ぬくもりのある暮らし

今年は、年始から会社のみんなと一緒に炭を中心にした暮らしを実践し豊かな時間を過ごすことができました。聴福庵では、炭は欠かせない暮らしの道具であり炭がある御蔭でぬくもりを身近に感じることができています。

例えば、朝起きてすぐに火鉢の炭に火を入れお茶を沸かします。また朝餉もその炭を用いそのまま料理します。炬燵には炭団を入れれば一日中暖かいままです。また就寝前には、その炬燵に残っている炭を豆炭あんかに入れれば布団の中も朝まで暖かいままです。他にも、お風呂の井戸水のお湯も炭で沸かし、その風呂には炭をつくるときに出てくる木酢液を入れると湯上りもずっとぽかぽかします。また花瓶には炭を入れると花が枯れにくくなり、飲み水やお米を炊くときも炭を入れてミネラルが増え浄化されます。部屋の隅々にも炭が置かれ、床や壁にも飾られ癒しの空間が演出されます。灰になったものは、掃除用の洗剤にしたり植物の周辺にまけば土の潜在力を高め菌たちには栄養になります。燻された古民家は、抗菌効果も高くなり虫が家屋に入ってきにくくなります。「ぬくぬくやぽかぽか」などの「ぬくもりのある暮らし」はこの炭の暮らしがあってはじめて成り立つのではないかと私は思います。

冬はとても冷え込みますが、寒くても寒くはないという感じが炭のある暮らしにはあります。みんなが火鉢を囲んでお茶やコーヒーを飲みながら語り合い寛ぐだけで、炭が周りの人たちの心も融かしていくかのようです。

暖炉やストーブや空調は、部屋全体を暖めますが火鉢や囲炉裏は手元や周辺を暖めます。体だけを暖める道具ではなく、心まで温める道具がこの炭であることを私はぬくもりのある暮らしから体験しました。

聴福庵は、炭御殿のようになっていますがまだまだ炭の甦生は途上にあります。いろいろな「ぬくもり」のカタチを炭と一緒に発見していきたいと思っています。

今の時代、暮らしが失われ心が渇いて冷え切り、お金があっても権力や地位があっても、心が寒くて凍えて震えている人たちがいます。特に子どもたちが家が寒くなることで、家庭のぬくもりを感じないままに育っている子どももいます。私も幼少期に両親が共働きで家には誰もいませんでしたからその家の寒さを体験してきました。

家が寒いのが当たり前ではなく、家は暖かいことが当たり前です。そしてそこには心のぬくもりがあります。冷えてしまったものを暖めるのは自然物である炭の力を借りることが一番です。

私はこれからも炭の力を借りて冷えた心の傷を炭火のぬくもりで絆に換えて人々の心を暖めていきたいと祈ります。子どもたちが寒くて震えているのなら、私がその寒さをぬくもりで融かす炭火となりたいと願います。

引き続き、初心を忘れず家が喜び炭が喜ぶぬくもりのある暮らしの実践を高めていきたいと思います。

物から学ぶ智慧

一昨年より、樽や桶を扱うことが増えましたがそこには箍(たが)がかかっています。この箍とは、樽や桶の周りにはめる、竹や金属で作った輪のことでその輪を締めたり緩めたりすることで中のものが出てこないように調整しているものです。

よく箍が外れるという言葉もありますが、あれは緊張がゆるみすぎて羽目を外し過ぎたときにも使われます。この羽目とは、馬を制するために口に噛ませる「馬銜(はみ)」が転じたものとして使われ抑えがきかず調子にのることをいいます。

この適度に締めるという技術は、まさに人の生きていく上での大切な教えでもあり樽や桶を使っているとその器として何を大切にしていけばいいのかを実感するものばかりです。

人間は緊張しすぎてしまうと自他に厳しくなりすぎます、しかし緩みすぎると箍が外れて周囲に多大な迷惑をかけてしまいます。ちょうどいい具合になっているとそのものを長く保つことができます。ここにも智慧があります。

樽や桶については、湿気と乾燥を繰り返し箍が緩んできます。湿気の時は水気によって引き締まっていても木が乾燥すると箍が緩んでしまいます。外れてしまうとバラバラになるので常に湿気を保てる状態にしながら保存します。

以前、桶職人にアドバイスしていただいたのは湿気過ぎず乾燥し過ぎないところで桶を保存することだといわれました。太陽に晒されると壊れ、水気が多すぎると腐敗するからです。また風を適度に通してあげられるところで、あまり風が強すぎるところは乾燥し過ぎるからよくないともいわれました。

