日本の伝統的な教育

日本の伝統的な教育に寺小屋というものがあります。これはウィキペディアには『江戸時代の上方において、寺院で手習師匠が町人の子弟に読み書き・計算等を教えた学問施設である。「寺小屋」の名称は上方で用いられ、江戸における町人の子弟の学問施設は「筆学所」「幼童筆学所」と呼ばれた。』とあります。

江戸時代の日本人の識字率は75%以上であったといいます。イギリスでも25%、フランスでも15%だったことをみると如何に全国的に教育が盛んであったかが分かります。

この背景には今のように学校という施設が義務教育によって子どもたちを集めて一斉に教えていたのではなく、全国各地に私塾や寺小屋といった場所が約一万カ所以上開かれ、身分の差を超えて子どもたちに教育がいきわたっていたことがわかります。

その寺小屋での教育は、師匠は場を見守りながら子どもたち同士で学び合うというやり方が用いられていたのが古い文献などからわかります。薩摩の郷中教育なども同様にに、師匠や先輩、後輩たちが一緒一体になって学び合う「場」が創造され優秀な人材を多く輩出していきました。またそのころは安価な貸本屋などもあり、どんな貧しい家に生まれても学びたい人は自由に教育ができるような仕組みができていたといいます。

かつての「日本の教育の定義」は、江戸時代の武士の学校の最高峰でもある昌平坂学問所の学長である佐藤一斎のこの言葉から窺い知れます。

能く子弟を教育するは、一家の私事に非ず。足れ君に事うるの公事なり。君に事うるの公事に非ず。足れ天に事うるの職分なり。」

これは意訳ですが「子どもたちを教育するのは一家の私事ではありません。またこれは社會のための公の使命があります。そしてこれは公の使命だけではありません。子どもたちがそれぞれに天命を果たすための大切な本文なのです。」と。

本来、誰かが誰かに教え込みコントロールするために用いられた西洋式の教育とは定義が異なり、日本では「天命を果たす」ことができるように見守っていくことを教育の定義としていたように私は思います。

それぞれの子どもたちが、社會の中で自分の役割を果たしていくことでお互いの仕合せだけではなく全体の幸福につながっていきます。そのような社會を創るために取り組むことが教育者であり、その使命は天命を全うすることに由ります。社會を創るために命懸けで人を育てる志事こそが教育であったのですから、全国各地で平和で安寧な世の中を継続していくために寺小屋はとても大きな役割を果たしたように思います。

現代の教育と古の日本の教育、似て非なるものになっているように感じます。

古からの伝統的な日本の教育は世界に誇れるものでしたが、西洋式に換えてしまって変わったこの教育の定義をどれだけ原点回帰し温故知新できるかは今の時代の教育者たちに懸かっています。天命を活かすとき、社會は活かせます、その時、世界は永久的な幸福に包まれます。これは自然界がすでにお手本になっているのと同じです。

社會のため、天命のためにと改めて原点回帰が必要な気がしています。

引き続き、日本の教育のことを深めながら世界の多様性に一石を投じられるよう研究して発信していきたいと思います。

 

観光創生化とは何か

引き続き「まちづくり」の観点から私の造語でもある「観光創生化」について少し深めてみます。

そもそも「観光」という言葉は辞書によれば『[名](スル)他の国や地方の風景・史跡・風物などを見物すること。「各地を観光してまわる」「観光シーズン」「観光名所」[補説]近年は、娯楽や保養のため余暇時間に日常生活圏を離れて行うスポーツ・学習・交流・遊覧などの多様な活動をいう。また、観光庁などの統計では、余暇・レクリエーション・業務などの目的を問わず、1年を超えない非日常圏への旅行をさす。』(goo辞書)とあります。

この補説の部分が世間一般的な常識的な観光のことを指し、旅行によってその地域に遊覧にいくことをいうように思います。しかしこの「観光」の語源の由来は中国古典四書五経の「易経」で出てきた言葉で本来の意味は『国の光を観るは、もって王に賓たるに用うるに利し』といいます。

