変化を楽しむ

色々な物事を進めていく中で、人は何のためにそれをやるのかと何度も向き合う機会をいただけるものです。この問題は一体何か、何を教えていただいているのか、ここから何を学びとるのかと物事に対して素直である人は変化を楽しんでいくことができます。

感情や怒りは、自分が変化しなければならない合図でありその時こそ如何にそれに早めに気づき自分の方を変えていくかで人は成長し前進していくことができるように思います。

人間にはそれぞれの価値観があり、それぞれに引くに引けない自分の信念のようなものを持っていることがあります。そういうものがぶつかり合い敵対するよりも、あなたの考えもまた一理あると認め合いお互いの持ち味を生かして助け合うことの方がより仕合せに楽しく協力し合っていけるように思います。

しかし実際には、自分が正しいとそれぞれの正論をぶつけてはお互いに争い疲弊して最後は戦争のようになってしまうのはお互いを認め合う対話を避けてしまうからのように思います。

変化を避けるために対話をいつまでも避けていたら、お互いのことを理解し合い認め合い協力をすることもできなくなります。どうしても関わらなければならないところがあるのならばやはり対話を通してお互いの考えを尊重しながら歩んでいくしかありません。

変化というものが急に来てしまうと、人はそれを怖がり不安になるものです。しかしその変化は学び気づくためのチャンスだと前向きに捉えることができたならその時点でもう変わっているということになります。

斎藤一人さんに「困ったこと、嫌なことが起きたというのは、あなたの間違いを神さまが正そうとしてくれているのだから『悪いこと』ではありません」というものがあります。

自分が何を間違えたか、自分が何の配慮が足りなかったかと、自分の思いやりが欠けていたことに気づけばそこから反省し新しい自分に出会っていきます。

さらりとしなやかに変わるのは素直さと謙虚さ、感謝が必要ですが怒りが来たときこそ自分が変わるチャンスだと受け止めて本来の目的や初心に立ち返り、自分が間違っていることに気付けるような生き方をしていきたいと思います。

子どもたちもまた多様な価値観の中で、社會を形成していきますから自分自身も子どもたちの一つのモデルになるようにお互いの理を合わせて協業できるような仕事にしていけるよう精進していきたいと思います。