朝起きて鉄瓶に水を入れて炭を熾してお湯を沸かします。この時、私は火を熾すために火吹き竹で息を吹きかけていますが火は自然の力によって燃焼していきます。次に、私は鉄瓶を用意して水を入れて火鉢に置きますがそれをお湯にするのは自然の力です。さらに、そのお湯を湯呑に入れ茶葉をとおしてお茶にして呑むのは私ですがそれを体に吸収していくのは自然です。
人と自然。
私たちは自然に寄り添い、自然の力を借りて日常生活を続けることができます。空気を吸うのは自分ですが、空気は自然の力で存在します。水を飲むのは自分ですが、水は自然の力で存在します。太陽を浴びるのも自分ですが、太陽は自然の力です。そう考えるとすべては自然の力を借りなければできないものばかりで、そこに自分が何をするかを決めて行動することで自然の力をお借りしているということになります。
このように私たちは様々な自然のお陰様やお力をお借りして、そこに人として働きかけることで自然と共に生きています。この当たり前の事実をどれだけ感じて生きているか、そこに人道と天道、人と自然の道理の理解があります。
自然とつく仕組みはここ数年、あれこれと発酵やら養鶏やら農やら最近では古民家甦生で学び直してきましたが畢竟、そのどの仕組みも自然の恩恵を引き出すために自分が人として何をやるかということに尽きるように思います。
これは仕事でも同じで、自分がやっているのは人としてのところ。あとはどれだけ自然の力が借りれるように真心を尽くしていくかということになります。真心や感謝は人の道であり、それを実践することで自然のお力をお借りすることができます。有難いと謙虚に正直に誠実に信じて取り組む人は、人として理に叶ったことをやっていることになります。そういう人はいつも自然のお力をお借りして事を成就させていくように思います。
先ほどの火鉢で火を熾すことと同じく、何回も修練を積んでいくことでその息の吹きかけ方や丹誠が磨かれていくように思います。仕事も同じく、人としての道を何回も修練を積んでいくことでその実力が磨かれていくように思います。
人間は自然の仕組みを離れて人間の力だけで火も熾し水を操作し、光を作れると錯覚していますがそんなものは妄想で火も水も光も何一つ人間だけでは作れません。すべて自然の力を借りていて、その自然の力が偉大なのであって人間が偉大ということはないということでしょう。
自然の力をどうお借りするか、それは天道を究めていくことですが同時に人道も究めていくことです。この天道地理義理人情の法理に叶うかどうか、それは日々の内省と改善によって磨いていくしかありません。しかしまだまだ私は思いやりを優先でき徳を発揮するまでには至らず反省ばかりです。自然のような誠、その誠を引き出せる人物に近づけるようになりたいと祈る日々です。
引き続き、自然の摂理を学び直しながら自然のお力をお借りできるように感性を磨き、人として何を実践していくかを真摯に振り返り、子どもたちに大人としてその後姿を見せられるように精進していきたいと思います。