文化の甦生

聴福庵の壁紙を手漉きの和紙で貼っていく作業が進んでいます。一枚一枚、同じ形、同じ模様、同じ厚みのものは一つもなくそれぞれに個性があり印象が異なる手漉き和紙を丁寧に手作業で職人の方が貼り合わせていきます。

今では機械でプリントされたものや、化学合成された紙風のものを接着剤で一気に貼れ時間も短縮されて簡単便利に交換しやすいものになっています。最近では防火法の関係で燃えるものは壁紙に使えないということで、今回のような手漉きの和紙を貼るような仕事はほとんど皆無になったと仰っていました。

樽では保健所が衛生面で危険だからプラスチックに換えるように指導が入り、壁紙は燃えるからと化学合成のものにし、建物は地震対策のために伝統の建築を西洋建築の基準にするようにと法律によって縛っていきます。

よくよく考えてみるとわかるのですが、今まで漬物やお酒、味噌、醤油にいたるまで木樽で何百年も使ってきたものです。それを今になって急に木樽は不衛生というのはどういうことかと思います。除菌や殺菌、滅菌と菌を排除しますが自分の体も含めて私たちは菌で構成されています。良い菌も悪い菌も全部滅菌することがいいという考え方は何百年、何千年も篩にかけられ残ってきた智慧の否定です。

また壁紙が燃えるからといって防火法の観点で燃えるものは禁止といっても、高温多湿の日本の風土はこの紙が調湿効果が抜群で紙が水を吸ったり吐いたりして呼吸するから日本の湿度の中でも快適でいられます。これをすべて化学合成にしたら水滴が出てきて、それを防ぐためにホルムアルデヒドの強いものや防カビ材を塗って、さらには除湿器を入れるというのは防火以前に防水ができていないということになります。そもそも木造建築で土、紙を用いるというのは高温多湿の日本ではなくてはならない最低限のものですがそれがなくなればその分、家の中を密封にして乾燥機を入れてカラカラにしていくしかありません。

そう考えてみると、昭和25年からはじまった建築基準法の改正は現在にいたるまですべてアメリカや西洋を基準に書き換えられてきました。それまでの伝統工法を否定し、在来工法で建てることを禁止し、それまでの職人さんたちの手仕事は失われていきました。その分、西洋からの建築技術や機械が導入され木造建築から鉄筋コンクリートに建て替わっていきました。

自然と共に自然と調和しながら暮らしていく建てものから、自然に抵抗し自然から乖離する暮らしに建てものも変わっていきました。今では、ビルも家も総合空調で窓もない建物で埋め尽くされていきます。ガラス張りで外の景色は観えても、日本の四季や風土を感じるような建物にはなっていないように思います。

古民家甦生を通して感じるのは、先人たちや先祖たちが如何に自然を大切にし自然と調和して自然と一体になって敬い助け合い生きてきたかということを感じます。この先人の智慧が伝統の文化や職人さんの技術と共に失われ将来の子どもたちに伝承されていかないと思うと慙愧に堪えません。

日本の風土に沿って日本人の生き方を守っていくということは、先祖から伝承されているものを大切にしていくということです。引き続き、子どもたちのためにも種火が消えて失われないようにつなげるものはつなげて譲り渡していくために甦生を続けていきたいと思います。

 

継承の価値

聴福庵で用いるクルーの羽織を今に合わせてデザインするために福岡県八女市にある久留米絣の老舗、織元の下川織物を訪問するご縁がありました。久留米絣の開発者の井上伝のことは以前のブログで書きましたが、今回はその久留米絣を受け継ぐ下川織物の2代目当主の方にお話をお聴きし工場の見学をさせていただきました。

この下川織物の理念は、『創業者の下川富士男の言葉「百年続けて一人前 を実現すべく百年続く仕事に取り組む。 世界に誇れる織物の追求。 人と人とのつながりが百年企業を実現させる』というものです。その百年企業を実現するために重要なテーマにしているのが、「循環」と「鮮度」であるといいます。また従業員を大切にし、家族的経営を目指しているというところにも私たちと似ているところもあり大変共感しました。

現在では世界各国から毎週のように訪問客があるといいます。先日も、海外のデザイナーが一か月間ほど下川織物で用意したゲストハウスに滞在し協働で久留米絣を使って製作したものをパリコレクションに出展したといいます。

