日本人の甦生

かつて毎日新聞に元世界銀行副総裁の西水美恵子さんによる寄稿で「東日本大震災から2年 日本から学ぶ10のこと」というものがあります。震災後にチェーンメールで世界に拡散し、多くの外国人から称賛と共感のコメントが入ったとも言います。そこにはこうあります。

「10 Things to learn from Japan 日本から学ぶ10のこと」(西水美恵子訳)

1 The Calm(平静)
悲痛に胸打つ姿や悲嘆に取り乱す姿など見あたらない。悲しみそのものが気高い。

2 The Degnity(威厳)
水や食料を得るためにあるのは秩序正しい行列のみ、乱暴な言葉や無作法な動作など、ひとつとてない。

3 The Ability(能力)
驚くべき建築家たち。ビルは揺れたが、崩れなかった。

4 The Grace(品格)
人々は、皆が何かを買えるようにと、自分に必要なものだけを買った。

5 The Order(秩序)
店舗では略奪が起こらない。路上では、追い越し車も警笛を鳴らす車もない。思慮分別のみがある。

6 The Sacrifice(犠牲)
50人の作業員が、原子炉に海水をかけるためにとどまった。彼らに報えることなどできようか?

7 The Tenderness(優しさ)
レストランは値を下げる。無警備のATMは、そのまま。強者は弱者を介助する。

8 The Training(訓練)
老人も子供も、全ての人が何をすべきか知っていた。そして、すべきことをした。

9 The Media(報道)
崇高な節度を保つ速報、愚かな記者やキャスターなどはいない。平静なルポのみがある。

10 The Conscience(良心)
停電になった時、レジに並んでいたいた人々は、品物を棚に戻して静かに店をでた。真のインスピレーションを感じる。日いずる国で起こっていることに。

私たちは国内にいれば当たり前と思えることでも、世界ではそれは当たり前ではないことが多々あります。その一つに日本的な生き方や日本人の精神というものがあります。

礼を重んじる心や和の心の源泉は、先祖代々からの生き方の集積でもあります。その血が流れている私たち日本民族は、忘れているようでそれは精神に連綿と繋がり染込んでいます。そもそも「礼」とはお互いを尊重し合うという孔子の思想が、「和」をもって尊しとなすという聖徳太子によって和訳されたものです。それを国家の基礎に据え、私たちはここまで国を発展繁栄させてきました。

それが災害時や有事の時には思い出し、一人ひとりが自制をし全体がよくなるようにと行動するところに和や礼の精神が息づいているのを感じるのです。以上の10のことは、その和と礼に改めて気づかされる内容ではないかと私は思います。

日本文化において「人間を尊重し合うためにお互いを思いやる」ということは、奥深いところに根付いている根本的な生き方です。

引き続き、子どもたちに和魂の未来を譲っていくために民家の甦生だけではなくそこで育つ日本人の甦生、初心伝承に引き続き取り組んでいきたいと思います。

正解思考の刷り込み

幼少期からの刷り込みの一つに、正解思考というものがあります。いつも自分で本質を考えずに、誰かが言うことの何が正しいか間違っているかを常に教え込まれてしまうといつも正解思考の刷り込みを持つものです。

この正解か間違いかというのは、まず必ず正解がどこかにあることが大前提であり誰かが必ず自分の答えを持っている思い込んでしまいます。そうなると相談一つであっても、どこかに存在するであろう答えを確認するためのものになってしまい本来の相談の意味ではなく単なる正解探しになってしまいます。相談とは、問題の解決のために話し合ったり、他人の意見を聞いたりすることをやることですがこの相談の定義すら正解思考を持つとすげ換ってしまいます。正解探しが相談することになってしまえば、答えを持っていない人に相談しても意味がなく結局は一人でやった方がいいということになります。

特に組織において上司が答えを持っていると思い込んだり、先生が答えを持っていると思い込んだり、教科書通りにやっていくことが正しいと信じ込んでいるとマニュアル思考になってしまいます。

