古民家甦生をする中で、台所に神棚には三宝荒神様をお祀りし、竈やおくどさんの近くには火の用心の御札を貼っています。京都の台所には「火廼要慎(ひのようじん)」と書かれた「阿多古(愛宕)」の御札が火難除けとして貼られています。この愛宕神社は、京都の北西部の愛宕山山頂にあり主祭神は伊弉冉尊とその子の火神である迦遇槌命が祀られています。
大宝年間701年~704年に、修験道の祖とされる役小角と白山の開祖として知られる泰澄によって朝日峰に神廟が建立されたのが創建であるといわれます。
この神社は古来より「火伏せの神」として信仰されてきました。平安時代から修験の霊場として栄え、その後、その修験者が全国に散らばり、全国的に愛宕の地名を伝えたといいます。
全国に1000社以上ある、愛宕神社の総本山であり「愛宕さん」といって今でも親しまれています。
また天狗の山としても有名で「愛宕太郎坊」という大天狗がいると恐れられ、中世頃には愛宕の本地は勝軍地蔵(しょうぐんじぞう)といわれたことから武家の信仰が盛んとなりました。一説によると、あの直江兼続の兜にある「愛」の字も、愛宕権現の字を象ったのではないかともいわれます。また武家が統治している土地にも地名として「愛宕」をつけた場合もあるといいます。武運の神様としても信仰されます。
さらに何かの覚悟を決めたり、決心を固いことを表明する言葉に「愛宕白山(あたごはくさん)」というものがあるといいます。これは加賀の白山とともに京都の愛宕が、決意を固める神として信仰されていたからだそうです。明智光秀も本能寺の変の決意を固めたのもこの愛宕山に籠って行ったといいます。
私にとってもこの愛宕山信仰は特別であり、伊弉冉と地蔵菩薩、天狗太郎坊とそしてカグツチという火の神様、ここに様々なつながりと物語を感じずにはおれません。特に聴福庵は、囲炉裏の豊かなぬくもりによって冷えてしまった人々の心をあたためようとしていますからこの生死の巡りの元、循環の要でもある火は私のもっとも大切なパートナーです。
日本にはさまざまな信仰がまだまだ残っています。それを受け継いでいくのは日本人らしさの源泉であり、日本的精神を磨く大切な材料です。
引き続き、古民家甦生を通して初心伝承を深めていきたいと思います。