本当の希望

アニメの「それいけ!アンパンマン」の作者で有名な「やなせたかし」さんがいます。幼児教育や子どもに関わる仕事をしていれば、アンパンマンは子どもたちの身近にある存在です。そのアンパンマンの作者がどのような人生を送られた人物であるかを知っている人は少ないように思います。

この「やなせたかし」さんは、自分でも遅咲きであるといい70歳になるまで代表作というものもなくヒットすることもなくずっと漫画を描き続けた方だといいます。そのやなせさんの遺した言葉は平易に語られていますがその質はとても重く、ご自身の深い人生観が宿っているように感じ私たちをアンパンマンのように励ましてくれます。

病歴をみても腎臓結石、白内障、冠動脈の手術、すい臓炎、胆のう脾臓切除にヘルニアの手術も。さらには緑内障手術、重度の腸閉塞、肺炎、心臓病、さらには糖尿病を発症、そして2005年は腎臓がんと診断され左腎を摘出、手術後も転移が見つかり86歳から2年間で10回のオペを受けたともいいます。94歳になっても最期まで現役を続けられた人物です。

「僕は、この“らしく”という言葉が好きじゃない。“らしく”というのは、そのものにふさわしい特質を備えているかどうか、ってことでしょうが、人間、人それぞれなのですから、別に“らしく”ある必要はないと思うのです。この延長線上にあるのが『老人は老人らしく』であり、『もう、いい年なんだから、そんな無茶はやめなさい』ということになります。これがどうにも僕には腑に落ちない。“いい年をして”という世間の常識は、高齢者の元気を奪い、枷をはめているようにしか思えないからです。せっかく面白そうなことが目の前にあるというのに、『もう年だから、みっともない』と尻込みする人がいますが、僕からいわせると、本当にもったいない。『この年だからこそ、やりたいものはどんどんやってみましょう』。こういきたいものです。老いはクヨクヨする時期ではありません。老いてこそ、何かをやって、ワクワクする。自由に生きることができる季節の到来なのです」

誰かの評価を意識して誰かから言われたことを鵜呑みにして自分自身で生きるらしさを手放し、誰かの言うらしさに囚われて生きていくのはまっぴらごめんということでしょうか、晩年はチャイドルをもじって自分をオイドルと呼んでいたそうです。

自分の人生だから、自分の納得いくようにやりたいことをやって一生を終えるという気概が独立自尊の自分を磨いていくように思います。

私が今、励まし励まされ、またみんなを励ますために紹介するのはこの言葉です。

『絶望の隣は希望です』

その言葉に関するこのような詩を遺しています。

『絶望の隣に

だれかがそっと腰かけた

絶望はとなりのひとにきいた

「あなたはいったいだれですか」

となりのひとはほほえんだ

「私の名前は希望です」』

人生の中で実体験から学んだことを表現し続け、多くの人々をアンパンマンのように励ましたやなせさんは、死してなお人々を励ましています。

「生きていることが大切なんです。今日まで生きてこられたなら、少しくらいつらくても明日もまた生きられる。そうやっているうちに次が開けてくるのです」

「夢も希望もない世の中だけど、生きていりゃ良かったと思えることがあるかもよ
あるかもよ としか言いようがないけど もうちょっとだけ我慢して生きてみて」

「一日一日は楽しい方がいい。たとえ十種の病気持ちでも運は天に任せて、できる限りお洒落もして、この人生を楽しみたい」

「なんとかなるさと辛抱して、とにかく生きていくんだ。
人生は捨てたものではない。やがて道は拓けてくる。それが実感だ。」

今はたとえ、希望の光が観えないようなことがあったとしても必ずすぐ隣まで光は来ています。諦めず時をじっと堪えて待っていれば、日々、その日だけを乗り越えていけば必ず光が観えてくるはずです。

「幸福は本当はすぐそばにあって、気づいてくれるのを待っているものなのだ。」

もうすぐ隣まで来ていると信じて、自分がそれに早く気づいてあげることができるようにないものや失ったものを見ず、あるものやいただいたものを観ていけるよう祈っています。

子どもたちのためにも、本当の希望を与える存在でありたいと思います。