主体性の本質

主体性を考えるときに、一つは世界観という物差しがあるかどうかということを思います。人は自分のいるちっぽけな世界を世界だと思い込んでしまうと、自分のことしか考えなくなるものです。主体性は、自らが世界になることであり世界の一員として自分が何をすることが役に立つのかを考えるとき発揮されていきます。

インドのマハトマ・ガンジーは、「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは、世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである。」といいました。

他にも「自分が見たい思う変革に、自分自身がなりなさい」ともいい、自分自身が変わることが世界が変わることだとも言いました。

私が思う主体性が発揮されない理由の一つは、それまでに教育や環境で刷り込まれたものが捨てられないからだとも思えます。それは今の自分が捨てられないということです。自分のプライドとか保身とか、そういうものを握っていたらなかなか自分を変えることができず生きづらい日々を歩むことになります。

人類のために自分が何ができるかを考え、自分が変われば世界もまた変わると思えばそれまでの自分に固執するのではなく自分がこうあってほしいという世界に向けて自分自身を改革していくことで刷り込みが取り払われていくようにも思います。

そして「あなたがすることのほとんどは無意味であるが、それでもしなくてはならない。そうしたことをするのは世界を変えるためではなく、世界によって自分が変えられないようにするためである」といい、日々に刷り込まれていく中で如何に流されずに自分自身であり続けるか、そのためにも主体性が常に必要で日々は改善と改革の連続であり「今の自分を毀し続ける日々」でなければならないように思います。それが実践であり精進の本質です。

柔軟性というものは、目的のために今の自分を毀し続けるということですから理念に合わせて自分をいつまでも持って頑固になるのではなく、理念に従ってもっと善い方があればそういう自分になっていくということでもあります。

最後にアメリカのJ・F・ケネディの演説が参考になります。

「世界の長い歴史の中で、自由が最大の危機に晒されているときに、それを守る役回りを与えられた世代というのは多くありません。私はこの責任を恐れず、喜んで受け入れます。おそらく皆さんも、この役目を他の誰かや他の世代に譲りたいとは思わないでしょう。我々がこの取り組みに注ぎ込む精力と信念、そして献身的な努力は、この国とこの国に奉仕する人々を明るく照らし、その情熱の光は世界を輝かせるはずです。そして、同胞であるアメリカ市民の皆さん、国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか。また同胞である世界市民の皆さん、アメリカがあなたのために何をしてくれるかではなく、人類の自由のために共に何ができるかを考えようではありませんか。」

このアメリカを会社に置き換えて読み直したり、このアメリカを日本に置き換えてみたり、世界に置き換えてみれば、すべては自分の改革にかかっていると呼びかけられていることに気づきます。

ケネディは、一緒に「つくる人」になって世の中を変えていこうと理念から呼びかけました。誰かがいつか何かをしてくれるという考えや、自分一人がやったってどうにもならないや、下っ端の自分のやることではないなどと思われる中で、そうではなく共に問題を一緒に解決していくためにみんなで理念や理想に向かって挑戦していこうとしたのです。

主体性というものは、まず人のせいにしないこと、そして自分自身が変わることを優先するものです。

引き続き子どもたちのためにも刷り込みに向き合い、人類の未来に向けて自分を変え続けていきたいと思います。