現在、聴福庵の離れには縦の風が流れるように土からの水分が屋根を抜けていくようにつくられてます。適度な湿度と風が常に流れ続け桶や樽には最適な環境とも言えます。昔の人は道具を大切にすることで、自分の生き方の何が間違っていたのかを教わらずに気づいていたように思います。便利にならなくてもむしろこのままでいいと、先祖が智慧を子孫へと遺してくださったようにも思います。

締めすぎず緩みすぎないというのは、入れ物や器を大切に修繕し続けていくということでもあります。物の扱いに長けた人は、自他の扱いにも長けていきます。人が物をつくりますから、昔のものが価値があるのはその人格を持った人たちによって物がつくられてきたからです。

物から学び直し、視野の広い全体最適な心の余裕や余白を持て思いやりを優先できる自分を磨いていきたいと思います。

学問の要

吉田松陰は至誠と実行の人物であったことはよく知られています。その生涯において、勇気を出して普通の人がやらないような非常識なことにも果敢に挑み周囲を感化していきました。

その実行に至るプロセスは突然の思いつきで衝動的に行動するのではなく、その裏付けに日々の小さな実行の集積があったことがその言動からわかります。自らを狂人であるとし、常識に囚われずに志を全うする意志の強さには感動します。その遺した言葉には、徹底して実行を重んじた生き方がありました。

「一つ善いことをすれば、その善は自分のものとなる。一つ有益なものを得れば、それは自分のものとなる。一日努力すれば、一日の効果が得られる。一年努力すれば、一年の効果がある。」

「一日一字を記さば一年にして三百六十字を得、一夜一時を怠らば、百歳の間三万六千時を失う。」

「学問の上で大いに忌むべきは、したり止めたりである。したり止めたりであれば、ついに成就することはない。」

その実行の背景には常に至誠がありました。

「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。」

「小人が恥じるのは自分の外面である、君子が恥じるのは自分の内面である。人間たる者、自分への約束をやぶる者がもっともくだらぬ。死生は度外に置くべし。世人がどう是非を論じようと、迷う必要は無い。武士の心懐は、いかに逆境に遭おうとも、爽快でなければならぬ。心懐爽快ならば人間やつれることはない。」

どの言葉も、生きた学問を実践していく上で参考になるものばかりです。自分で決めたことは自分自身と約束したことです。その決めたことに正直であるからこそ、継続を怠らず真心を盡していくことができます。

自分自身に嘘をついて誤魔化していけば、自分自身との付き合いに信頼ができなくなります。自分との信頼を結ぶことが世界への信頼にもなっていきますから如何に自分が信じたことを積み重ねていけるかが人生においてとても重要であることがわかります。自分への信頼関係は、この至誠と実行によってのみ積み上げられるからです。

そして信じたことを信じたままに実践を続けて内省によって自己との対話をしながら改善を続けていくことで本当の自己を確立していくことができます。自己を磨き、魂を磨くことはこの世に生まれてきたものすべての道であり使命です。

引き続き、子どもたちに人生を遺せるように今を大切に歩んでいきたいと思います。

 

 

共に学ぶ~道中の安心基地~

今年も無事に萩にある松陰神社に参拝し、松下村塾を深めにいくことができました。もうかれこれ24年間、毎年通っていますが毎回新しい発見があり、吉田松陰の創造した学問や学校のカタチが如何に普遍的であったかを感じ入るばかりです。

あの当時、共に学んだ志士たちの生き方はわずか松下村塾での学びが1年であったにもかかわらず心に響きその後の若い人たちや子孫へと影響を残しています。

私の憧れた学校、憧れた学問、憧れた組織を先に実現していたこの松下村塾と吉田松陰は一つのロールモデルとして私が初心伝承の経営をする上でもっとも参考にしています。

自分が実践してみて一年たち、またここに来る。それを繰り返しながら、近づいていく努力をさせていただけるのは本当に有難いと思っています。その吉田松陰の生き方だけではなく、ここで創造した場を如何に甦生するかは私の人生の課題の一つだと信じています。

昨日は何度も見学した施設があったのですが、改めて目に入ったものがありました。それは松下村塾の教育方針と書かれたものです。これは今、私が仕事で「共に学ぶ」というある学校のコンサルティングを受けていますがとても参考になります。そこにはこう書かれます。

