうかがその人の豊かさや幸せと関係するように思えます。

心の持ち方を教えるというのは、万物の教えを活かす方法を身に着けてもらうということです。宗教かどうかではなく、生き方を学ぶということでしょう。どのような生き方をするかは、その人の物事の見方がどうかということを聴けば自明するように思います。

引き続き、全てを転じて福にする聴福人を精進していきたいと思います。