つむぐ心

「つむぐ」という単語があります。これはあるものとあるものを「つなげる」ときに使われる言葉です。本来は辞書には、「綿や繭から繊維を引き出し、より合わせて糸にすること」とあります。

そのことから、「思いを紡ぐ」という言葉もあります。糸のようにより合わせて同じように思いもまたより合わせていくという意味です。

長い年月をかけてつむぐことで様々な想念は実現していくという比喩なのでしょう。人間も一生がありますからその一生の中でできることは僅かです。しかし、その思いを紡いでいけばいつの日かそれが一本の糸になり、それが紡ぎ合わされ最終的な美しい反物になり私たちを纏う衣になったり、もしくは包むこむような布になります。

ドイツの詩人ゲーテに、「蚕は糸を紡ぐにつれ、だんだん死に近づいてゆくが、それでも糸を紡がずにはいられないのだ。」とありますがこの心境もまた「つむぐ」ことをいのちの糧にして生きるものたちの姿なのかもしれません。

紡いだ糸が何重にも織り合わさって様々な形を生み出していく、そこにはモノづくりの美しい姿があります。私たちは日々に生きていきますが、一つの理念を形作るために日々につむぎ、そのつむいだもので今の姿が顕現しているともいえます。

そういう日々であることを自覚するのなら、毎日はかけがえのない日々をつむいでいる美しい日々に変わります。

どうしても忙しくなると、日々を紡いでいくという意識ではなくなるものです。そういう時は、自分が一本の糸を織りなしていく姿を想像したり、多くの情報の中から大切な一本の糸をつむいでいることを忘れないようにしたいものです。

いのちが尽きてもそれでも糸をつむぎ続ける蚕のように、自分の役割やお役目に生きる生涯をつむげることは幸せなことなのかもしれません。自分の遺したものが、子孫の力になるというものもまたこの紡ぐ姿から感じることができます。

子どもの仕事というのは、この「つむぐ心」を育てていくことかもしれません。引き続き、日々の実践を確かにしつつ思いをつむいでいきたいと思います。