このマニュアル思考とは何か、それは受け身で依存体質、指示待ちになっているということに他なりません。主体性というものは、本来、自ら考えて行動する力であり、それは答え探しをするのではなく一緒にそのプロセスを考えながら最終的な方向へと進めていく能力でもあります。結果から考えるのではなく、その進路において一緒に答えを意味づけしていくということの連続です。日本人は特にその刷り込みが多く、マインドマップやブレーンストーミングなどでその刷り込みを取り払う研修も増えています。

話を戻せばそもそもすべての行動には目的があるものです、つまり何のためにやるのかという理由があります。それを目指してそこに向かうプロセスにはありとあらゆる組み合わせがあり、ありとあらゆる途中過程があります。その方針を確認したら、あとはその方向に向かってみんなで協力して助け合いながら歩んでいくことが主体性ともいえます。

況や、主体性とは自分から答えを導きだしていくための道程であり、それは決して誰かの正解を探して正解になることを求める工程ではないと私は思います。

何度も何度もパブロフの犬のように条件反射で、誰かの評価ばかりを気にして正解を教え込まれ、その正解を見つけては褒められ評価されるということを繰り返しているうちに、正解は自分以外のだれかが持っていると思い込んでしまうのでしょう。しかし大宇宙のようにこの世のすべてが一つの正解で理解できることなどは存在せず、無数無限の正解があるのです。それは人間が同じ人は誰一人存在していないことが証明しています。

人が協力することができるのは、一つの正解を信じ込んでいるからできるのではありません。一人ひとりが多様性を発揮し自分らしく生きて周りのアドバイスに助けてもらい、主体的に自ら問題に果敢に挑んでいくということの連続によって主体性は伸びていきます。それが多様性の本質であり自然体になるということです。

このブログもまた決して読む人に正解を教えているのではなく、間違いだと言っているわけでもはなく、刷り込みによって受け身になり依存になり、誰かの正解にゆだねるような生き方をしてしまったことを反省し、本来の自分の決めた生き方を優先していきようと自己を発奮していくために内省し記しただけです。

どうしても語気が激しくなるのは、その刷り込みの感情が自分の中にもまだ残っているからかもしれません。自分らしく生きられなかった頃のつらさも今では福に転じている私のように同様に悩んでいる人たちの力になりたいと切に願うのです。

子どもたちが自分らしく自分の有意義な人生を充実させ、いのちを昇華し、たった一つの個性を世界に役立てていけるように刷り込みを取り払い本来のその人の価値が燦然と輝くように今を生きる大人(先生)の使命として見守り続けていきたいと思います。

 

暮らしの信仰~生活即信仰~

先々月から掘り始めた手掘りの井戸は無事に最後の仕上げまでを終え甦生することができました。振り返ってみると、不可能に思えたことが何度もありその都度、仲間や井戸職人、また聴福庵に助けられ信じる力が高まって掘り進めることができたように思います。

そもそも古民家甦生の中で水神様をお祀りすることは決めていましたが、その最初の背中を押していただいたお客様がいて、井戸掘りの最中、ずっと見守ってくださった井戸職人さんがいて、楽しそうに手掘りで掘り進めてくれた仲間や家族があり、最後は水が湧き活気づき、聴福庵の喜びもあって甦生することができました。

多くの関係者の御蔭様で、みんなで協力して助け合ったからこそ信じる力も伸ばし今回の甦生が行われていることに気づき改めて感謝の念がこみあげてきます。

澄んだお水が井戸から滾々と湧きあがってきますが、これもみんなで信じて助け合って湧き出てきてくださったお水です。その奇跡のお水をいつまでも忘れたくないと思い、みんなが力を合わせた美しい暮らしが子どもたちへ永遠に続くことを願い、井戸の水神様をお祀りしようと思いました。

人は、信じることと、お祈りすること、そして実践すること、感謝することを繰り返すことで一つ一つの心のご縁を結んでいくものです。言い換えるのなら、御蔭様の有難さを感じながら一つ一つが自然に結ばれていくのを信じ待つ心境とも言えます。