『松下村塾には「三尺離れて師の影を踏まず」というような儒教的風潮は全くなかった」師弟ともに同行し、共に学ぶというのがその基本的方針であった。松陰はその考えを、安政五年「諸生に示す」に書いている。「村塾が礼儀作法を簡略にして規則もやかましくいわないのは、そのような形式的なものより、もっと誠朴忠実な人間関係をつくり出したかったからである。新塾がはじめて設けられて以来、諸君はこの方針に従って相交り、病気のものがいれば互いに助け合い、力仕事の必要の場合はみんなが力をあわせた。塾の増改築の時に大工も頼まず完成させたのも、そのあらわれである」とした。』

現代においてもっとも先端をいく学校が学問のカタチは「共に学ぶ」ことだと知られていますが、単に知識だけを教え合ったのではなく一緒に真剣に生きて学び合った形跡が松下村塾には残っています。

生き方を通して学び合う関係というのは尊いもので、深く相手のことを尊重しているからこそはじめて共に学び合うことができるように思います。それはご縁を大切にや、一期一会などの言葉もありますがもっと偉大な生きていく姿勢そのものが純粋であったからこそここまで共に学ぶ形が顕れたようにも思います。

そしてその思いが純粋であったjからこそ常識に囚われず師弟共に学び合い、自分自身を確立させていきました。なぜそこまでこの村塾に魅力があったのか、吉田松陰のこの言葉からもうかがえます。

『教えるの語源は「愛しむ」。誰にも得手不手がある、絶対に人を見捨てるようなことをしてはいけない。』

お互いの持ち味を活かし、不得手もまた愛し、得てもまた愛し、それぞれがそこで活かし合えるように互いに見守り仲間として受け容れてくれていたように思います。この村塾は、塾生たちにとっては魂のふるさとであり、自分が天命を生きることを見出すための道中の安心基地だったのでしょう。

「世の中には体は生きているが、心が死んでいる者がいる。反対に、体が滅んでも魂が残っている者もいる。心が死んでしまえば生きていても、仕方がない。魂が残っていれば、たとえ体が滅んでも意味がある。」

魂が大事だというのは、人生の意味そのものだからです。

最後に、こう塾生たちに言い遺します。

「人間が生まれつき持っているところの良心の命令、道理上かくせねばならぬという当為当然の道、それはすべて実行するのである。」

誰がどういおうが、常識から外れていると罵られようが、道理上やらねばならぬというものは必ず行えというのが生き方です。

引き続き、今年も心魂を定めて社業に専念していきたいと思います。

 

 

自然の篩

私たちは無意識に様々な出来事の中から選択してきたことで今につながっています。それは諺にもある「篩にかける」ということを行っているように思います。この篩というものは粉・砂などの細かいものを網目を通して落とし、より分ける道具のことです。

この篩(ふるい)というものは、古いと同じ韻ですが「ふる」は「経る」からきているものです。経年していくなかで、朽ちず残るものが篩にかけられたものともいえます。そしてこの篩は民具の中でもとくに重宝され、長く人間に用いられてきたことが分かります。

篩にかけるというとき、本当に遺るものだけを選別するという意味になりますが篩にかけられるとなると、本当に遺るもの以外は選別されるということになります。

自然や時間というものは、自然に適っていないもの、真理や道理、法理に合わないものは自然淘汰していくものです。この自然淘汰とは、篩にかけられることであり理に適っていないものは消えていくということになります。

その篩は、人生においては死して名を残すものであったり、徳であったり義であったりと、それまでの体躯はたとえ寿命で失われても篩にかけられて遺ったものがカタチとなって顕れるのです。

長い目で物事を観るとき、現代まで古から遺ったものは自然淘汰の篩にかけられても消えなかったものです。それは人間も同様に絶滅していないのだから篩にかけられて遺った存在だともいえます。

しかし短期的に物事を観るのなら現代にあるものは自然淘汰されるものばかりであり、遺らないとわかっていてもそこにしがみ付いてしまうのはこの篩にかけることをしなくなっていくからではないかと私は思います。

身のまわりをよく見つめ、何百年も続くものは何があるのか、そしてすぐに消えてなくなっていくものは何なのかと、自然淘汰の理をみつめていけば自ずから自分が篩にかけられないように自らの篩を身に着けていく必要があると私は思います。

私が取り組んでいる自然農の古民家甦生も初心伝承も、私にとっては自然の篩です。

引き続き、信念をもって時代のなかで篩に残るようなものを子どもたちに譲り遺していきたいと思います。

 