この久留米絣の魅力、日本の発酵による染めや反物の美しさに魅了された世界各国の最先端で活躍する技術者たちもまたこの日本の職人文化の技の秀逸さに驚かれるそうです。

今回のお話でとても印象的だったのは2代目当主の語られた「継承」のお話です。

『ここの工場では、TOYOTAの2代目社長が発明した織り機が用いられ日々に織り込まれています。その2代目社長は生前、いつかガソリンを使わない車、水で走るものを発明したいと仰っていたがそれが今では水素で走る自動車の実現まで辿り着いている。あの当時は夢物語でもそれを継ぐ人がいたから夢が実現したということ。またHONDAの創業者、本田宗一郎もいつか飛行機のエンジンを作りたいと夢があってそれを継ぐ人があったから遂にHONDAは飛行機を飛ばすことになった。夢の実現にとってもっとも大切なのはこの継いでいくということです。』

一代では叶わなかった大きな夢も、その夢を継ぐ人たちによっていつの日かその夢が実現していくという事実は私たちに大切なことを教えてくれます。

伝統というものは、何よりこの継承することによって力を発揮します。継いでいくというのは本来何を継いでいくのか、志を持つ人たちが道をつなぎ、志によってその糸は織り成していくということ。改めてこの継承するということの偉大さを教えていただいた気がしました。

志もまた同様に様々な経糸と横糸を結び合わせて一つの偉大な反物に仕上がります。それをどのように見立てて仕立てていくか、それはその価値を甦生する人たちのお役目でもあります。

古きを温め新しくデザインされた聴福庵の羽織を纏う日が来るのが楽しみです。引き続き子どもたちのためにも、私たちも循環と鮮度を磨き上げていきたいと思います。

和魂の系図~菅原道真公~

天神祭りに合わせて菅原道真公を深めていると、遺した足跡や和歌からその人柄の純粋さが観えてきます。今でも人々に敬慕され、信仰されるのはその純粋な生き方に共感するところがあるからかもしれません。

今では法律や常識、大多数の正義ばかりがマスコミで論じられ、視野の狭い価値観の固執による正義ばかりが取り立てられますが人々の心の奥にあるお天道様がみてくださっているという正義を菅原道真公の生き様の中に共感したのかもしれません。この正義は吉田松陰のいう大和魂のことです。日本人はみんなこの大和魂を心の根っこに持っています。

本来の正しいことは、誰かが決めた正しいではなく純粋に自分らしく生き切った純粋性の中に宿るように私は思います。純粋な真心や、純心の祈りの中には大義があります。その大義に生きる姿に人々は感動し、そういう人をいつまでも大切に語り継ぐのでしょう。

菅原道真は北野天満宮に「文道の大祖・風月の本主」と示されます。これは菅原道真公のことを「和魂漢才」といって日本人のままに中国からの文化を融和させ温故知新させた方だとするからです。異なる文化を学び、その異なる文化を和する力。それは自国の歴史と文化の誇りのままに他国の文化も受けいれていたということです。

これは今の時代においても西洋文化が流入していく中で、西洋になるのではなく和魂洋才を発揮することに似ています。この和魂は大和の心、つまりは日本古来の日本人の精神のままに異なる文化を融和して新しい日本の文化の一つにするという進化の業です。平易にいえば、才を正しいもの(誠)のために活用するということです。

菅原道真公はその根底の大和心によって日本の歴史の大事な局面において学問を究めそれまでの初心道統を継ぎ、才を政治利用などせず、誠を貫き、その当時の人々だけではなく日本人に誇りと自信を甦生させた人物だったのかもしれません。

異なる文化が入ってくることは勉強になりますが、当たり前になっている自分たちの文化を軽視しその価値を忘れてしまうことほど多様性は失われていき文化は衰退していきます。

自分たちの根底に流れる文化を見つめ直しその文化の価値を温故知新し甦生させ続けてこそ一つの世界の中で人類の一員としてのお役目を果たしていけるようにも思います。そう考えてみればなぜ幕末に松平春嶽が城下の寺子屋に菅原道真公を祀り学問を奨励したかが直観できます。日本人として何を守り何を変えるか、それを忘れることのないようにという誠の学問を奨励し、本質を間違わないようにと先人の智慧を活用したからかもしれません。