私の意訳では、「他国の宝を観て学ぶことは自国の宝を見つけ磨くためでもある、これは王の徳の近くにおいて大変な価値がある」とします。つまりは「観国之光」の光とは「徳の宝」のことを指し、この徳の宝を観ることがまさに自分を磨き、自国の魅力をも発掘する基礎であるという意味に解釈します。

日本は、観光を重要な政策の柱として掲げ「観光立国」を打ち出しました。しかし、私自身が観光地を色々と観てみるとあまりその地域の観光の徳の宝が出ているとは思えない利用の仕方が目立っていたように思います。

例えば、古い文化財の建物だけを補助金で修理し見学料だけとって案内しているもののそこには暮らしがなく、保存したものを見るだけでは生きた施設にはなりません。それに見た目は古い町並みであっても中身は県外からの企業に運営を委託され御洒落な店舗やそこでなくてもいい目新しいものを買い物できるようにしてもそこに暮らしは創生しません。

かつての暮らしが遺っているところ、伝統が今でも連綿と息づいているところに人々は本質的に徳の宝を感じるものでありそれを学ぶために集まってきているのです。人が感動するのは、長い時間をかけていまでも伝承されている暮らしを感じるときであって見せかけの見世物をみてもまた再び観たいとは思わないものです。すぐに飽きられるようなものに光はなく、そこに宝を感じません。光り続けるのは暮らしを磨き続けるからであり、それを私は観光創生化と名付けているのです。

観光創生化がちゃんと実現している地方は、いまでも懐かしい未来があり、いつまでも古くて新しい光を放ち続けて人を集めます。その光はたとえ世界広しといえども世界各国からその徳の光を観て多くの観光客が訪れてきます。

付け焼刃の予算で、付け焼刃の観光をやろうとしても長続きするはずはありません。古来のたたら製法で打つ本物の日本刀のような本来の観光の意味を正しく捉え、如何に暮らしを甦生させていくかを真摯に足元から見つめ直すことでその地域の徳が魅力として顕現すると私は思います。

引き続き、子どもたちのためにも未来にその地域の徳がそのままに継承していけるように今の世代を生きるものとしての役目を長い目で観て粛々と果たしていきたいと思います。

 

まちづくりとは何か

今月は、近畿大学九州短期大学主催でまちづくりの座談会と子どもたち向けに縁日を聴福庵にて21日、22日の2日間で開催します。縁日では長年協働しているクラムアートの代表の福田康孝氏にも千葉県館山から来庵いただき貝磨きのワークショップをしていただきます。地域のお取引先の保育園、幼稚園の子どもたちにも案内を出し、はじめてこの「場」を提供して触れ合ういい機会になりそうです。

もともと聴福庵は、復古創新という言葉を島根の石見銀山生活文化研究所の松場登美様から教えていただき私なりに暮らしの甦生に取り組んできました。様々な伝統技術や日本的精神を伝統職人さんたちから学び直し、その初心を子どもたちに「伝承する場」、つまりは「学舎・道場」のように活用して場を育てながら暮らしを甦生していきました。

そもそもまちづくりとは何かと訊かれると、私はそれは「暮らしである」と断言します。暮らしのないまちづくりは単なる箱だけを用意したものであり、そこに確かな暮らしが甦生されてはじめてまちづくりになっていると言えるからです。このまちづくりは、「まち+づくり」からできている言葉ですが、私の勝手な解釈ではここでの町は単なる町ではなく、「暮らすまち」のことです。そして「づくり」というのは何か、これも私の解釈では「磨き甦生」させることです。その合体した言葉がこのまちづくりの本質です。

暮らしを磨き、如何に新しい価値を今に温故知新しそれを甦らせていくか。

もしもこの逆に、暮らしをやらず、甦生もしないのであれば、それは単なる新しいものを増やしたにすぎません。お金をかけて箱ものを用意しても長続きしませんし、かえってそのサービスに依存する人たちが増えていきます。これではまちづくりへの参画にはなりません。縮退時代に入り、地方の人口が減り少子化になり、空き家が増え、行政のサービスも減縮し、いよいよ過去の遺物が保存できなくなるなかで、今までのような町作りばかりやっていても何も変わっていくことはないと私は思います。