常識が変わる

人はその人の生き方が変わることで当たり前の定義が変わっていくものです。当たり前が変わるというのは、その人にとっての常識が変わるということでもあります。本人にとっては当たり前だと思っていることも、他の人にとってはこだわりだといわれることもあります。その時こそ、お互いの間にある常識が異なることに気づきます。

この当たり前というのは、その人の生き方が物語っています。

この当たり前がどれだけ徹底されているか、当たり前になるほどにそれが身に着いているかは実践の質量に由ります。そして生き方もまたこの実践の徹底によって質が異なってくるのです。

例えばわかりやすいものであれば、「手間暇」や「丁寧」「丹精」などがあります。雑な生き方をしていて思いやりや真心が籠められず頭で計算ばかりしてきた人が、これではいけないと一念発起して敢えて手間暇や丁寧や丹誠を籠められるような準備やきめ細かく時間をかけてじっくりと取り組んでいく実践を日々に積みかねていくとします。

それがある一定の量を超え、質に転換されていくときその人は生き方ががらりと変わります。どう変わるかといえば、手間暇や丁寧や丹誠を籠めることが当たり前になってしまいもとのように雑にいいかげんな対応ができなくなってしまいます。どんなに忙しくても、思いやりや真心を籠めた行動ができるようになる。その時、その人にとっての当たり前は手間暇や丁寧や丹誠を籠めることが当たり前になるのです。

生き方というのは、頭で理解したからできるものではなく実践して自分自身をつくり変えていくことでできるようになります。

ここで大切なのは、自分自身をつくる担い手は自分であるということです。自分が自分をつくっていくのだから、当たり前になるまでは苦労も努力もありますが変わるためにと決めた実践を継続することで自分自身が成長して変化する。

そうやって自分を変えていくことで、私たちは観ている世界、観えている世界を別のものに置き換えていくことができるのです。

今までできない無理だと思っていたのはそれまでの常識が変わっていなかったからです。それまでの常識を実践によって変化させ、自分の常識が変わるのなら今までできない無理だと思っていた世界ががらりと変わってしまうのです。

そうなれば、周りからは無理だといわれ続けていたことが本人にとっては当たり前になりますから難しいことではなくなっていきます。そうやって、人は初心を定めたものに向かって挑戦し続けて内省し改善を継続できればどんな常識も毀すことができ、新しい自分に出会い続けることができるのでしょう。

実践は地味ですが、大事なのは場数をこなすこととたゆまず怠けず継続することにかかっています。

引き続き、今の時代に相応しい新しい生き方を提案するため暮らしを変えて働き方の常識も温故知新していきたいと思います。

努力の楽しさ~道楽の仕合せ~

聴福庵の離れのお風呂がほぼ完成し、一緒に井戸を掘った仲間たちにも体験してもらいました。苦労が報われる瞬間というか、努力してきたことが実る仕合せを感じながら皆と味わい深い時間を過ごすことができました。

振り返ってみると、長い時間をかけて手間暇をかけて一つ一つを丁寧に丹誠を籠めて取り組んできたことは努力だったように思います。その努力は、決して報われようとして取り組んでいた打算的な努力ではなく、本心から家が喜び、子どもたちが日本の伝統文化に触れる仕合せのためになるようにと祈りながら取り組んできた努力です。

寝ても覚めても、ああしたらいいのではないか、こうしたらいいのではないかと工夫して失敗しても上手くいってもいかなくてもそうか、次はこうしたらいいのかと葛藤しながらも楽しかったように思います。

この時の楽しいは、決して感情が楽しいというものではありませんでした。どちらかというと没頭していくというか、そのことだけに集中して苦労を厭わないというかんじでしょうか。

つまりは苦労の中にある楽しみとは、単なる嬉しい楽しいなどいう日ごろに感じているものとは異なり奥深いものです。つまりは苦しみそのものの中にいる仕合せというか、試行錯誤しながら寝ても覚めても取り組んでいる努力のことをいうのではないかと感じるのです。

努力といえば、王貞治さんのことを思い浮かべます。一本足打法の猛練習の努力のことは有名ですがこういう言葉を残しています。

「努力しても報われないことがあるだろうか。たとえ結果に結びつかなくても、努力したということが必ずや生きてくるのではないだろうか。それでも報われないとしたら、それはまだ、努力とはいえないのではないだろうか」