私も今、まさに世界のために、日本のために、子どもたちのために変えてはならないものと変えなければならないものを分別し、何を守り何を新しくするかに没頭しています。まさに人類が才(文明)によって滅びそうな現実を目の当たりにしたとしても、決して留めおかまじ大和魂の思いです。正義を貫く勇気が欲しいと願えば時空を超えて先祖と邂逅します。

この菅原道真公が今もずっと私たちを見守ってくださっていると背中で感じつつ、残りの人生を本業に努め、初心伝承に命を懸けて挑んでいきたいと思います。

新しい世界~日本の種火~

昨日、カグヤと臥竜塾生と一緒に合同で新しいプロジェクトのミーティングを行いました。オリンピックへ向けて、日本の文化を見直しそれを発信していくために私たちが誇りにしているものが何か、その原点について語り合いました。

現在は、単にパスポートが日本国だから日本に住んでいるから、遺伝子が日本だからなどが一般的に日本国民だという認識の人が多いといいます。しかし本質として自分は何をもって日本人であるのかと、もう一度深く省みるとき改めて日本ということ、日本民族ということを考え直すように思います。

日本の文化をどれくらい理解し、日本の先祖のことをどれくらい理解し、日本の暮らしを理解し、それを悟りどれくらい本物の日本人であるのか、今の生活をもう一度見つめてみて考え直すと自分自身が日本人としての自覚が薄いことに気づきます。だからこそ世界が一つになるとき、如何に自分たち日本人が偉大かということを自覚し悟れるかが、誇りと自信を持って世界とつながることのように私は思うのです。

そのためにも自分たちがもう一度、日本の文化を掘り起こし再発見しつつ今まで積み重ねて伝承されてきた日本文化を甦生し、体現し、それを世界へと発信していかなければならないように私は思います。

禅(ZEN)を世界に広めた仏教学者の鈴木大拙氏は、西洋と東洋を超えて世界の中での日本を示した先人の一人です。改めて、日本文化を伝え、異文化の融和によって一つになり助け合っていこうとする先人の功績は今も私たちを勇気づけます。鈴木大拙氏が禅を広めようとした動機、つまり初心です。

「西洋の方と比べてみるというと、どうしても、西洋にいいところは、いくらでもあると……いくらでもあって、日本はそいつを取り入れにゃならんが、日本は日本として、或いは東洋は東洋として、西洋に知らせなけりゃならんものがいくらでもあると、殊にそれは哲学・宗教の方面だ と、それをやらないかんというのが、今までのわしを動かした動機ですね」

西洋から学ぶだけではなく、世界の中の日本人として西洋にも伝えなければならないものがあるという信念は深く共感します。そして後を生きる日本人に対してこう言い遺します。

 「日本を世界のうちの1つのもの、としなければいかん。今、日本が、日本がと、やたらに言うようだが、日本というものは世界あっての日本で、日本は世界につつまれておるが、日本もまた世界をつつんでおるということ、これは、スペースや量の考えからは出てこない。そのように考えるためには1つの飛躍が必要とされる。その飛躍が大事なのだ」

この飛躍のことを、英語ではマインドセットといいます。今までにない新しい世界に突如現れる新しい常識、時間でいえばそれをティッピングポイントとも言いますがある時、ガラリと意識が飛躍するような大転換が必要というのです。

そしてこれが新しい世界に入るということです。

私たちは日本人になるには、世界の中の日本であり日本があるから世界があるという境地を体得しなければなりません。そのためにも自国の歴史や文化を学び直し、自分がどう世界の中の日本人として生きるかを決めなければなりません。

自信と誇りもまたそこから生まれ、それを子どもたちが受け継ぎこの先の未来で世界の中で平和をきっと創り出してくれると思います。大和民族とは何か、何をもって和の民と呼ばれたか、今一度、世界が大転換期であるからこそ私たちの役目や役割は大きいと私は信じています。

引き続きこのオリンピックを通して、その日本の種火を世界へと弘げていきたいと思います。

 

 

子どもたちを見守る神様~お天道様~

天神信仰を改めて調べていると菅原道真公の生前の姿が観えてきます。現在では菅原道真公のことを天神様と敬い、学問や誠実、慈悲や正直の神様として崇敬していますが平安時代以後は恐ろしい神様として祀られていたといいます。

歴史を紐解けばわかりますが、天皇に対して国家に対して忠義が篤く、誠実だった人が時の左大臣藤原時平の妬みと嫉妬によって乱暴に追放され酷い目に遭ったことを不誠実なことだと人々が思ったからではないかと私は思います。

