人生において主体性や自主性は、参画や参加によって磨かれていくものです。そしてその一人ひとりが参画し参加することで社會は形成されていきます。人間は社會を創造する生き物ですから、如何に周囲とつながり自分を活かしていくかは人間の命題でもあります。
上下関係の刷り込みを持ち人は誰かからやらされたり管理されたりすることが当たり前になると、やらせる側とやる側が分かれてしまいます。黙って口を空けていれば勝手に押し込んでもらえるような生活を続けてしまうと、自分から取りにいこうとも思わなくなるものです。この刷り込みが邪魔をして参画することも協働することもできなくなるのは事実です。
これは幼少時からの詰め込み教育にはじまり、誰かが管理し教え込み、何度も無理やり詰め込まれているうちに自分から何かをしようとする興味もなくなっていきます。そうなると次第に学ぶ意欲が失われ、ロボットや機械のように同じことを繰り返す人間になってしまうこともあります。最初は抵抗するのですが、そのうちこれが楽なことを知り、それに依存してしまうのです。しかし本来の人間らしさや個性を発揮していくには、まず受け身であること、他人のせいにできることを捨てていかなければなりません。これは楽にはなりませんが、主体的に責任を持つことでなんでも楽しくなるものです。
そのためにまず必要なのが参加や参画することです。
まず参加するとは、ある目的をもつ集まりに一員として加わり、行動をともにすることを言います。会社に所属すればすでに一つの社會の一員ですから参加していることになります。そして参画ですが、これは計画段階から一緒に取り組んでいることをいいます。今の時代は、如何に無関心を取り払い社會の一員としてみんなが参画してくれるかがどの社會においても課題になっています。
この参画は、例えば人のアイデアに乗っかったり、わざわざ自分から足を突っ込むというようにはじまりの段階から一緒に取り組んでいくことで実現します。先に進めてしまったり、勝手に一人でやっていたら参画する機会がありません。如何にはじまりのところから一緒に取り組むかが大事で、途中参加だと主旨が分からずに最初は着いていけなくなったりするからです。参画意識というものは、誰かからの指示が降りるのを待つのをやめることで高まっていきます。
人生を楽しくするのも、仕事を楽しくするのもすべてはこの参画意識からはじまります。それは会社経営においても、自分から運営に参画したり経営に参画しているという自覚を持てば仕事は楽しくなってきます。やらされたりさせられたりする仕事は面白くなくなってきます。如何に面白い人生、楽しい仕事にしようとするのなら自分からその人生や仕事に進んで参画して自分自身が主体的に自分の人生の主人公になっていく必要があるのです。
やりたくないことを続けているうちにマンネリ化し、やりたくない中でサボることが楽しいとインプットされた末路は空虚なつまらない日常が訪れるかもしれません。
まずは自分の中にあるその上下の刷り込みや管理の刷り込みを取り払い自由になることに挑戦することかもしれません。これに気づかずに無意識に苦しんで孤立している人が組織にはたくさんいます。実際に大人の刷り込みを取り払うのは本当に大変ですが、取り払うことで生まれ変わりその人が甦生し個性が活き活きする姿が見たいから何度も失敗しても私はそれに取り組んでいくのかもしれません。子どもたちには、最初からの姿のままで大人になってほしいと願います。
参画と協働は、常に表裏一体です。
引き続き、子どもたちのためにも見守ることを学びながら自立の意味を深めていきたいと思います。