先日、聴福庵に古来のたたら製鉄法を用いた玉鋼の出刃包丁が届きました。和包丁の一つ出刃包丁は魚を捌くためのものであり、現代では肉を切るのにも用いられます。
出刃包丁の名前の由来は、「出刃包丁について確認できる最も古い記録は江戸時代の『堺鑑』であり、「魚肉を料理する庖丁」と紹介されている。その時には既に堺の名品として知られていたらしく、詳細な登場時期や普及過程などは明らかになっていない。 『堺鑑』には「その鍛冶、出歯の口もとなる故、人呼んで出歯庖丁と云えり」と記述されているが、これが普及や時間経過とともに「出刃」に変わっていったものと考えられる。」とウィキペディアにもあります。
なぜ出刃というのかと気になっていましたが、まさか大阪の堺にいる出っ歯の鍛冶職人が名前の由来とは思わず驚きました。大阪らしい感じがしますが、出刃包丁がよほどの使い勝手の良さと切れ味、個性のある鍛冶師だったのではないかと思います。
今ではスーパーでなんでも便利に用意してくれているため、昔のように魚の三枚おろしなどしなくなっていき出刃包丁も家庭での出番が失われてきました。肉も洋包丁を用いていますからますます出番がなくなってきています。
そもそも用途の歴史を辿れば、日本最古の包丁で現存しているものは奈良時代のもので奈良の正倉院で保存されていますがこの包丁は柄が長く日本刀に似た形をしているといいます。江戸時代になるまで、包丁はほとんど日本刀で切っていたということになりますからその切り方もまた日本刀に準じて「引いて切る」という切り方になったのでしょう。
江戸時代に入ると、平和が続き刀鍛冶の仕事が少なくなってきましたから包丁鍛冶師に転向していきました。江戸時代は例えば寿司の文化も開花しているように、他にもさまざまな食文化の発展と共に包丁鍛冶師も和包丁もまた進化していきました。
ちなみに寿司のはじまりは江戸時代後期の文政年間(1818~30)といわれ、創始者は江戸両国の「与兵衛寿司」の華屋与兵衛(はなやよへい)とも、江戸深川は安宅六軒堀(あたけろっけんぼり)の「松のすし」の堺屋松五郎ともいわれています。
そして明治時代に入ると西洋文化が入ってきて同時にいろいろな料理方法や料理と共に西洋のナイフが広まっていきました。特に牛刀という名前は、包丁で牛肉をさばくための包丁と言うことで呼ばれるようになったとも言われます。
そして西洋と日本の食文化を合体させた日本人は牛刀と菜切り包丁の機能を持つ「文化包丁」を創り出します。そして一般家庭でどの種類にも便利に使える「三徳包丁」になっていきました。今ではセラミックやステンレスの技術が入り、包丁はあらゆる素材で作られホームセンターなどでも販売されています。
私は現在、今の時代に包丁文化を甦生させている最中ですから敢えて玉鋼の包丁を用い研ぎ、学び直しながら創意工夫をしていますが改めて使えば使うほどに、その持ち味に感動しますから引き続きこの包丁の文化もまた子どもたちに伝承していきたいと思います。