信仰心というものは暮らしの中に深く息づいており、暮らしが実践されるときそこに信仰心が育っているとも言えます。日本の家が子どもたちの先生となり、日本民族を伝承するなかで、何よりも尊い伝承の一つがこの「信仰心を育む」ということではないかと私は感じます。

今回の井戸堀りであっても、さまざまな困難があるとき仲間たちは自然に水神様に祈り、そしてみんなで信じ、協力し助け合い行動し、最後は感謝をして何度も何度も手を合わせていました。こうやって何回も何回も暮らしの信仰を続けていく中で私たちは魂を磨き、心を高めていきます。

日本人の暮らしの中心には常に信仰があり、宗教などなくても生活即信仰という道の生き方があるのです。私の人生の実践でもあるかんながらの道もまた、この自然への信仰と祈り実践と感謝の道であり、これを続けることでどのようなご縁に結ばれ天命を果たしていくのか、あるがままを受け容れてあるがままに活かされていくという境地を学ぶ旅でもあります。

引き続き今回の体験を子どもたちの未来に結んでいけるように、体験した学びを暮らしに役立てお仕事に活かし、仲間やパートナーと一緒に平和な社會の実現に向けて学び直して精進していこうと思います。

ニッポン文化の甦生

昔、ACのCMで「ニッポン人には、日本が足りない」という動画がありました。これは元銀山温泉老舗旅館のジニー女将が「日本人は日本人のいいところを忘れている」という内容で動画で日本人の素敵なところを自らが表現されています。映像では素朴で素敵な日本人の生き方を愛し、自らその懐かしい姿を守るために老舗旅館を経営している姿が映し出されています。古きよき日本を愛したジニーさんはその後、旅館が洋風のデザインに走り親族との経営方針が合わず帰国したとありましたが今はどうしているのでしょうか。この外国から来たジニーさんは、ひょっとしたらニッポン人よりもニッポン人だったのかもしれません。

人間は外国に限らずどんな組織であっても、自分の居る場所や所属しているものが当たり前になってしまうと当たり前に気づかなくなってしまうものです。本来、外から見れば大変素晴らしいことをやっていると思っても自分自身がその価値に気づかなければそれを忘れてしまいます。

もしも忘れてもそれが当たり前に維持できているのならいいのですが、本当に大切なことまで忘れてその当たり前が失われてしまえばその素晴らしいこともまた消失してしまうのです。素晴らしいものを失ってほしくない、懐かしいものをいつまでも残していきたいという心は、当たり前ではないことの再発見であり、温故知新であり、文化の継承でもあり、伝統の伝承でもあり、民族にとって何よりも優先する大切なものです。

私は、この当たり前と思っている文化こそ今の時代に見直す必要を感じます。なぜなら西洋から入ってきたり、世界から入ってくる文化を日本に和訳したり和に転換するのではなくそのままに挿げ替えて他の文化を自分の文化だと勘違いしていればそのうち日本人であることを忘れていくからです。取ってつけたような文化を自分の当たり前にしていたらそのうち自分たちがどんな民族だったかも忘れてしまうでしょう。

古来から和魂漢才や和魂洋才といって、和魂を持つ日本人であるのが大前提でそれをどのように新しく海外からの知識を自分たちが和で調理して日本のものにするかがその時代を生きる民族の使命でした。今では幼少期から西洋の知識や文化が自分たちの文化だと刷り込まれ、本来の日本人であったことを失わせているように感じます。

民族というのは風土が育てるもので、風土の中で醸成され出来上がるものです。風土に根を張り、風土の養分を吸い上げていくからその民族はその風土のなかでもっとも活き活きといのちが伸び、その独特の文化が世界の中の多様性を発展させていくものです。それは単に流行の新しいではなく、普遍的な新しさを持ち続けていくということです。

和魂を持つものが日本民族を継承し、その日本人が和魂のままに世界の文化を吸収し普遍性を発揮していくから世界の中の日本として人類の文化を繁栄発展させていくことができるのです。

