「低成長」という言葉があります。言い換えれば、じっくりと少しずつ成長をするということです。急成長ばかりが良しと思われているグローバル経済の風潮の中で、敢えて低成長をするというのは勇気が必要かもしれません。
しかしよく考えてみると、どのような自然界にあるものでも急成長したものは必ず折れたり枯れたり災害にあって滅びたりと長続きしません。そもそも長続きしないものを目指しているところに問題があるのであり、結果主義の刷り込みが強くなればなるほどすぐに結果を求めては急に物事を進めようとします。
真田幸弘が藩主の時代、松代藩の藩政改革を担った恩田木工民親(おんだもくたみちか)の業績について記された書物に『日暮硯』というものがあります。それまでに取り組まれた様々な改革が失敗に終わる中、この恩田木工が行ったものは見事に改革を実現しました。
その恩田木工は、先ほどの低成長にこだわりじっくりと時間をかけて物事に取り組んでいきました。そしてその時のポイントは、下記の言葉に潜んでいるように感じます。
「総じて、人は分相応の楽しみなければ、又精も出し難し。これに依って、楽しみもすべし、精も出すべし。」
なんとかしなければとただ真面目に急いでやるのではなく、一つ一つを楽しみ味わいながらやった方がみんなも和気藹々と精進できる。ただ真面目にやるだけではなく、楽しくやっていくことが大事であると。
貧しいからと必死になっていれば余計に貧しさは身に染みるものです。しかし貧しいときこそ豊かさを味わいながら楽しくやっていく、言い換えれば大変だから早く楽になりたいから必死になるのではなく大変だからこそその一つ一つを内省し体験を深く味わい、みんなで学び直し磨き合いながら歩んでいく、その中に人生の歓びもあるということです。
例えば、自分が大変だから楽になろうではなく自分の体験が誰かの役に立てるのではないかと思うことや、忙しいから暇になろうではなくみんな忙しいのだから思いやりをもってみんなの力になろうとする方が歓びが増えていきます。
自分ばかりを気にして己自身の感情に囚われて悩むのではなく、そんな時こそ日々に体験しているご縁や学びに耳を傾けて聴いて福に転じていく豊かさを持ちたいと思うものです。
楽しいと楽(らく)は別物ですから、楽は苦の種になりますが苦しいは楽しいの種になります。楽しい種は、急ごうとする中にはなくじっくりと少しずつ時間をかけて取り組む中にこそあります。自分の都合で時間をなんでも早めないようにすること、己に克つとはそういうことです。
引き続き、苦楽一円観を味わいながら様々なものを転じて低成長を続けていきたいと思います。