梅の徳3~梅の生き方~

天神祭に向けて梅を深めていますが、梅の花の紅白について考える機会がありました。梅は一つの木で、紅色や白色に咲く花もあり、紅白美しく咲く様子にはうっとりするものです。菅原道真公もこの紅白の梅の花を一生愛した人物だったといわれます。

紅白の由来には諸説ありますが、赤色が赤ちゃんというように出生を意味し、白色が死装束の色のように死や別れを意味するところから、その 2つの色を組み合わせることによって「人の一生」を顕すという説、また花嫁衣裳の色であるという説、赤飯を炊いて祝っていた説などが主な由来とされています。

紅白歌合戦などの紅白は、むかし源平合戦が紅色と白色の旗印で行われたことから名づけられたという説もあります。日本の国旗もまた、この紅色と白色の2色で彩られます。

この紅白の持つ意味は、私たちが思っている以上に深く日本人の精神に大きな影響を与え続けているのかもしれません。

菅原道真公も梅の木に自分を照らしながら歩んだ一生だったのではないかと私は思います。梅の詩には、その梅の木をまるで父母ように慕い愛した心情を私は感じます。

「梅の花 紅の色にも似たるかな 阿古がほほにも つけたくぞある」

「月の輝くこと晴れたる雪の如し 梅花は照れる星に似たり 憐れむべし 金鏡転じ 庭上に玉房の馨れることを」

この2つは、幼少期に菅原道真公が詠んだ詩です。両方の詩には、梅を憧れの先生のように素直に慕っている心情が読み取れます。

中国から伝来したもっとも君子を顕す梅と共に自然から学び自らの魂を高め続けた菅原道真公の姿が梅の姿から観えてきます。

同様に、天神様を信仰する学問の志士たちは「梅花香自苦寒来」を信じ、どんな境遇においても常に独り慎む君子のように「高潔」を顕す梅の徳を君子に見たて、その紅白の花を咲かせる梅のように歩みたいと梅を師とし、友とし、伴侶として歩んだのかもしれません。

不遇の生涯であっても後世のために使命を果たした大徳、中国の孔子のように私はこの菅原道真公の功徳の偉大さを感じます。私にとっては、菅原道真公は日本における孔子の役割を果たしているように思います。

高潔な一生を生きる梅の徳を梅の生き方から学び直し天神祭に向けて、学問を深めていきたいと思います。