しかし今の時代のように日本人がニッポン人を忘れ、日本人の精神や心や暮らしや生き方を消失してしまえば和魂は弱体化していきます。昔の日本人は正直で素朴、目がイキイキしてみんな愉快に笑っていたといいます。和魂が満ち足り、日本文化が伝承されていたときは根を張った野性の生き物たちのように元気に活動できていたのではないかと思います。その根拠は、自然農と同じくその命はもっともその風土で活き活きするからです。育て方を西洋式に換えた野菜には、その活き活きした命を感じられません。

日本に適った育て方、日本に合った育ち方が、自然環境や風土にあるのを無視して西洋の文化の育て方や育ち方をすればそのいのちは貧弱になるのです。野性化というのは、そのものの文化を丸ごと吸収して一体化するということです。

改めて日本人がもう一度、ニッポンの価値を取り戻すことの重要性をひしひしと感じます。もうここまで来たらよそ見をしている暇などありません。引き続き子どもたちの未来に向けて、優先順位を研ぎ澄まし、風土に根を掘り下げてニッポン文化の甦生、初心伝承をカタチにして子どもたちの現場に届けていきたいと思います。

 

住まいの源流

瓦葺きを深めている中で、そもそも屋根の原点とは何かについて考えてみました。そもそも現存する中で最初の人工的な建物には竪穴式住居があります。最も古い竪穴式住居は鹿児島県の上野原遺跡で見つかった約9500年前のものが最古のものです。

以前、私も上野原遺跡を訪問し見学したことがありましたが火を中心に暮らしをし、桜島が見渡せる丘にあり、身近には海と山、豊富な魚と動物、また木の実を採取できる場があり、そこに定住するための住まいとして竪穴式住居をつくったといいます。この竪穴式住居はその後、平安時代にはほとんどなくなり、室町時代の東北地方を最後に完全に造られなくなったといいます。

この竪穴式住居を簡単に説明すると、土地は緩やかな勾配のある場所を選び、そこから土を少し掘り込み平地よりも下げたところに土間を設け、中心には囲炉裏、天井には樹皮や藁を被せ、三角形になったテントのような建物です。祭祀できる小高い丘を中心に邑を形成し、その周りにみんなで助け合い住んでいました。

この住宅のつくりには縄文人のころからの住まいの智慧が凝縮されており、これが今の日本家屋の原点とも言えます。つまりは下が土、そして天井には通気口をあけ、家屋の真ん中に囲炉裏の火を熾し続ける。常に天地の間に流れる水と風を通気させ、その中心に火を配置することにより換気を促し、四季折々の絶妙な調湿も果たし、全体を燻すことで外からの病害虫を防御し、もっとも人間が末永く自然環境と共生する仕組みを住まいに導入していたとも言えます。この住まいの源流があって、その後、さらなる定住の長期間の住まいを持たせる工夫として瓦なども発達したのではないかと私は思います。

現在のように、土から離れ密閉住宅をつくり、冷暖房によって調湿をし、ガスの火や水道の水、化学物質に囲まれた住宅が健康に良いはずはなく、不自然の中での暮らしや住まいが人体と人生に影響を与えていることが大きいとも言えます。

短期的に活動するような住まいであればいいのですが、定住するとなればもっとも優先したのは「生命の保持」であり、鋭敏な自然感覚の維持であり、健康で元気に安心して暮らせるものを「住まい」としたはずです。

本来の人類の智慧はとてもシンプルで、健康や自然、生命生活が安心する基盤があって暮らしがあることを自覚していましたから当然住まいもまたその理に適ったものを建てたはずです。

今のように科学が進んで建築が発展したかのように思われていますが、人類本来の住まいからほど遠くなった近代の建物は果たして先祖の智慧が凝縮された最先端のものであるのかと疑問に思います。

そもそも火を中心に囲炉裏の生活が失われてから、同時に屋根や瓦についての理解も減退してきたように思います。土や火、水や風、闇や光といったものを感じない建物は、人間本来の五感を消失させていくようにも思います。縄文人は天地を逆さに観ていたからこそ、屋の上に屋根があったのではないかと私は思うのです。自然と共に暮らすということは生命維持の根幹です。

