私たちの会社には社内ガーデンといって植物たちが混植されているところがあります。それぞれの多種多様な花々が、一つのプランターにびっしりと生えているのですがそれぞれはお互いの持ち味を引き出しあいながら元気に咲いています。
一つの花だけをプランターにびっしりと植えてしまうと多様性は失われその分、花が枯れたり元気がなくなったり病気になったりします。同じ場を競争で元気にするか、それとも協働で元気にするか、一時的な元気は前者はありますが持続的な元気さは後者にこそあります。環境というのはそれだけ、花たちの生育においてとても重要だということがここからも簡単にわかります。自然の理法は正直なのです。多様な個性を発揮した方が生き物は元気になるということです。
この多様性というものの言葉の反対は、画一性です。説明すれば様々なものがそれぞれに持ち味を発揮して一つになるのは多様性、何もかも一様にそろえ一つの枠にはめこむことを画一性といいます。
どのような「環境」を用意するか、その環境の前提がみんなと同じでなければならないという状況になっているか、それともみんな違った方がいいという状況になっているか、それはその「環境」となる「理念」がどうなっているかが分かれ道になります。
前者の環境下ではどうやって出る杭にならないように周りに合わせていくか、調和の意味もまたあまり失敗をせずにみんなと同調しながら合わせていき、あまり自分を主張せずに周りの意見に従いながらできることをやって評価されることを最高として仕事をします。しかし後者は、出る杭になってもいい環境があるのだから主体的に自分のやりたいことを周りと合議し、それぞれに強みは活かしてもらい、弱みはカバーしてもらいながら周囲と繋がり絆を結んで和を尊重しながらも独立したままで周りと一緒に働きます。
あまり注目されることはありませんが自分の所属している環境の影響を受けてその人は多様性か画一性かの刷り込みにあっているともいえます。個々で見れば日本では幼少期から一斉画一的な環境の中で教育を受けますから自分からユニークに自分らしく自分を発揮していくのが苦手な人が多いように思います。以前、海外で仕事をしていたときはかえってみんなが主張ばかりしてバラバラであったことも多かったように思いますがそれぞれが自分らしくいることは得意な人が多かったように思います。
しかし本来は、個々が問題ではなくその環境がどうなっているのか、また「その環境を創造する一人としての自分」はどうなっているのかと自反自問することが何よりも大切なのです。それが最初に刷り込みを取り払うために必要な覚悟です。
誰かがつくったものに従う生き方をするか、もしくは自分から参画して「自分が創造する生き方」をするか。人生は自分の人生も含めて、主体的に主人公として創造した方が楽しいに決まっています。
人生を楽しむというのは、その環境を自らで創造していくということに他なりません。どんな場所に産まれ落ちようが、どんな環境があったにせよ、自分から環境を創っていこうと思えばこの世は楽園になります。
この世の楽園を創造するのは自分自身であり、誰かのせいもできず言い訳もできません。だからこそ、一人ひとりが世界を創造する責任者であるという自覚を自分が決心すれば自ずから人生は豊かに楽しくなり、その効果として多様性や持ち味が発揮され世の中が百花繚乱に美しく薫り人々に豊かさがひろがっていくように私は思います。
社内ガーデンを観ながらいつも祈るのは、そんな環境にしていきたいという願いです。会社もまたそれぞれに自分が創っていけばいいのです。自分が創るからこそ愛着が湧き、自分が創っているからこそ創業者なのです。会社は決して社長個人のものではなく創業者たちが一緒に創ったものなのです。愛社精神は社長が与えるものではなく、それぞれが会社を創造する中で愛が育っていくのです。
引き続き、子どもたちの世界が画一化されていかないでそれぞれがイキイキと仕合せに生きられるようにまずは此処から変革していきたいと思います。