正直で誠実だった人物に対して、不正直不誠実であることで如何に天のお怒りに触れるか、つまりは日本古来からある「お天道様がみている」という概念とつながっていたのではないかと思うのです。お天道様が見ているということに対して、やはり不正直や不誠実ではいけないと、死してなお人々に生き方を説いたのが菅原道真公の恩徳であったようにも思います。

上杉謙信や吉田松陰、大義に生きた人たちは死んだのち神社に祀られます。生前の徳が死後にはっきりと観えることで周囲がその人物を神格化するのですが、言い換えるのならそれを神格化する人々の中にその大義を感じる力があるわけで何が忠であり何が義であるかを理解しているから祀るということでもあります。

古来からある大事なものを大事に優先して生きた先人の遺徳に自分たちも同様に生き方を見つめようとしたことでいつまでも篤く崇敬されていきます。全国に天神系神社が1万2千社あるのは、このように誠実や正直、忠義に生きることが大切だと深く信じる生き方をしようとした人々があるという証拠でもあります。

その後、天神様が学問の神様としての信仰が広く浸透していくようになったのは江戸時代に入ってからだといいます。江戸時代の寺小屋の様子を記した文献には、子どもたちが机を並べる教室に必ず天神様が祀られてあったことが記されています。それに寺小屋へ入学する子どもを必ず両親たちが天神様に参拝するという風習もあったといいます。

そうして次第に天神様は学問の神様から「子どもたちを見守る神様」に変化していきます。

また天神様といえば有名な童謡「通りゃんせ」があります。この通りゃんせは江戸時代に創られたもので作詞者は不明になっています。歌詞はこうなっています。

「通りゃんせ 通りゃんせ
ここはどこの 細道じゃ
天神さまの 細道じゃ
ちっと通して 下しゃんせ
御用のないもの 通しゃせぬ
この子の七つの お祝いに
お札を納めに まいります
行きはよいよい 帰りはこわい
こわいながらも
通りゃんせ 通りゃんせ」

この歌詞の中の「この子の七つのお祝いにお札と納めにまいります」とは当時は今と違って子どもが数え歳7歳まで無病息災で無事に生き残ることが稀だったことに加え、その7つの時期を終えると半人前の大人になると考えられていたため7歳までは神様の内、7歳までは天神様の守護の内ということになっていたからだといいます。

おそるおそるその年まで油断なく子どもを見守った親心や、天神様に大切に守ってもらっているというお天道様への畏れもまたあったのではないかと私は勝手に想像していますが語り継がれる童謡の中には人の生死のどうしてもどうにもならないことの無常さも入っているようで複雑な心境もあります。

しかしこのように天神様が子どもを見守ってくださる神様になり、今でもそのままに子どもたちが無事に学問の道を歩めるようにと祈り願う人たちの信仰によって篤く崇敬されて引き継がれているのは間違いありません。

「7つまでの子どもを見守る」という意味では、私たちの本志本業もまたこの天神信仰の本質と合致しています。保育の時期を見守りの中で過ごした子どもたちが信じる心を持ったまま大人の社會の中で自分らしくあるがままに自然体に生きて助け合い、幸せで平和であるようにと願う思いに保育の道を祈ります。

今年の聴福庵で天神祭が保育道を実践する子どもを見守る先生方と共にお祭りができることに深いご縁と仕合せを感じています。

引き続きいただいている機会を学びのチャンスにして初心伝承に取り組んでいきたいと思います。

 

 

和の甦生~天神祭~

昨年は祭り部ができてから古来からのお祭りを見学したり都内のお祭りで神輿を担いだり、秩父夜祭りに参列させていただいたりと本当にたくさんの学びをいただきました。そこからさらに今年はご縁が深まり、郷里のお祭りの甦生に関わらせていただくことになり自分たちで一つ一つお祭りを復活させていくことになりました。

郷里の神社には、天神祭り、恵比寿祭り、稲荷祭り、祇園祭り、元旦祭りがあります。今までも氏子会を中心に存続されてきたものではありますが現在では人が集まらなくなり神事の後のお祭りは廃止されてきたものです。

日本には、古来より神様を中心に助け合いの文化が根付いていた国でもあります。それを和ともいいますが、この和の実践が失われていくことで地域のつながりもまた失われていきます。

