信仰のかたち

天神祭に向けて菅原道真公のことを深めていますが時代の変遷と伝承を通してその天神信仰のかたちができてきているように感じます。菅原道真公がお亡くなりになってからすぐに天満大自在天神として祀られてから現代にいたるまで約1100年間、天神様として子孫を見守り続けている人物として奉られています。

神社に祀られる切っ掛けになったのは道真公がお亡くなりになった後、平安京で雷、疫病、大火などの天変地異が相次ぎ、清涼殿落雷事件などもあり、雷の神である天神と関連付けて考えられるようになったといいます。そして「天満」の名は、道真公が死後に送られた神号の「天満(そらみつ)大自在天神」から来たといわれ、「道真公の怨霊が雷神となり、それが天に満ちた」ことがその由来だといいます。

この道真公の怨霊が雷神になり、それが天に満ちたというとなんだか恐ろしい感じがしますが私はこれは個人としての菅原道真公のことを指してはいないように思います。怨念や怨霊というのは、何かしらの恨みをもって生きているものの念や霊が影響を与えることをいいますが、菅原道真公自身はというと大宰府に左遷されたあとも、無実の罪をきせられ改革がもう少しのところで頓挫するのは無念ではありましたが国家安寧を祈り、苦しい暮らしの中でも平常心を失わず学問を実践し続け修養し続けたといいます。

その証拠に左遷後も優れた漢詩をいくつも残し、この時期に大宰府で詠まれた詩は「菅家後集」三十八首にまとめられているといいます。彼は無実を叫びつつも天皇への忠誠を心の支えとして栄華の日々を懐かしみ、荘子や仏道の教えを学び続けました。流罪になった年の九月十日に一年前の内宴で天皇に詩を献じて御衣を拝領した事を回想し、詠んだ「九月十日」という詩は有名です。

去年今夜侍清涼  去年の今夜 清涼に侍す
秋思詩篇独断腸  秋思の詩篇 独り腸を断つ
恩賜御衣今在此  恩賜の御衣 今ここに在り
捧持毎日拝余香  捧持して毎日 余香を拝す

意訳ですが「昨年の今夜は清涼殿での内宴に侍し、「秋思」の題で詩を賦したが、今はただ一人断腸の思いです。天皇陛下から賜った衣服は今ここにあり、これを捧げ持って日々残り香を仰いでこれを拝んでおります。」と。

無実の罪を着せられ一族郎党みな悲惨な目に遭い、それでもただ一筋に天への忠義に生きるというのは、その後に現れる楠木正成や吉田松陰などにも似ています。そしてその誰もが今では湊川神社、松陰神社になって人々に祀られています。

つまり菅原道真公の怨念や怨霊ではなく、民のために天皇陛下のために国民国家に真心を盡したような素直で立派な人物に罪に着せて酷いことをするということに人々が怨念を持ったのだと思います。人々の政治に対する不信や不満が、その後、厄災があるたびにこの正直ではない出来事が脳裏に浮かび、また心に引っかかり、いつまでもそれが政治不信として世の中の人々の怨嗟を呼んだのかもしれません。

その怨嗟を鎮めるために、菅原道真公の罪を赦し、さらには神格を与えて祀ることで民衆の怨嗟を和らげようとしたのではないかと私は思います。つまり菅原道真公の怨霊ではなく、民衆の怨嗟が怨念や怨霊になったということです。

その後、その怨嗟が消えてからは慈悲の神、正直の神、冤罪を晴らす神、和歌・連歌など芸能の神、現世の長寿と来世の極楽往生に導く神、子どもを見守る神、そして現代では学問の神として崇め奉られています。

日本人はこのように素晴らしい人物や、大義に生きる人の伝説を語り継ぐことによって政治として何が大切かということを教えずにして教えていきます。伝承というのは、信仰をつなぐ役割があり、私たちの生き方として何のために学問をするのか、何のために生きるのかということの本質を導くものです。

引き続き天神祭に向けて、ご縁と直観を感じながら信仰のかたちを見極めていきたいと思います。