というものがあります。後半の「それはまだ、努力とはいえないのではないか」という言葉は、努力の本質を語っていることが分かります。

努力とは血がにじむようなものであり、また自分自身を削り取るようなものであることがわかります。しかしそれを頭で理解すると、ただ苦しく辛いだけのように感じますが実際はその苦しみの中にこそ真の楽があり、それが「努力の楽しさ」というものです。

つまり努力が楽しいと思えてこそ、本当の努力になっているということ。

努力そのものや努力することが楽しいとなっているのなら、先ほどのように寝ても覚めてもになるのです。この寝ても覚めてもこそが、楽しいのであり感情的には葛藤や苦しみがあったとしてもまた寝ては朝起きたらあの手があるやこの手があるなど、考えるのを已めずにまた挑戦しているということです。

人生は、この努力の価値を知る者だけが本当の成功を知るのかもしれません。成功者になりたいのではなく、努力することの仕合せを知ることが努力の跡に顕れる奇跡に出会う方法かもしれません。

苦労が報われるのは、それによって努力できた価値を再確認するからです。努力を振り返ることは仕合せを感じ直すこと。真苦楽こそが道楽のことです。引き続き、子どもたちのその努力の価値を伝道していきたいと思います。

和の空間

古民家甦生を通して和室を深めていると、和室の持つ空間のゆとりに気づきます。ゆとりとは余裕のことで、余裕とは空間の中にあるものです。

心が忙しくなってくると、心豊かな時間が失われていくものです。しかしそういう時に、この和の空間に身をゆだねているとゆとりや余裕、おおらかな心が甦ってきます。

この空間の持つ智慧を、私たちの先祖は伝統的な日本の家屋に取り入れたように思います。

この空間の智慧は、物事を大きくゆったりと捉える意識を持つという事です。とかく人間社会にいれば、日々の喧騒に心を奪われて自我に呑まれてあくせくと目先のことに捉われては大事なことを見失っていくものです。人間は自分の寿命で物事を考えますから、短期的なことばかりを思い煩います。それが次第に反自然的になり、不自然なことばかりをやって余計な労苦を増やしてしまっている原因かもしれません。

日本の伝統精神には「待つ」文化があります。この待つは「信じる」ことであり、信じるためには信じられる環境を用意していなければなりません。その際、自然と同じリズムや自然観を上手に取り入れ、心がゆったりと余裕を持てるような空間があれば心はそれに応じて余白が生まれます。

ここに和の空間を持つ意味があるように私は思うのです。

日本の伝統的な家屋の中には、心の余裕や余白といった空間の演出や空間の工夫が観られます。それは私が室礼や季節の行事をもてなすときに和の空間の御蔭で実感するものです。

この日本の精神でもある「待つ」思想は、どのような状態で待つかということに哲学を置いているような気もしています。悠々自適に、あるがままの自然になって待てる境地こそ、自然と一体になっている自然体の姿そのものです。

引き続き、和を深めながら自然体に近づいていきたいと思います。

乗り越える力~心の強さとやさしさ~

昨年から右足の坐骨や膝が痛くなり歩けなくなりました。右足は過去に交通事故から靭帯を断裂し複雑骨折をした場所もあり古傷がたくさん残った場所でもあります。はじめてのことで知り合いから病院をいくつか進められ診察しましたが、原因もよくわからずあまりすぐに治癒するという感じではないことはすぐに気づきました。

最初はやろうとしていたことができなくなり計画を大幅に変更する必要に迫られ心の葛藤もありましたが、ある整体院の先生からの話に納得するものがあり、乗り越えることの意味を考え直すよい機会になりました。

その先生からは私が普段、取り組んでいる自然農や古民家甦生、発酵などに近い自然観の話が多く治癒もまたそのように行っていくことを学びました。いくつかの話を抜粋して紹介すると、

「人間は常に重力の恩恵をいただいている、重力のお陰で骨も間接も筋肉も強くなる」

「歩行することで、治癒を助けることができる。この歩くことは生命の基本、その当たり前すぎるからこそ誰もこの歩行の治癒の価値に気づかない、この歩行医学はずっと過去から現在に至るまで変化していない普遍的なもの」

