よく精進や、精神、精通、精一杯、精を出すとか働くときに用いられるこの「精」という字があります。この精という字は、誠や魂、真心など目には観えませんがそのものの根源、そのものの本体、本性のことを指すように思います。
精神統一という言葉もありますが、これは自分自身のすべてが混じりけのない純粋なものになっている、雑念もなく澄んだ状態でそのものと一体化しているときにも使われます。
精の語源は、青はよごれなく澄んだ色をあらわし、精はよごれなく精白した米。(漢字源)とあります。自然体で無の境地、そのものの根源や根本、根元の力を使っていくことが精を出すということです。
働き甲斐や遣り甲斐、生き甲斐はこの精を出すかどうかに由ります。
そう考えてみると、どんな小さな仕事であってもどんなにわずかな行為であっても、その事物や出来事に初心や目的を忘れないで取り組んでいくことが精進とも言えます。
社会福祉活動家のヘレン・ケラーが遺した言葉に、「I long to accomplish a great and noble task, but it is my chief duty to accomplish small tasks as if they were great and noble.」があります。これは訳されると「私は素晴らしく尊い仕事をしたいと心から思っている。でも私がやらなければならないのは、ちっぽけな仕事をも素晴らしくて尊い仕事と同じように立派にやり遂げることなのだ。」といいます。
自分が取り組んでいる仕事は、どんなことでも目的や理念に通じる尊い仕事であると片時も忘れずに取り組んでいくことが精を出すことであり精進するということです。ただ闇雲に頑張ることを精進というのではなく、どんな物事や出来事に対してもその価値を自分の都合で決めて要領よく雑に取り組むのではなく常に真心でどんなことに対しても細心の注意と丁寧さ、いわば丹精を籠めて取り組むときその生き様は精進と呼びそして遣り甲斐や生き甲斐になっていくように思います。
マザー・テレサは、「いかにいい仕事をしたかよりもどれだけ心を込めたかです。」ともいいます。日本語に昔からあるこの「精」という字は、同様に誠や真心を顕しています。
結果に対して云々ではなく、そのプロセスにどれだけ精神を傾けて誠を盡したか、それが日々の自己の創造に問われているのでしょう。評価ばかりを気にしている人はどうしてもこの精進することができません。
今の仕事に打ち込んでいくことで道は開けていきますから、子どもたちの未来のためにも常に今、全身全霊で事に当たり精神を磨いて真心を発揮し歩んでいきたいと思います。