これから人工知能による課題や自然災害が猛威をふるってくる時代に入るに際し、自然の五感を磨くことは人類存続の上でとても重要なことであると私は思います。引き続き、先人の智慧を甦生させつつ子どもたちに日本人の初心を伝承していきたいと思います。

瓦葺き3

瓦の役割として、建物を守るというものがあります。それは単に風雨から守るだけでなく、大火からも守り、地震からも守ると言われます。よく地震の時に瓦が重く建物が倒壊したというニュースがありますが、実際は瓦のせいで建物が倒壊するのではなく、古来の建築工法を無視して近代のものに換えたことで倒壊するようになったことは建築基準法の成立前後の歴史を見ればわかります。

古来から地震が多かった日本では、地震になっても倒壊しない建物を研究し建て続けてきた民族です。瓦はその大切な建物を守るためのものであり、建物を倒壊させる理由のものではないのは明白です。

先般、熊本の大地震で熊本城の天守閣の瓦が落ちていく映像が報道されました。これは地震時には瓦は振るい落とされ、建屋の倒壊を防ぐために落ちるように設計されています。いまでは釘で瓦を止めますが、古来はわざと瓦を固定していなかったそうです。そのことで瓦がずり落ちて軽くなった建物がそれ以上傾くことなく、倒壊しないで人のいのちを守る役割がありました。

また瓦の発想は元来、魚の ”うろこ” であり、魚の鱗のことを ”かわら” と呼んだそうです。中国ではこれを釘で止めましたが日本人はこれを敢えて土や泥で固定することによって滑るようにしたといいます、つまり敢えて滑らせることで地震や台風への対応にしたのです。

先人たちは自然と対立し対決するのではなく、自然を畏れ謙虚に敢えて自然に逆らわないように創りこむことで守る方法を考案しました。日本建築は日本人の精神で建てられたもので自然を支配したり自然に逆らったりすることがありません。

瓦も同様に、敢えて脱落するようにし家本体の構造部材や中に居る人たちを守るように用いられたのです。

近代の科学が最良と信じ込んでいる人が多い現代において、実際には古来からの先人の智慧の科学が今の科学を凌駕している現実を見ると果たしていま私たちが科学だと思っていることがどれほどのものかと改めて感じ直します。

先人の智慧が凝縮された瓦は、日本的精神を学び直す根本であり、この瓦葺きには自然災害をどのように生き延びていけばいいかといった智慧があります。水、火、風、そして金、土、月日すべてに順応するこの瓦はまさに家の守り神です。

改めて瓦の価値を見直していると、日本人として誇りに思うものがこの屋根にあり、屋根が家の根源を守っているのだと感じると改めて日本建築根本の価値に気づきます。家屋の根と書いて屋根ですが、この家の根っこを支える重要な道具に瓦があったということが何よりもこの瓦の価値の証明です。

引き続き瓦を深めつつ、子どもたちに日本人の精神を伝承していきたいと思います。

 

瓦葺き2

日本ではまだ瓦葺きの屋根を見かけることが多くありますが、今の瓦になるには長い年月をかけて創意工夫された歴史があります。はじめは寺院を中心に、その後は、城郭に、しかしその後、庶民の町家などに採用されるまでには数々の工夫が施されています。

瓦の歴史を調べているととても大きな転換期があることに気づきます。安土桃山時代から江戸時代初期まで瓦葺きの建造物といえば寺院か城郭がほとんどで一般人の居宅に瓦が用いられることはほとんどなかったといいます。それまでは瓦屋根は本瓦葺といって、平瓦と丸瓦をセットで組み合わせて葺くものでどうしても重量がかさみ、建物自体の構造がよほどしっかりしていないと採用されておらず頑丈に造られた寺院や城郭に用いられました。

そこでこの平瓦と丸瓦を一つにまとめた桟瓦(さんがわら)というものを1674年近江大津の人で西村半兵衛が発明します。ちょうど江戸幕府は繰り返される大火に悩まされており火事による被害を最少限度に食い止める方法を模索していました。その際に、屋根を瓦葺きにし壁を漆喰で塗り腰高までをなまこ壁にしました。そのころから町家や商家では、土壁と瓦葺きが広まっていったのです。

