一緒に考える人というのは、当事者意識が強くあります。自分が相手ならと考え、相手が自分ならと考えているうちに自分がまるで相手のことになり相手が自分のことになってしまいます。これを当事者意識といいます。
どこか自分事ではなく、相手の問題だとみている人は当事者になることができません。当事者ではないのだから思いやりも発揮されず、まるで他人事のように自分には関係ないものだと処理したりするものです。他人事になれば巻き込まれたくないや、責任を取りたくない、関係したくないと思い余計に関わらなくなっていきます。自分の問題だと物事を常に受け止める人は、それを自分事にして取り組みますから体験も2倍、経験も2倍、いやそれ以上に他人の人生まで介入して悩んで協力して手助けするのだから偉大な成長があります。さらには、自分を守るのではなく誰かを守ろうとするのだから自分に囚われず大きな目線で大胆に行動することもできます。つまりは自分の想像を超えた成長があるのです。
仕事ができる人や、みんなに必要とされる人はこういう人が多くいつも自分を誰かのために活かしています。その逆は、いつも自分のために誰かを使おうとします。前者はいつも周りには協力者が現れ、後者はいつも独りぼっちです。
信頼関係を築くというのは、言い換えればいつも協力しやすい関係になれるように努力しているということです。それは自己防衛ではなく利他防衛、お互いを思いやり一緒に考え続けてお互いにどうしたらいいかとお互いに誰かのために自分を活かし続けていくということです。また自分の心配をしなくていいようにみんなの安心のために働き、できうる協力を惜しまず自分に起きたことは周りにも一緒に考えてもらえるようにいつもオープンな情報共有を怠らないようにすることです。それは周りに申し訳ないという遠慮をするのではなく、みんなもきっと自分と同様に役に立ちたいと思っているという配慮です。
それに自分の心配や保身から身構えて壁をつくって相談にいくのは相談ではありません。「一緒に考えよう」と自ら心を開き、仲間に意見を委ね、取り組みに手伝ってもらえるように信頼し合っていく、こういう日々の積み重ねの連続が自他一体の境地で生きていくことのように思います。
人間は不思議ですが、自分が助けたように見えて自分が助けられているものですし、相手を助けたいと思って真心で行動したことによって自分が助けられていたということばかりです。
お互いに助け合うことで人間社会が成り立っているとするのなら、私たちの本来の仕事は自分のためにすることではなくすべては周りの人たちのためにあるのです。
同じ目的のために力を合わせるということが、人間の元来もっている協働や協力の徳です。それが発揮されないような環境や、邪魔するような刷り込みを如何に取り払い仕組みにしていくかは社會を創造していく上で大事なことです。
引き続き社業の実体験に基づいた経験を深堀し、そこから得られた智慧によって子どもたちが安心できる社會に一燈をささげていきたいと思います。