一人ひとりが本来のまちづくりに目覚めることは、原点に帰り一人ひとりが自分自身の暮らしを甦生していくことを実践していくことで醸成されていきます。ただ町にいてそのままにして流されるのではなく、故郷を守り住む一人として、一人ひとりが今一度、「暮らしの甦生」に取り組み、「暮らしから地域を変えていく」ことではじめて本物のまちづくりは為ると私は思っています。

そしてこれは子どもたちがイキイキと個性を発揮して社會を創っていくのも同じです。一人ひとりが、主体的にその空間や場で活動する中でその場は創造され空間が醸成されます。その行為の一つ一つこそ暮らしの本質であり、その暮らしがみんなと一緒に体験したり味わったり学び直したり磨いたりする中で甦生するのです。

今回は、タイトルに「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」とした意味はまさに「まちの宝を創造していくのは民家としての暮らしを甦生する人々がその場に参画することでまちの魅力が磨き直され光り出し、その品によって人々を集める」という意味です。

私たちの取り組む理念は、子ども第一義ですが子どもたちの保育現場は小さな社會ですがそれは未来の社會そのものです。どのような未来を子どもたちに遺していくか、どのような未来にしてほしいかは、一人ひとりの今の大人たちの社會への参画意識に由ります。その大人たちの背中をみて子どもたちは真似をし、近い未来に訪れる自分たちのまちづくりを創造していくのです。つまりこの観光創生化は、まさに次世代のために今を生き抜く私たちの本業そのものなのです

引き続き、新しいことばかりへの挑戦が続きますがこれも一つの大切なご縁として学び直していきたいと思います。

土の芸術

いよいよ今月、聴福庵の離れの建築にて念願の瓦葺きを体験するご縁をいただくことになりました。離れの伝統的な日本家屋を自らの手で職人さんたちと一緒にクルーたちと共に取り組めることは本当に仕合せなことです。

床下には今まで自然農や自然養鶏、妙見高菜や埋炭技術で培ってきた発酵場を創造します。そして屋根には、呼吸大学の宮本代表や田口理事長、伝統瓦葺き職人の野殿様の御力をお借りして古来からの伝統技術でもある湿式工法にて葺いていきます。

今回はさらにご先祖様の智慧を結集させ、建て方一つ一つに古来の工法にこだわり、また柿渋や渋墨、ベンガラの塗料、さらに水は井戸水を用い、炭で沸かす風呂も設置されます。板戸や格子戸、無双窓も用いられ、横からの風通しにも配慮しました。

地球には天地があります。天から雨が下に降り、その雨が地中から天に帰っていく、この当たり前の循環を邪魔しないこの聴福庵の新しい建物はまさに日本の暮らしの基礎、日本的精神の理念を体現するものです。

この日本の風土の中で、如何に何百年も持つ建物を建てるか。それは御先祖様が長年様々なことを実験し、さらには日本文化に昇華して子孫へと譲り渡してきたものです。その智慧は、何よりもこの風土で積み上げられたものであり、この風土にまさに適ったものであり、唯一無二のものです。

この風土と一体になったものを文化というのです。

そして日本文化を学ぶのに、この日本古来からの家づくりというものは大変貴重な経験になります。

日本では土を焼いて固めた土器類を「カワラケ」と言っていたそうで「日本書紀」の中で甲冑の事を「カワラ(伽和羅)」と言い亀の甲羅のように固く上を包むものという意味です。日本では屋根瓦は「カワラ」と言い、「カワラケ」は土器類の総称として残ったのではないかと言われます。

この土の文化というものは、かつては縄文時代から私たちは様々な土器を土を用いて創造してきました。瓦と土による湿式工法での瓦葺きはまさに、土の芸術とも言えます。

最近は、左官職人とのご縁も増えましたがその原料である土が今回は屋根の上に用いられ家を守ってくれます。土は地球そのものですから、その土をどのようにご先祖様は暮らしに活かそうとしたか、その技術だけではなくその精神も学び直したいと思います。