古民家甦生がはじまり、自然発生的に神社甦生につながるのはそこに日本民族としての中心や根幹があるからのように思います。どのようにかつての先祖たちが暮らしてきたか、その智慧の伝承と継承こそが子孫繁栄と発展の鍵なのです。

最初は自分たちがお祭りのことを深め、お祭りの意味や価値、家の中の暮らしから祭りに取り組むことにするため天神祭の甦生からはじめます。

この天神祭とは、天神信仰のことで菅原道真を主祭神とした天満宮のお祭りです。菅原道真の誕生日が6月25日、命日が2月25日で、ともに25日であったことで毎月25日を例祭としているところが多いといいます。新暦に移行した現在でも25日を例祭として信仰しています。

郷里の天神祭りは、一時期は10万人を超えるほどの参加者があり7つの山車が市内を練り歩き、にわかというお面をつけた人が滑稽な話をしながら一軒一軒をまわり福をまき、たくさんの出店も並びとても賑わっていたそうです。それが次第に人口減と共にお祭りも縮小し、最後はお祭りくじの廃止と共に数年前からお祭りを行うことができなくなったといいます。お祭りが廃止されてからの地元のショックが大きく、それを甦生するというのは本当に難しい状況になっているといいます。

天神さまというのは神格は天降る雷神で雷光と共に天から降りてくると信じられていました。水田耕作に必要な雨と水をもたらす雷神(天神)は稲の実りを授ける神、めぐみの神ですから農民を中心に全国に崇敬されていったとも言います。それに菅原道真の学問に対する偉大な事績やその人柄が偲ばれ、天神信仰は文道の大祖、文学・詩歌・書道・芸能の神、あるいは慈悲の神としても崇敬されました。

その天神信仰はその後、天神講を中心に全国各地に広がり、天神さま、天満宮として建立され「学問の神・誠心の神」として崇拝されています。

天神祭の甦生は、子ども第一義を理念とする私たちにとってもとても大切なお祭りです。そのお祭りの応援に、関係の深い全国各地の先生方が集まっていただけるというご縁もいただき有難い真心に感謝でいっぱいです。

子どもたちの未来のためにも、そしてこれからはじまる大和魂の甦生のためにも真摯に誠実に信仰のままにお祭りの準備を進めていきたいと思います。

 

初心伝承の理

日本の伝統芸能、特に能楽や文楽、落語家などに名前の襲名というものがあります。昔は家督を継ぐといったり名跡を継ぐというものもありました。代々受け継がれていく名前は、自分がその同様の生き方を継ぎ、その志を継ぐことでもあるように思います。

私たちにも名前があり、苗字は先祖代々からの名を受け継いでいきています。それは先祖がいたことの証明でもあり、今の自分たちがあるのは先祖たちが生き抜いてきた歴史の積み重ねの上にあるとも言えます。

襲名で有名な老舗企業に愛知県半田市にあるお酢で有名な「ミツカン」があります。代々ミツカンの社長は「中埜又左衛門(又左エ門)」を襲名し実際に戸籍まで変えているほどです。これは初代の伝統と初心を忘れまいとする一つの仕組みではないかと私は思います。初代の苦労や先祖の生き様、そして道を究めようとした精神や歴史を名前を襲名するときに自分が先祖に恥じないようにと心構えを覚悟するのかもしれません。

そう考えてみると、私たちは生まれながらに当たり前に苗字を授かっていますがその苗字は本来大変尊いものであり、先祖の歴史が凝縮されている名前だとも言えます。先祖が自分の苗字に恥じないようにと生きてきたものを私たち子孫が受け継いでいく。それは血縁だけではなく、時にはその家の生き様を継ぐために養子に入った方もいます。

そのどちらも名前があるというのは、その名前には自分の根っこが今もなお息づいておりその名前が遺るのは今の時代に生きる自分が一家の代表をつとめているという意味でもあります。

一家の代表としてどのような生き方を遺していくか、名を継承するというのは歴史と時代の変化の中での初心と理念の伝承を行っているとも言えます。この初心伝承というものは、私たちが連綿と続いてきた日本人の精神や魂の継承のことであり、それが根幹になって枝葉として私たちがいることの確認でもあります。

世界の中で何をすることがもっとも私たちが役割を果たすことになるのか。それは風土の中で自分を尽くしていくという天地自然の理そのものに生きるということでもあります。

自然と調和していく中で、もっともその風土らしく風土そのものにまで精神を高めて磨いた人の名前は時代を超えて燦然と輝き続けます。それを義ともいうのでしょうが、その義に生きた人たちの名前がこの時代にも遺っておりそれを目指して高めていく人の生き方を観ていると魂が揺さぶられる思いもします。