「人間に完治などない、それは社会的治癒のこと、本人がそのストレスのなかでも生活できればそれで治癒とする、完全に治す必要はない」

「姿勢をよくすることこそ、骨盤を立たせること」

「人間は体を動かすことで回復する」

「熱は細胞を痛める、早めにとること」

「昔の暮らしをやることがいい、今の道路は人間のための道じゃない、車のための道、だから公園ではわざと柔らかくし歩行者用道路になってる、本来は土がいい、土の上を歩くことがもっとも体に負担がない」

「医師が行うもっとも大事なのは経過観察、その人が自然治癒しているのに余計な介入をしない、よく観察しちょっとだけ手助けすること、介入し過ぎるから面倒なことになる」

「人間は時間をかけて成人していく、骨も筋肉も時間をかけてつくりあげてきた。同様に怪我をしもとにもどるのにはかなりの時間がかかるものと思うこと」

「治癒は常に自助努力によってのみ実現する、それを他人が変わって治してはいけない」

このよう話のキーワードを抜き取ってみても、自然に通じる話が多く、治癒の本質とは何か、私たちは何の恩恵をうけて体を維持しているか、そして心はどのような持ちようで歩んでいけばいいかなどを語っていることが分かります。

人間には心と体があります、そして精神もあります。このすべてのバランスを整えながら治癒していくことで今まで以上に強く逞しくなっていくのです。

そしてこの先生のアドバイスでもっとも心に残ったのは、「痛くても歩いていくことで治癒するんです」という言葉。これには私の得意分野ですよと即答しましたが、痛みを乗り越えて歩んでいくことで人は心を強くしていくように私は思うからです。

その「心の強さ」とは何か、それは「乗り越える力」のことです。

子どもたちに身に着けてほしい自立の力の一つとして世界でもリジリエンシー(resiliency)という言葉が共通理解を持たれています。これは心の回復力とも訳されますが、私にとっては「心の強さと乗り越える力」のことだろうと思います。

その時々の成長の痛み、生きていく上での様々なストレスや感情をどのように受け容れるか、あるがままを受け止め、如何に痛みを乗り越えていくか、それは痛みから逃げるのではなく痛いながらも歩んでいくことを已めないことが心を強くし、そして本物のやさしさを持てる人間になっていくということでしょう。

困難から決して逃げてはいけないのです、逃げるのではなく乗り越えることを教えることが人を強く優しくしていくからです。

心技体や心魂体のすべてを調和できるよう引き続き機会やご縁を子どもたちに還元していきたいと思います。

壁の定義

人は挑戦すれば何度でも壁にぶちあたります。壁があるから生き方が決めり、壁によって自分を磨き鍛えてもらうことができます。しかしその壁といっても壁にはその人の生き方が関係しますから壁という同じ言葉を使っても壁の定義が異なるのです。

例えば最初から諦めて何もしようとせずにいればそれが自分の限界として壁ができます。その壁はやろうともしないことで、どんなに小さなものでもできなくなってきます。またできることだけをやっていて新しいことに挑戦しなければその壁はいつまでも乗り越えられない壁として自分に立ちはだかってきます。失敗を恐れ、評価を気にしては、最初から挑戦すること自体を諦めればその壁は停滞の壁になります。

しかし挑戦する壁は、先ほどの停滞の壁とは異なります。メジャーリーグで現役で挑戦を続けるイチロー選手はこのような言葉を語っています。

「壁というのは、できる人にしかやってこない。越えられる可能性がある人にしかやってこない。だから、壁があるときはチャンスだと思っている」

ここでは壁という認識が諦めからきている壁ではなく、壁は乗り越えられるからあると挑戦を諦めないことから実感しているチャンスという表現を使います。つまりは、前提として挑戦しようとして感じている壁は必ず乗り越えられる壁であるという自覚があるということです。

事物に受け身になっている人は、先ほどの停滞の壁に苦しみます。しかし主体的に事物に挑戦する人は挑戦の壁に苦労します。どちらがいいとは言いませんが、明らかに壁を善いものとして捉えているか、壁を消極的に捉えているか、そこに生き方の差が出るのです。

この生き方の差というものが、どのような壁をつくっているか。一度、立ち止まって見て壁という言葉の定義が自分がどのように捉えているかで自覚を持つことが大切なことのように思います。できることしかしないという言葉も、前提に挑戦しようと取り組めば壁はその人を磨いてくれる重要な砥石になります。

壁を乗り越えるために、できることをやるのは挑戦を続けるということです。引き続き、壁を味わい壁を楽しみながら、その壁の向こうがどうなっているのか好奇心にワクワクドキドキしながら子ども心でピンチをチャンスに換えていきたいと思います。