子どもたちに確かなものを、また本物を譲り渡していけるように、引き続き覚悟を決めてリスクを選び、真摯に本質を掴み取って伝承していきたいと思います。

 

 

この世の楽園

私たちの会社には社内ガーデンといって植物たちが混植されているところがあります。それぞれの多種多様な花々が、一つのプランターにびっしりと生えているのですがそれぞれはお互いの持ち味を引き出しあいながら元気に咲いています。

一つの花だけをプランターにびっしりと植えてしまうと多様性は失われその分、花が枯れたり元気がなくなったり病気になったりします。同じ場を競争で元気にするか、それとも協働で元気にするか、一時的な元気は前者はありますが持続的な元気さは後者にこそあります。環境というのはそれだけ、花たちの生育においてとても重要だということがここからも簡単にわかります。自然の理法は正直なのです。多様な個性を発揮した方が生き物は元気になるということです。

この多様性というものの言葉の反対は、画一性です。説明すれば様々なものがそれぞれに持ち味を発揮して一つになるのは多様性、何もかも一様にそろえ一つの枠にはめこむことを画一性といいます。

どのような「環境」を用意するか、その環境の前提がみんなと同じでなければならないという状況になっているか、それともみんな違った方がいいという状況になっているか、それはその「環境」となる「理念」がどうなっているかが分かれ道になります。

前者の環境下ではどうやって出る杭にならないように周りに合わせていくか、調和の意味もまたあまり失敗をせずにみんなと同調しながら合わせていき、あまり自分を主張せずに周りの意見に従いながらできることをやって評価されることを最高として仕事をします。しかし後者は、出る杭になってもいい環境があるのだから主体的に自分のやりたいことを周りと合議し、それぞれに強みは活かしてもらい、弱みはカバーしてもらいながら周囲と繋がり絆を結んで和を尊重しながらも独立したままで周りと一緒に働きます。

あまり注目されることはありませんが自分の所属している環境の影響を受けてその人は多様性か画一性かの刷り込みにあっているともいえます。個々で見れば日本では幼少期から一斉画一的な環境の中で教育を受けますから自分からユニークに自分らしく自分を発揮していくのが苦手な人が多いように思います。以前、海外で仕事をしていたときはかえってみんなが主張ばかりしてバラバラであったことも多かったように思いますがそれぞれが自分らしくいることは得意な人が多かったように思います。

しかし本来は、個々が問題ではなくその環境がどうなっているのか、また「その環境を創造する一人としての自分」はどうなっているのかと自反自問することが何よりも大切なのです。それが最初に刷り込みを取り払うために必要な覚悟です。

誰かがつくったものに従う生き方をするか、もしくは自分から参画して「自分が創造する生き方」をするか。人生は自分の人生も含めて、主体的に主人公として創造した方が楽しいに決まっています。

人生を楽しむというのは、その環境を自らで創造していくということに他なりません。どんな場所に産まれ落ちようが、どんな環境があったにせよ、自分から環境を創っていこうと思えばこの世は楽園になります。

この世の楽園を創造するのは自分自身であり、誰かのせいもできず言い訳もできません。だからこそ、一人ひとりが世界を創造する責任者であるという自覚を自分が決心すれば自ずから人生は豊かに楽しくなり、その効果として多様性や持ち味が発揮され世の中が百花繚乱に美しく薫り人々に豊かさがひろがっていくように私は思います。

社内ガーデンを観ながらいつも祈るのは、そんな環境にしていきたいという願いです。会社もまたそれぞれに自分が創っていけばいいのです。自分が創るからこそ愛着が湧き、自分が創っているからこそ創業者なのです。会社は決して社長個人のものではなく創業者たちが一緒に創ったものなのです。愛社精神は社長が与えるものではなく、それぞれが会社を創造する中で愛が育っていくのです。