初代がどのような人物であったかは、その後の人たちの生き様によって語られます。

子どもたちのためにも、伝統や伝承の意味を深めそれを還元していきたいと思います。初心伝承をさらに一層深めていきたいと思います。

 

天からの贈り物 プレゼント

英語の諺に「Yesterday is history, Tomorrow is a mystery, Today is a gift. That’s why it is called the present.」というものがあります。これは意訳すると、「昨日はもう歴史になっているし、明日はまだ神秘に満ちている。だからこそ今日この一日こそが天からの贈り物(プレゼント)。」というのです。

もしも人がすべてのことを天からの贈り物と思えば、その試練もまた天からの贈り物であり、日々のすべては天が自分が本当に望んだものに対して与えてくださった大切なご縁(プレゼント)ということになります。

このプレゼントいう意識は、感謝の心が大前提になければ感じることはありません。日々に彼方からやってくる出来事に対してそれを避けようとはせず、また有難いご縁、有難い贈り物を与えてくださってとお礼をする感謝の心の積み重ねによってプレゼントを感じる心は醸成されます。

神社にお参りにいくとき、私たちはお礼参りをしにいきます。ないものに対する不平を願うよりも、いただいているものすべてに感謝をする方が心豊かです。あるものを活かそうという発想もまた、この感謝の心の醸成によって磨かれていきます。

よく考えてみれば、この生まれてきた体も、そして子どもたちも、さらには自分に与えていただいた感覚のすべてもまた天からの贈り物です。それを贈り物だと思って大切に扱っていく人は、いつまでも天からの恵みや恩恵に包まれ、どんなご縁であってもすべては尊いいただきものだと感じられるものです。

そうやって感謝の心が積みあがっていくとき、その恩に報いたいという心もまた同時に育っていきます。天からの贈り物とはこの感謝報恩の心のことをいうのかもしれません。

もしもその感謝の心を忘れ傲慢な心が育てば、不平不満は単なる身勝手な我儘になり文句や言い訳ばかりをいってはせっかくの一日も貧しくつらい面白くない日々にしてしまいます。そのうち「もういらない」といただいたものを撥ね退けてはせっかくいただいたものまでゴミ屑のように粗末にしてしまうかもしれません。自分の欲しいもの以外はいらないという強欲さは仕合せを一層遠ざけてしまいます。

自分が今回与えられたご縁(プレゼント)が如何に偉大であるか、その天からの贈り物からお役目に気づき生きられる人はとても仕合せな人です。

人生はすべて生き方が決めますが、ものの見え方が変わっていればそれは生き方も変わったということですからどのような一日を過ごしてどのような見方をしたかの連続で一生はつくられていくはずです。

日々はかけがえないのない天からの贈り物としてその贈り物を感謝の心で授かる心、つまりはすべてを丸ごと受け取る感性を磨き幸運を伸ばしていきたいと思います。

和の甦生

以前、国際人のことを書きましたが今の時代は国際化の中で自分たちがどのように生きるのかを見つめる時代でもあります。私は若いうちからヨーロッパや中国に留学した経験がありますからその国の文化に触れ、どのようにこれから自分が生きていくかを考えたのを覚えています。

日本は島国だからか自国のことばかりになってしまうことが多く、世界のニュースや世界の動向を意識する人が少ないような気がします。今はこれだけITや流通が発展し、それぞれの国に人が行き来する時代になって国境がなくなり国際化したのだからもっと自分の国の文化に対する意識も高まっていなければならないのに自分の国の文化や歴史に興味を持っている人が圧倒的に少ないように思います。

先日、日本の保育についてメンターと話し合う中で「日本をもう一度見直そう」という話がありました。その中で「異なった文化の人たちが如何に協力するか、世界と和していくことが日本をよくすることだ」と仰っていたのが印象的でした。

現在、一つ一つの伝統を紐解き初心伝承を磨き深めていますがその根底には和の精神というものが根付いています。自然と共生し人々と和する・・その和の精神とは何かといえば、それは「平和」のことです。

大震災や大災害があったとき、日本は世界から尊敬されます。それは見事なほどに他者を思いやり、自制し自律し、他を受け容れ、助け合う姿を見せるからです。私はこれは日本独自の文化と歴史の結晶ではないかと感じます。

