観方、聴方

孫子の有名な言葉の一つに、「彼を知り己を知れば百戦殆からず。彼を知らずして己を知れば、一勝一負す。彼を知らず己を知らざれば、戦う毎に必ず殆し」があります。

意訳ですが敵を知り己を知れば百戦しても危うくなることはない。もしも敵を知らないで己を知っていれば勝ったり負けたりを繰り返す。そして敵も己も知らないようでは戦うたびにいつも危うくなるということです。

この敵とは本当は何か、この敵とは相手か自分ではなく己自身の中にあることに気づきます。よく考えてみれば、外の世界や自然というのはこちらの物の見方、自分の応じ方、接し方で自分の方が変化することで順応していくものです。

例えば季節でいえば、寒ければ自分の方を暖かくし、暑ければ自分の方を涼しくします。その変化は、自分自身を変えていくものであって季節の方を無理に変えることはできません。

この孫子の言葉を、季節と自分に置き換えてみると理解は深まります。人間は自分にしか興味がなくなり、自分のことばかりを考えていると周囲や世界が歪んでいくように思います。視野が狭くなるのは、自分自身の興味を優先し過ぎると周囲の変化が観えなくなっていくものです。

本来、自然を観察してみると周りがどうしたいのかということが感じられてきます。植物であればどう育ちたいのか、昆虫であれば何を食べたいのか、動物であれば何をしようとしているのか、そのものに共感することでそのものがどうしたいのかが聴こえてくるものです。

私の言葉では、その声を聴くものは百戦危うからずということです。つまりは戦いになることはない、百戦しても危なくない、敵なしという境地になるということです。そのものが一体どうしたいのか、そのものが何を思っているのか、それは自分が思い込み決めつける前に、真っさらにして聴いてみる必要があります。

畢竟、どれだけ全体観を持っているか、全体最適を目指しているか、それは周囲に耳を傾けている人かどうか、自分にその余裕を常に持たせているかどうかということにもよります。

敵を敵だと決めつけたり、自分はこういうものだと決めつけたり、起きている出来事を思い込んだり、こういうことがもっとも危ういのかもしれません。

引き続き、敵なしのままに自然体であるがままのことをあるがままに感じる心を育てて子どもたちのためにも観方、聴方を磨いていきたいと思います。