引き続き、子どもたちの世界が画一化されていかないでそれぞれがイキイキと仕合せに生きられるようにまずは此処から変革していきたいと思います。

 

 

主体性の発揮

人は、主体性を発揮していくことで自分に自信を持てるようになります。自信は受け身で指示待ちのときには育たず、自ら試行錯誤し挑戦していく中で醸成していくものです。そのためには、まず前提にある他人のせいや誰かのせいにするのを止めなければなりません。

アメリカの経営コンサルタントで七つの習慣の著書であるスティーブン・R・コヴィーにこういう言葉があります。

「主体性を持つということは率先力を発揮するだけでなく、人間として自分の人生に対する責任を取るということである。」

この自分の人生に対する責任を取るというのが主体性の本質であり、誰かのせいにするのをやめているからこそ主体は発揮されているのです。

自分にはできないからや、自分には権限がないからや、自分には関係ないからなど、自他を分けて、様々なことを自分の都合で切り分けていたら責任は他の誰かに転嫁されていきます。この世界で起きていることに対する責任を持てるか、時代に対する責任を持てるか、自分が先祖の一人として子孫のために責任を持てるか、社会問題で悲惨な出来事が起きることへの責任を持てるか、など視野の広い人はそのすべてのご縁を自分自身の問題だと捉えて日々の生き方を修正していくものです。

主体性というものは、誰かが何かをしてくれるのをいつまでも待つのではなく自分から進んで問題に取り組み、その問題を自分自身の変革によって解決していこうとする人です。

これを会社に置き換えれば、如何に経営意識を持つか、如何に運営に参加する意識を持っているかで主体性を測れるものです。自分がどれだけ所属している会社=社會に対しての責任を持つかは仕事が決めます。その仕事にどれだけの誇りを持って働くかがマネジメントなのです。

P・F・ドラッガーは、マネジメントの中で働くとは、「企業全体の成功と存続に責任を持つ経営管理者のように企業を見るときにのみ、最高の仕事を目指して自らの責任を果たすことができる」といいます。

ドラッガーはその著書の中で、仕事の報酬は仕事であると言い切ります。そしてそれは満足に軸足を置くのは受け身である証拠であるといいます。つまり仕事は自己満足のためにやってもそれは意味がないといいます。

そして満足ではなく、責任であるといいます。ここに主体性のことが記されます。そのためには責任意識を持てるようになる必要があるといいます。

「そもそも働く人が責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。もはや恐怖を利用することができなくなった今日、企業は働く人に対し、責任を持つよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにする必要がある」

この立派な仕事が行われるようにするというのは、単なる責任を取れなどという他の圧力で使われるふるくさい責めのことではありません。自分が会社の運営や経営を任されている一人なのだと自覚し、その任された自分に主体性を持てと言われているのです。

仕事は単に満足するためにやってしまうのは受け身である、そうではなく意味がある本当の仕事は自分が自分に責任を持つことであるということでしょう。主体性を発揮するというのは、自分の人生を他人や誰かにゆだねるのではなく、自分がやったことが会社を創造し、自分の一挙一動が日本をも変え、そして自分の人生が世界に貢献していることを自覚し目覚めよということだと私は思います。

言い訳をやめて、誰かのせいにするのをやめれば、すべての問題は自分が解決しなければならなくなります。そうやって自分の責任であると受け止めるとき、それまでの生き方ががらりと転換されていくものです。

最初の一歩を踏み出すのは、今ここは自分が創っている大切な一員であるという自覚意識を持つということです。自分がやっていいのかではなく、自分がやると決心することなのです。

独立自尊、独立不羈の精神があって主体性は発揮されます。

会社にとって大切なのは、そういう人財が育つような「場」があるかどうかということが何よりも重要なファクターになります。そしてその「場」とは、空間のことですがその場づくりの仕組みこそが主体性に気づく環境になります。

