主体性の発揮

人は、主体性を発揮していくことで自分に自信を持てるようになります。自信は受け身で指示待ちのときには育たず、自ら試行錯誤し挑戦していく中で醸成していくものです。そのためには、まず前提にある他人のせいや誰かのせいにするのを止めなければなりません。

アメリカの経営コンサルタントで七つの習慣の著書であるスティーブン・R・コヴィーにこういう言葉があります。

「主体性を持つということは率先力を発揮するだけでなく、人間として自分の人生に対する責任を取るということである。」

この自分の人生に対する責任を取るというのが主体性の本質であり、誰かのせいにするのをやめているからこそ主体は発揮されているのです。

自分にはできないからや、自分には権限がないからや、自分には関係ないからなど、自他を分けて、様々なことを自分の都合で切り分けていたら責任は他の誰かに転嫁されていきます。この世界で起きていることに対する責任を持てるか、時代に対する責任を持てるか、自分が先祖の一人として子孫のために責任を持てるか、社会問題で悲惨な出来事が起きることへの責任を持てるか、など視野の広い人はそのすべてのご縁を自分自身の問題だと捉えて日々の生き方を修正していくものです。

主体性というものは、誰かが何かをしてくれるのをいつまでも待つのではなく自分から進んで問題に取り組み、その問題を自分自身の変革によって解決していこうとする人です。

これを会社に置き換えれば、如何に経営意識を持つか、如何に運営に参加する意識を持っているかで主体性を測れるものです。自分がどれだけ所属している会社=社會に対しての責任を持つかは仕事が決めます。その仕事にどれだけの誇りを持って働くかがマネジメントなのです。

P・F・ドラッガーは、マネジメントの中で働くとは、「企業全体の成功と存続に責任を持つ経営管理者のように企業を見るときにのみ、最高の仕事を目指して自らの責任を果たすことができる」といいます。

ドラッガーはその著書の中で、仕事の報酬は仕事であると言い切ります。そしてそれは満足に軸足を置くのは受け身である証拠であるといいます。つまり仕事は自己満足のためにやってもそれは意味がないといいます。

そして満足ではなく、責任であるといいます。ここに主体性のことが記されます。そのためには責任意識を持てるようになる必要があるといいます。

「そもそも働く人が責任を欲しようと欲しまいと関係はない。働く人に対しては責任を要求しなければならない。企業は仕事が立派に行われることを必要とする。もはや恐怖を利用することができなくなった今日、企業は働く人に対し、責任を持つよう励まし、誘い、必要ならば強く求めることによって、仕事が立派に行われるようにする必要がある」

この立派な仕事が行われるようにするというのは、単なる責任を取れなどという他の圧力で使われるふるくさい責めのことではありません。自分が会社の運営や経営を任されている一人なのだと自覚し、その任された自分に主体性を持てと言われているのです。

仕事は単に満足するためにやってしまうのは受け身である、そうではなく意味がある本当の仕事は自分が自分に責任を持つことであるということでしょう。主体性を発揮するというのは、自分の人生を他人や誰かにゆだねるのではなく、自分がやったことが会社を創造し、自分の一挙一動が日本をも変え、そして自分の人生が世界に貢献していることを自覚し目覚めよということだと私は思います。

言い訳をやめて、誰かのせいにするのをやめれば、すべての問題は自分が解決しなければならなくなります。そうやって自分の責任であると受け止めるとき、それまでの生き方ががらりと転換されていくものです。

最初の一歩を踏み出すのは、今ここは自分が創っている大切な一員であるという自覚意識を持つということです。自分がやっていいのかではなく、自分がやると決心することなのです。

独立自尊、独立不羈の精神があって主体性は発揮されます。

会社にとって大切なのは、そういう人財が育つような「場」があるかどうかということが何よりも重要なファクターになります。そしてその「場」とは、空間のことですがその場づくりの仕組みこそが主体性に気づく環境になります。

引き続き、主体性を邪魔する刷り込みを深めながら様々な仕組みを試行錯誤してみたいと思います。