昔の古民家といえば、茅葺屋根を連想する人が多いと思いますが街道沿いや都などは瓦葺きがほとんどです。耐水、防水だけではなく耐震や防火にも優れた瓦はまさに日本の風土に適応しながら変化してきたとも言えます。その陰には、職人の方々の創意工夫と共に瓦は今でも日本の文化として息づいているともいえます。

しかし今では、洋瓦をはじめ屋根はスレート瓦、セメント瓦、ガルバリウム鋼板、ジンカリウム、ステンレス、ファイバーシングルなど、本来の瓦とは異なる素材のものも瓦と同様に用いられています。安価で便利に手に入る化学合成の素材や金属の屋根が開発されてから、それまでの本来の瓦ではなくなっていきました。

半永久的に日本の風土で維持できる瓦が失わる理由は、建物自体がそんなに長い間持つものではなくなってきているのもあるのでしょう。古民家が失われ、現代建築が主流になった今では数百年の家のための道具ではなく数十年持てばいいのですからそういう素材の方が販売もしやすく手軽です。最近では寺社仏閣でもそのような瓦風のものが導入されてほとんど本物と見分けがつかないものです。

職人が悠久の年月、子孫のためにと創意工夫を重ねてきたものが失われてしまえばもう一度それを甦生させるというのは至難のことです。

これから瓦葺きに取り組むに際し、西村半兵衛氏が発明したような価値の転換が必要になります。改めて、子どもたちのために復古創新ができるように引き続き丁寧に瓦と日本文化を深めてみたいと思います。

 

 

瓦葺き1

いよいよ聴福庵の離れを建築するにあたり瓦のことを深めています。瓦は、田舎にいけばまだまだたくさん見かけることがありますが改めて瓦の歴史を調べてみようと思います。

そもそも瓦の伝来は飛鳥時代に朝鮮半島から仏教とともに伝わったとされています。はじめは寺院建築に使われましたが古代から中世にかけて当時の宗教・政治権力と結びつき城郭建築に使われ始めます。草葺屋根が主流だった時代には瓦葺きの屋根は、とても印象深い建物になったのではないかと思います。

その後、江戸時代後半には瓦が耐火性に優れていることから大火が続く城下町や街道沿いの建物が密集するところに瓦が葺かれるようになっていき実用的になりました。そして近代には機械化が進みどこの家でも安価で導入できるようになったといいます。特に有名な産地は「三州瓦」「石州瓦」「淡路瓦」があります。

「瓦(かわら)」の語源は、サンスクリットの「カハラ」の転化したものという説、屋根の皮の意、甲冑(かっちゅう)の古名「かはら」から出た説、またカメの甲を「かふら」と呼ぶことから出た説などがあります。

瓦は、耐久性に優れており特に釉薬が施されたものはなお長持ちします。日本の気候風土にも合致しており、高温多湿で長雨の降る日本では瓦は重宝されました。さらに、古来からの本瓦葺きの屋根は建物の呼吸を妨げず快適な室内環境を維持します。夏は涼しく冬は暖かく、屋根の輝きも美しく建物全体を優美にみせてくれます。防火防音にも効果もあるといいます。

これは土からできたものであり、地下の土、地上の土、天井の土という仕組みで建物全体を覆うということが瓦の仕組みでもあります。如何に土の中に暮らすか、これは先日伝統の左官の方とお話して気づいたこともありますが、瓦も土からできたものですからその本質は変わりません。

引き続き、瓦葺きに向けて瓦のことを深めてみたいと思います。

自然に学ぶ生き残る智慧

全世界で大雨や洪水の情報が報道されています。地球温暖化の上、南極の氷が融けたものが一体どこにいったのか。地球は一つの球体ですから、その融けた氷の行先は海と空であることは明白です。

私たちは何億年、何千年も前から地球環境の変化に順応しながら生き永らえていきました。どんなに発展した文明を持ったとしても、それが滅んでいるのは遺跡を観ればわかります。その滅んだ理由は、一つは人間の際限ない欲によって自滅したことと、もう一つは自然環境の大きな変化によるものではないかと私は思います。