引き続き、主体性を邪魔する刷り込みを深めながら様々な仕組みを試行錯誤してみたいと思います。

自信を育てる

人間は出来事が起きてもその捉え方は全く異なるものです。ある人はネガティブに物事を捉えていればそういう出来事であったと感じるものだし、またある人はポジティブに物事を捉えればそういう出来事であったと感じます。

つまりは物の見方というのは、その人の心の捉え方そのものでありその捉え方が異なれば事実も全く異なるということです。これは当たり前だと思われますが、この捉え方といった心の大前提がどうなっているのかを確認しなければ物事が好転したり、事物を転換したりすることができないのです。

例えば、物事を評価するときに減点的に見ると何が不足したのか、何がよくなかったか、どうすれば100点になるのかを考えます。これはすでに起きていることはマイナスであり、そのマイナスをどのようにすればプラスにできるかを考えます。すでに自己評価は低く、その低いものを少しでも上げようと考えるのです。

しかしこの逆に加点的にみると、何が足りているのか、何がよかったのか、どうすれば善かったものをもっとよくできるかと考えます。これはすでに100点であり、さらにプラスしていけるのは何かと考えます。自己評価も高く、その高いものをもっとどうすれば活かせるだろうと考えます。

この物事の捉え方というのは、その人の自信を顕します。

自分はこのままでいい、今の自分にはこれが相応しいと、ありのままの自分を認め、そのうえで自分の強みをどう伸ばしどう活かすかと常に考えて周囲のために自分を使ってもらおうと考えるようになります。そして弱みは、誰かに助けてもらうことで他人の強みをも活かそうと考えます。自分がいつも誰かのお役に立ちたいと利他に生きる人は自然に考え方も加点的になりポジティブになっていくようにも思います。

人間が自信を失い誰かと比較するのは自分ばかりを見て自分が評価しているからです。自分がダメだからとか、自分はできそこないだとか自分を卑下して自己否定ばかりをするのをやめ、自分は自分のままでいい、この自分の持ち味のままどうすればみんなのお役に立てるかと肯定的にやっていくことが大切だと思います。

自己肯定感が低いのは、誰かと比較するからであり誰かからの評価ばかりを気にして生きているからです。自分らしく生きることは、周りの人たちにも自分らしくいることを奨励する生き方であるし、自分がもっとも自分らしくいれば周りも自分らしくいていいと安心するものです。

比較するのをやめ、それぞれに持ち味を発揮していけばお互いの存在は無二であることを知り、仲間や家族があること、繋がり団結できることに感謝の気持ちが湧いてきます。人を信じるというのは、まず自分を信じることからはじまります。そして信頼とは、自分の強みを活かし弱みをカバーしてもらうときに深くつながります。

相手を自分の思い込みで裁いたり疑ったりするのもまた、自信のなさから発生してきます。自分を誰かと比較するのをやめ、周りが困っていることに自分の強みでカバーすることに自信を持ち、自分が困っていることで周りのカバーを頼めるような自信を持ち、本物の自信に育てていくことが自分を信じれるようになるプロセスのように思います。

人間は誰もが世界で一つのユニークな存在なのだから、子どもたちもまた同様にユニークな天性をもって生れています。それぞれがそのユニークさを存分に発揮して天分を活かしていく福世かな世界になっていければと願います。

本物に極まる

幼苗期の高菜には、昨日ブログで紹介したカブラハバチのほかにもナガメやハムシ、アブラムシなど他にも多種多様な虫たちが群がっています。先日も畑の手入れをしていると、高菜の周りにテントウムシがいることを確認できました。

このテントウムシは越冬をする虫で、春先に大きな高菜の茎の間にそのまま挟まっているものもたくさん見かけます。アブラムシを食べながらそのうち、寒くなり茎が大きくなり挟まって動かなくなったのかもしれません。どちらにしても、どれが益虫でどれが害虫かと選別しなければ畑は虫の楽園です。

しかし今では、ほとんどの畑で農薬を散布しますからこういう光景はあまり見れなくなっています。たとえ無農薬だといっても人間都合で自然のバランスが崩れるようなその他のやり方でやっていたら虫たちはまたいなくなってしまいます。

