人間は出来事が起きてもその捉え方は全く異なるものです。ある人はネガティブに物事を捉えていればそういう出来事であったと感じるものだし、またある人はポジティブに物事を捉えればそういう出来事であったと感じます。
つまりは物の見方というのは、その人の心の捉え方そのものでありその捉え方が異なれば事実も全く異なるということです。これは当たり前だと思われますが、この捉え方といった心の大前提がどうなっているのかを確認しなければ物事が好転したり、事物を転換したりすることができないのです。
例えば、物事を評価するときに減点的に見ると何が不足したのか、何がよくなかったか、どうすれば100点になるのかを考えます。これはすでに起きていることはマイナスであり、そのマイナスをどのようにすればプラスにできるかを考えます。すでに自己評価は低く、その低いものを少しでも上げようと考えるのです。
しかしこの逆に加点的にみると、何が足りているのか、何がよかったのか、どうすれば善かったものをもっとよくできるかと考えます。これはすでに100点であり、さらにプラスしていけるのは何かと考えます。自己評価も高く、その高いものをもっとどうすれば活かせるだろうと考えます。
この物事の捉え方というのは、その人の自信を顕します。
自分はこのままでいい、今の自分にはこれが相応しいと、ありのままの自分を認め、そのうえで自分の強みをどう伸ばしどう活かすかと常に考えて周囲のために自分を使ってもらおうと考えるようになります。そして弱みは、誰かに助けてもらうことで他人の強みをも活かそうと考えます。自分がいつも誰かのお役に立ちたいと利他に生きる人は自然に考え方も加点的になりポジティブになっていくようにも思います。
人間が自信を失い誰かと比較するのは自分ばかりを見て自分が評価しているからです。自分がダメだからとか、自分はできそこないだとか自分を卑下して自己否定ばかりをするのをやめ、自分は自分のままでいい、この自分の持ち味のままどうすればみんなのお役に立てるかと肯定的にやっていくことが大切だと思います。
自己肯定感が低いのは、誰かと比較するからであり誰かからの評価ばかりを気にして生きているからです。自分らしく生きることは、周りの人たちにも自分らしくいることを奨励する生き方であるし、自分がもっとも自分らしくいれば周りも自分らしくいていいと安心するものです。
比較するのをやめ、それぞれに持ち味を発揮していけばお互いの存在は無二であることを知り、仲間や家族があること、繋がり団結できることに感謝の気持ちが湧いてきます。人を信じるというのは、まず自分を信じることからはじまります。そして信頼とは、自分の強みを活かし弱みをカバーしてもらうときに深くつながります。
相手を自分の思い込みで裁いたり疑ったりするのもまた、自信のなさから発生してきます。自分を誰かと比較するのをやめ、周りが困っていることに自分の強みでカバーすることに自信を持ち、自分が困っていることで周りのカバーを頼めるような自信を持ち、本物の自信に育てていくことが自分を信じれるようになるプロセスのように思います。
人間は誰もが世界で一つのユニークな存在なのだから、子どもたちもまた同様にユニークな天性をもって生れています。それぞれがそのユニークさを存分に発揮して天分を活かしていく福世かな世界になっていければと願います。