太古から、人道と天道のことは様々な学問の書に記され、また先人から語り継がれていきます。日本民族は、アフリカから旅をしもっとも遠くまできた民族であるといわれます。その中で、如何に人道として和を尊ぶことが大切か、天道として如何に謙虚に自然と共生して生きていくかを伝承し自戒して生き延びてきた民族とも言えます。

世界でもっとも自然災害が多い国と言われ、大雪、大雨、津波、噴火、台風、洪水、地震、土砂災害などすべてが頻繁に発生する国土に住んでいます。これだけの災害が頻繁に発生する国だからこそ自然に対して謙虚にならざるをえません。さらには、自然災害が多いからこそ人々が助け合い協力し合い支え合わなければ生きてはいけないことを自覚しています。

つまりは人道としての和、天道としての謙虚を、さらにはその自然の恩恵をもっとも多く受けるのだから自然に感謝する心も育っていくのです。自然を常に観て、自然に沿って自然から学びながら生きていく民族は、八百万の神々といってすべてを「カミ」にし、敬謙な精神を養ってきました。

そのことこそが、もっとも永い旅をし、もっとも永く生きながらえてきた人類の智慧であったと私は思うのです。自然の猛威が増してくるこれからの時代において、私たちの先祖が経験によって得た智慧は必ず世界に必要とされていきます。

だからこそ私たちが近代に染まったり、刷り込みに負けて、本来の自分たちの民族らしさを失うのではなく、こういう時代だからこそ原点に回帰し、自然から学び直して生き方を修正する必要があると私は思うのです。

自然災害の前においてどんなにお金があっても生き残ることができないのは歴史が証明しています。

人類の存続を左右する大事な局面において長い目で観て判断をする人々が目覚めていくのを待つのも大切ですが、自らが行動して身近な暮らしを改善するだけでも自然から学び直すことができます。

引き続き子どもたちのためにも、信念をもって子どもたちに譲り遺していきたい生き方を甦生させていきたいと思います。

錆びない関係

地球が自転を已まず、宇宙が公転を已まないように、万物は進んで已むことがありません。同じように観えたとしても、常に変化し続けるのが世の中の理です。人はあの時、こうすればよかったとか、なぜああだったのかと時折後悔をすることもありますが、それもまた已むことはありません。

ご縁には出会いと別れがありますが、それは自分でどうにかできるようなものではありません。道中にある人に出会い、その人から学び、そして去っていく、そういうことを繰り返しながら人は成長を続けていきます。

以前、メンターから「錆びない関係」という話をお聴きすることができました。この錆びるというのは、健康で例えれば人間の体は鉄でできていますから酸化していくと錆びてきます。これを科学的には活性酸素といいますが、それによって錆びて朽ちていきます。健康な体を維持するには、抗酸化力をつけて錆びないようにバランスの善い食事や運動などをしていくことで錆びにくくなるといいます。

これを関係で例えれば、錆びないというのはお互い学び続けて成長を続けいつまでも新鮮なままでいられるということです。どちらも受け身にはならず、お互いに主体的に一緒に生き、一緒に暮らし、同じ目的を共有して自分を磨くことを怠らない。そして磨き合いながら切磋琢磨し、お互いの夢や信条に向かって協力し合うことができるということでもあります。

錆びない関係とは、常に磨き合える関係であり、どちらかだけが学ぶ関係ではなくお互いにお互いから学び合う関係をいつまでも維持しているということです。

メンターの「錆びない関係」という言葉は、学び続けて已まない、一向に成長意欲が衰えず、真摯に夢に向かって精進し続けているという励ましの言葉であったのでしょう。

私の場合はいつも後からメンターの言葉の価値や意味が理解できてきますからいつも時間差があります。一緒に歩み一緒に生きていく関係があるということの仕合せはご縁の感謝であり、それは無二の幸福を与えてくれます。

人間にとっての出会いと別れは、ご縁に由ります。

私は私のままで、自分の道を歩み切ったと過去に感謝し未来に感謝し今に感謝できるように謙虚に歩みを強くして前へと進みだしていきたいと思います。