大量に収穫したり、全部取ろうとさえ思わなければ残った分を収量と思えばそこまで他の生き物たちを押しのけてまでとは思わないものですが人間は自分が全部すべてを取ってしまおうとするところに欲深さがあるように思います。

現在は、漁業でも農業でも自然にあるものを全部搾取しようとします。そうやって取りすぎて絶滅している動植物も多いのですがそれでもまた全部取ります。そして取れなくなったらその場所を捨てて別の場所に移動します。かつては世界は広く、そこで多少搾取しても数年経って、あるいは数十年で戻ってくれば再生していたのでよかったかもしれません。しかし今は世界は狭くなり、人口は増えていますからこのままでは何十年何百年も再生に時間がかかってしまうかもしれません。

さらには養殖をはじめても、大量の抗生物質や薬剤を散布し遺伝子を組み替えて化学配合飼料によって増やしていますがそれもまたその場所が枯れてしまえば他の場所で養殖をしています。全部取りつくすという発想は、人間中心の考え方であり自然はみんなで分け合っているのですから大自然の法則から乖離していきます。

私のやり方は、野生のままに育てながら高菜を見守りながら自分が収穫する分を他の生き物たちと分け合って譲り合っていくように育てます。確かに収量は減りますし、また大きくはなりません。しかしその育ったプロセスは、周囲の生き物たちを活かし、私をも活かし、自分自身も元気にいのちを充実させていくという生き方をした野菜になります。

その野菜を食べると、そこは味に出てきます。

人間の都合よく便利に育てた野菜は、深い味がありません。しかし自然の中で厳しくも暖かい真心をふんだん浴びて育った野菜は、見た目にも元気がありますし愛情をかけられた分、愛情が表に徳として顕れてきています。それは色や艶にも出ていますし、瑞々しく強い肌にも出ていますし、しなやかさや丈夫さ、そして新鮮さの持続でも見て取れます。

味わいというのは、プロセスによって醸成されるものです。

本物の野菜を育てるには、本物を知らなければなりません。そういう意味で農というものは私を磨き、本質を高めるためにとても参考になる最高の先生です。引き続き先生の教えに従って、本物を突き詰めて本物に極まっていきたいと思います。

自然から学び直す

妙見高菜を食べる虫にカブラハバチがいます。昨年はこの幼虫に若い幼苗期の高菜の葉をほとんどが食べられ、隙間だらけになりほぼ全滅しました。この「カブラハバチ」は、カブの葉を食べる虫ということで名づけられアブラナ科の野菜を食べる蜂の一種です。

この幼虫の体は、普通の青虫のような緑色ではなく黒色をしています。名前を「ナノクロムシ」といい、秋のモンシロチョウの幼虫などと同じ時期に発生することからガやチョウの仲間と考えられちですが実際には蜂です。

この幼虫は真っ黒で、少しでも葉を触るとすぐに地面に転がってどこにいったか分からなくなります。青虫はそのまま引っ付いているので手で取りやすいのですが、このナノクロムシは地面に転がったあとは丸くなってまったく動かないので気づきません。黒くて動かないものは目でみてもわからず探しても簡単には見つかりません。この方法がカブラハバチの天敵の攻撃から身を守る仕組みだともいいます。

発生時期は4月から6月と、10月~11月です。これはアブラナ科が枯れる時期と新芽から苗の時期です。そう考えてみると、どの自然の生き物も子どもの頃と老いたころに天敵が現れ自然に戻そうとします。この時期にどう見守り、その作物をしっかりと育てるか、まさに生き物が自立して最期のまでその生を全うするのは自然界はみな大変なことです。

現在では、ほとんどが農薬や肥料を用いるかあるいは進歩した科学の道具を用いて対策を立てられますが自然農で野性の中で強く逞しく健康に育てようとしている私の農法は信じるしかありません。自然農でやっていくと当たり前に野性の中で育つというのは、如何に有難いことであるか、そしてこれは偉大なことであるのかを実感します。