協力や協調、調和は私たちが実践する一円対話、そしてコンサルティングの本筋に定めているものですが日本の文化の後押しがあるからこそより大きな効果が現場で発揮されているのです。

明治以降、日本文化の価値が見捨てられ零落しその本当の意味や崇高さが伝統的な暮らしと共に衰退していきました。しかしこれからの子どもたちが国際化の中で如何に国際人として羽ばたいていくかと慮るとき、日本独自の文化が忘れ去られていくのは平和を世界に広げていく精神もまた忘れ去られるということであり、今、ここで何とかしなければという義憤に強くかられます。

私たちは親祖の初心が悠久の歳月を経て文化になったことを決して忘れてはなりません。

改めて日本を見つめ日本を見直し、古来からある日本文化を学び直し、それを転じて甦生し世界へ日本の文化を発信していく必要性を感じています。使命をもって、子どもたちのためにも和の甦生に取り組んでいきたいと思います。

心田を耕す

二宮尊徳の教えに「心田を耕す」というものがあります。そもそも人間のあらゆる荒廃はすべて心の荒蕪から起こると説きました。荒蕪とは、草が生い茂って雑草が生えほうだいで土地が手入れされずに荒れていることをいいます。荒廃は家屋などでいえば、荒れ果ててすさみ潤いがなくなっていくことをいいます。

この荒廃は心の荒蕪が問題であり、それを解決するには心田を耕すしかないといいました。私は自然農や古民家甦生を通して感じたものは、暮らしが失われることでこの心田もまた失われ荒廃していくということです。

本来、田であれ家であれ人が手入れを怠ればあっという間に荒んでいきます。なぜ荒むかといえば日々の暮らしを怠り忙しさにかまけて心の手入れをすることを忘れてしまうからです。

都会に住めば、忙しい日々を送る中で暮らしは消失していきます。特になんでも簡単便利に頭で考えたようにできる世の中になってくると、本来は有難かったことも当たり前になり、自分の都合よくいかなければ不平不満などが出てきます。それに拍車をかけてお金でなんでも解決しようとするあまり、さらに心を用いる苦労の方や、心を慮り丹誠を籠めるようなことがなくなっていきます。

古民家を一つ丁寧に建て直し、手入れをし甦生させていくともう十数年も置き去りになって雨漏りがして屋根が崩れ荒れ放題になっている隣家が気になってきます。一つ家を直せば、町並みは美しくなり隣の家が気になってくる。田んぼも一つ美しく手入れすれば荒廃された隣の田も気になってくる。こうやって一つ一つのことを手入れしながら、一つ一つ荒蕪を開墾して耕して手入れしていく以外に人々の心を直す方法はないのです。

二宮尊徳のいた時代は、大飢饉が続き食べ物がなくなり農民たちは重税で苦しんでいました。その中で村々は荒廃し人々の心もすさんでいたといいます。今は時代は変わり食べ物は豊富にありますが、都市一極集中で地方は少子高齢化が進み田畑や古民家は荒廃が進んできています。人々も重税がかかり、格差は広がりますます時代背景が似てきています。

一人一人が覚悟を決めて、暮らしを立て直し心田を耕すことによって荒廃を転じて幸福に目覚めていく必要があると私は感じます。

何をもって心田を耕すのかは、もう一度本物の暮らしとは何かと見つめ直すことからではないかと私は思います。本物の暮らしは、日々の心を耕します。かつての伝統的な日本の暮らしは感謝に包まれ謙虚に自然と一体になって日本人の心と共に慎まやかに継承されてきました。

文明が進んでも、生き方までは変わらず時代の進化は正常に行われてきたものが明治頃からそれまでの道から離れ戦後に様々な影響を受けて今に至ります。今一度、原点回帰し日本人としての生き方、つまり日本的な暮らしを甦生させ、本来の日本人としての心を耕していく文化を再興する必要を感じます。

そのためにも一人一人が目覚め、まず独り荒れた田に入りそれを開墾し、荒んだ家に入りそれを甦生させる、その真心を磨いて人々の心に潤いを与えていけるような実践を積み重ねていくしかないと思っています。

先人の尊さには頭が下がります、二宮尊徳の積小為大を実践をしつつ子どもたちのためにも暮らしを甦生し心田を耕し続けていきたいと思います。