まちづくりとは何か

今月は、近畿大学九州短期大学主催でまちづくりの座談会と子どもたち向けに縁日を聴福庵にて21日、22日の2日間で開催します。縁日では長年協働しているクラムアートの代表の福田康孝氏にも千葉県館山から来庵いただき貝磨きのワークショップをしていただきます。地域のお取引先の保育園、幼稚園の子どもたちにも案内を出し、はじめてこの「場」を提供して触れ合ういい機会になりそうです。

もともと聴福庵は、復古創新という言葉を島根の石見銀山生活文化研究所の松場登美様から教えていただき私なりに暮らしの甦生に取り組んできました。様々な伝統技術や日本的精神を伝統職人さんたちから学び直し、その初心を子どもたちに「伝承する場」、つまりは「学舎・道場」のように活用して場を育てながら暮らしを甦生していきました。

そもそもまちづくりとは何かと訊かれると、私はそれは「暮らしである」と断言します。暮らしのないまちづくりは単なる箱だけを用意したものであり、そこに確かな暮らしが甦生されてはじめてまちづくりになっていると言えるからです。このまちづくりは、「まち+づくり」からできている言葉ですが、私の勝手な解釈ではここでの町は単なる町ではなく、「暮らすまち」のことです。そして「づくり」というのは何か、これも私の解釈では「磨き甦生」させることです。その合体した言葉がこのまちづくりの本質です。

暮らしを磨き、如何に新しい価値を今に温故知新しそれを甦らせていくか。

もしもこの逆に、暮らしをやらず、甦生もしないのであれば、それは単なる新しいものを増やしたにすぎません。お金をかけて箱ものを用意しても長続きしませんし、かえってそのサービスに依存する人たちが増えていきます。これではまちづくりへの参画にはなりません。縮退時代に入り、地方の人口が減り少子化になり、空き家が増え、行政のサービスも減縮し、いよいよ過去の遺物が保存できなくなるなかで、今までのような町作りばかりやっていても何も変わっていくことはないと私は思います。

一人ひとりが本来のまちづくりに目覚めることは、原点に帰り一人ひとりが自分自身の暮らしを甦生していくことを実践していくことで醸成されていきます。ただ町にいてそのままにして流されるのではなく、故郷を守り住む一人として、一人ひとりが今一度、「暮らしの甦生」に取り組み、「暮らしから地域を変えていく」ことではじめて本物のまちづくりは為ると私は思っています。

そしてこれは子どもたちがイキイキと個性を発揮して社會を創っていくのも同じです。一人ひとりが、主体的にその空間や場で活動する中でその場は創造され空間が醸成されます。その行為の一つ一つこそ暮らしの本質であり、その暮らしがみんなと一緒に体験したり味わったり学び直したり磨いたりする中で甦生するのです。

今回は、タイトルに「まちづくり×古民家甦生=観光創生化」とした意味はまさに「まちの宝を創造していくのは民家としての暮らしを甦生する人々がその場に参画することでまちの魅力が磨き直され光り出し、その品によって人々を集める」という意味です。

私たちの取り組む理念は、子ども第一義ですが子どもたちの保育現場は小さな社會ですがそれは未来の社會そのものです。どのような未来を子どもたちに遺していくか、どのような未来にしてほしいかは、一人ひとりの今の大人たちの社會への参画意識に由ります。その大人たちの背中をみて子どもたちは真似をし、近い未来に訪れる自分たちのまちづくりを創造していくのです。つまりこの観光創生化は、まさに次世代のために今を生き抜く私たちの本業そのものなのです

引き続き、新しいことばかりへの挑戦が続きますがこれも一つの大切なご縁として学び直していきたいと思います。