信じる農法は、そのものが如何に健康に育つかをよくみて手を貸していくしかありません。うまくいかないのは私の手の貸方、つまり見守り方がよくないから育ちません。自分の中の刷り込みが取れず、まだまだ信じることができないこともありますがこの妙見高菜からは本当にたくさんのことを学び直しています。

話を戻せば蜂といえば、身近にはミツバチやスズメバチ、アシナガバチなどよく見かけていますが実際は野菜の周囲には食害される虫として農業をしている人たちには頭を悩ませる存在でもあります。野菜さえ育てていないときは、どの蜂を見ても益虫や害虫の区別なく見ていましたが、育て始めると自分を中心に益と害の違いが出ますから人間は自分勝手なものです。本来、どの虫も必要な存在なのですが人間の都合で仕分けられ益虫は増やし害虫は駆除するなどとやっていたら自然のバランスも崩れてしまいます。

人間を中心に益とか害とか分別する前に、如何にみんなが調和して尊重し合っていけるような畑にしていくか。それが私が目指している理想の畑であり、田んぼです。自然観察力を磨き、今年も自然から学び直していきたいと思います。

猪突猛進?

昨日は、自然農の畑に今年2回目の妙見高菜の種を蒔きました。昨年は、虫に食べられさらにはイノシシにあちこち掘り起こされ見るも無残な状態でしたから今年は丁寧に見守りながら畑の手入れをしています。

しかし昨日、また見に行くとイノシシが鉄柵を2か所突き破り、突き破ったところから反対側の柵まで一直線に猪突猛進しているのが痕跡に残っています。何回も突進したというよりも、一度の突進で鉄柵が曲がっていましたからすごい力です。

ちなみにこのイノシシとはニホンイノシシのことです。

イノシシは成獣で、体長は100cm~170cm、体重は80kg~180kg程度の大きさになります。 体毛は明るめの茶褐色~黒褐色をしていて、色は個体差があります。そして走れば時速40km、垂直ジャンプならば1m以上を飛ぶという脅威の身体能力があります。さらに大抵の生物は鼻先が急所ですが、イノシシの場合は鼻先は強靭な武器です。 その硬い鼻先で重さ70kgの岩をも動かします。さらには泳ぎが得意で、犬かきのような動きで池や川を、時には海を泳ぐこともあるそうです。毎年中国地方から四国まで瀬戸内海を泳いで渡るイノシシも発見されています。すごい野性ぶりです。

そしてニホンイノシシは雑食性で普段は植物性のものを食べていて秋になれば冬を越すためにドングリなどの木の実、果実、タケノコ、地下茎、芋などを食べ体力を蓄えます。 動物性のものでは、ヘビやカエル、ネズミ、ミミズ、土中の幼虫などを食べます。

イノシシの天敵は、幼少期はキツネや野犬、フクロウ、カラスなどですが成獣になってしまえば現在の日本においては敵なしです。昔はオオカミがいましたから、成獣でも天敵がいたかもしれませんが今では鹿と同じく増え続けています。

このイノシシにまともに立ち向かっても勝てないので、対策として鉄柵をしましたが頭もよく賢いのでこうも毎年破られては大変ですから色々とこちらも相手のことを調べては知恵比べをしています。畑の中にあるサツマイモが狙いみたいなので、収穫までが勝負であとは柵を破ってこないのでこの先また破られたら来年は別の場所にサツマイモだけを移動させていこうと思います。

文献を読み進めると、農耕社会がはじまってからイノシシやシカによる農作物の被害はずっと続ているようです。江戸時代の文献では、戦国時代くらい前からの鉄砲による追い払いや鹿威しの設置など、さまざまな対策が取られています。

人間の数が圧倒的に増えてからかもしれませんが、お互いの境界線を超えて生息地域が重なるとお互いをどう尊重していくかが課題になります。人間だけが生きているわけではないのだからどう調和していけばいいか、色々と考えは尽きません。

引き続き、7年目になる妙見高菜を見守りながら自然から学び直していきたいと思います。