生きる工夫

なんでも楽しんで生きている人は、人生を悔いなく味わって生きているものです。マジメになり楽しくなくなってくると人生は後悔ばかりの連続になります。この人生を如何に楽しむかのコツを掴むというのは生きていく上で生き甲斐や遣り甲斐を味わう大切な素養になるように思います。

先日、ある学校の伝承の一つに「ふざける、楽しむ」というものがあるとお聞きする機会がありました。学園祭や文化祭など団長や実行委員は敢えてマジメにやらずふざけることと先輩から後輩に伝承されているそうです。きっと楽しむためにはマジメにやっていても楽しくなるわけではなく、多少ふざけた考え方をした方が味わえるということなのでしょう。

このふざけたというのは決して幼稚なという意味ではなく、楽しむという意味です。楽しもうとするからふざけるのであって、ふざけるから楽しむことができます。フマジメな態度で何かをやっているとよく「ふざけるなもっとマジメにやれ」といわれることが多いですが、マジメに楽しいことをしようと思っても楽しくなることがないからふざける場合もあるのです。

人生行路の中でたとえ修行中と言われるような苦行の最中であったにせよ、その境遇を楽しもうと思っている人はその修行すらも味わい遣り甲斐や生き甲斐を感じています。そのためにはただ修行をマジメにやろうとするのではなく、如何に修行をふざけられるか、つまりはどうせやるのならもっと没頭してみようと思ったり、やり方を工夫してみようと思ったり、心の持ち方を換えてみて今しかないのだからと味わおうとしたり、自分の成長を記録してみたりと楽しむための努力をするのです。

このふざけるというのは、心の余裕につながります。心の余裕や余白がないからマジメになるのであり、言い換えればマジメだから心のゆとりが失われ楽しくなくなってくるのです。

どんなことも好奇心で楽しむ人は、どんな時でも心の余裕や余白を持っています。ふざけているようで本気、マジメではないように見えて真剣、つまりは本気で真剣に生きていればいるほどに「にこにこ顔で命懸け」の境地で人生を楽しんでいるのでしょう。

一度きりの人生だからこそ、後悔ばかりで暗いマジメじめじめな日々を歩むのではなく二度とない人生、一期一会に真剣に楽しんで日々を歩んだ方がかけがえのない人生を送れるようにも思います。

マジメがダメだと言っているのではなく、どんな境遇も「楽しもう」と思うことが人生の仕合せ、生きる歓びにつながってくるように私は思います。抑圧やマジメの刷り込みに負けないように、日々の生きる工夫を創造し味わっていきたいと思います。