なんでもそうですが新しいことに挑戦するのは勇気が必要です。この勇気は出そうとして出てくるものではなく、やっているうちに積み重ねて出てくるものです。昔から勇気は振り絞るものとありますが、ないものをみんな振り絞って取り組んでいくのです。
よく叱られるのが怖いとか、周りにどう思われるか心配とか、そういうことから言われたことしかできなくなったり、言われていないことはしなくなったりという態度をとることがあります。人は経験したことがないことには消極的になるものですが、その目的の意味を正しく理解すれば自分なりに行動していくこともできるようになるものです。
私の場合は、何のためにということをまず考え抜くようにしています。その自分の行動の判断基準が何のために行われるのかを正しく理解すれば、やったことはすべて無駄ではなくその目的につながっていると実感することができるかです。
無意味というものは目的が定まれば一切はなく、失敗という経験もまた目的に向かうための大切な体験の積み重ねの一石を投じたことになるからです。
教育の刷り込みによって、組織や集団の中にいれば言われたことしかやらない、言われていないことはしないといった歯車のように動くことを正しいことを思い込まされてしまいますがそうなれば自分で考えることをやめてしまいます。与えられた仕事だけを仕事だと思いこみ、何も言われなければこれでいいと信じ込んでいたりもします。目的を考えるのは上の人で、自分は言われたことをやればいいという心理は、目的を忘れた心理です。
大きな目的があるから人は勇気を出せますし、私の場合は子ども第一義という子どもの憧れた生き方や魂を磨くためにと思えば難しいことであっても不安や心配であっても、それがきっと子どもたちの未来に一石を投じるはずだと前のめりに歩んでいきます。
一歩進んで内省し、また一歩進んで内省すればその体験がすべて新しい経験になっていくことに気づきます。経験が少ないからわからなかったものも、経験を積み重ねることによって次第にコツがわかってきます。
コツがわかるまでやるというのが、経験をものにしていくことであり、分からないことはしないというスタンスはそこにはありません。分からなくてもやってみようと思ったり、やるなかで学んで深めていこうと成長を優先する生き方は、長い人生においてその質の明暗を分けてしまいます。
大きな使命や目的に日々に生きる人は、日々のすべてが挑戦であり、日々のすべてが勇気の連続であり、日々のすべては目的に達するための貴重な一歩です。
引き続き、誰もやったことのないことに挑んでいくのだから先入観を持たずにありのままに来たものを受け止めてそこから学び、新しい経験の上に立つ未来を信じて歩みを味わっていきたいと思います。