指示待ちの刷り込み

刷り込みの大きな一つに、「言われたことしかしない」というものがあります。仕事は、誰かから指示されてすることが仕事だと思い込んでいる人は、まさに文字通り指示待ち人間になってしまいます。

教育によって、誰かに何かを指示されることが当たり前になってしまうと指示されることが当然だと思い込んでしまいます。そうなってしまうと、自分から何かをやろうとは無意識にしなくなっていき指示が来てからはじめてやってもいいんだと思い込むようになります。

しかしよく考えてみると、指示を出す人というのは何かを考えて指示を出してきます。そこに参画するには指示待ちで指示が出てから考えればいいのではなく一緒に考えているから指示をはじめて理解して指示通りに行動することができてきます。つまりは言われたことだけやればいいのではなく、如何に言われたこと以外のことを考えているかで言われたことだけを正しく行うことができるのです。

よくあの人は言われたことしかやらないとか、言われたこともできないとか言われるのは刷り込みによって思考が停止させられているからだとも言えます。

まず指示が来てからが仕事ではないということを自覚し、「一緒に仕事をしているのだ」ということを強く持ち、「本当は何か、相手のニーズは何か、目的はどうなっているか、その手段はどうするか」と共に考えることが仕事であってもっとこうしたらいいのではないかと具体的な提案をし主体的に動くことが本来の仕事であると定義を変えるしかありません。

なぜ指示待ちで受け身がよくないかといえば、一緒にやっていないからです。一緒にやるというのは言われたことをやるのが仕事だと思い込みただ遂行すればいいのではなく、その仕事を他人事にせず自分の仕事だと思って相手以上に考えていく癖をつけることです。

当事者意識といいますが、もしもこれを自分がやるとしたらと考えていればそれは一緒に考えているということです。どこか相手から言われたら考えればいいや、相手が指示をくれれば動けばいいと思っていたらその仕事は他人事になってしまいます。

仕事は、自分の立っている部署や場所からみればその仕事が全体のように見えるものですが、実際は全体から観たり、高所から観ればどんな仕事も細部までつながって全体を形成しているのです。だからこそ自分の見えるところだけで与えられたところだけでそれを指示通りすればうまくいっているのではなく、全体から自分を見てみるとそれはとても大事な指示なのがわかりますから一緒に全体のために働くことが自分事にするということです。

大きな会社ならまだしも小さな会社で働く場合は、近くに経営者がいますから何処を観ているのか、この仕事の本当の目的が何かなど、一緒に考えていく中で近づいていくことができます。

主体性を取り戻すのは、刷り込みを取り払い他人事をやめてしまうということです。そのために必要なことこそが、チームや協力していくことであるのは明白なのです。

引き続き実践をしながら、実験を続けていこうと思います。