物事の道理を判断していく上で、自然か不自然かという判断基準があります。何が自然で何が不自然かと見極めていけば、不自然なことをやめていくのなら自浄作用や治癒が働き自然に回帰していきます。
しかしこの自然が分からなければ、いつまでも不自然なことを続けてはより自然から遠ざかっていき元の状態すら忘れるほどにおかしな判断ばかりをしてしまうものです。
私たちは本来自然物の一つですから、自然から離れすぎれば自然ではない状態に次第に疲れてしまいます。私たちが現代の社会や都市の中で疲れるのもまた、不自然な環境で不自然を続けているからに他なりません。不自然な中でも自然を保てる人と、そうではない人の間では心身に大きな影響が出るだけではなく道理から外れる分、真実の生活からも遠ざかっていくかもしれません。
自然を知るということや自然を学ぶということは、道理を学ぶことであり天理や法理を知るということでもあります。自然を観察して自然と一体になって暮らしていくことで、道理に沿った生き方を学び、真理に近づき離れない判断基準を醸成していくことができます。
自然は決して知識で学ぶものではなく、自然から学ぶものです。それは物質的には火や水、光や闇からはじまり、文化や風土に至ります。そして心や精神を学び、恩や徳などに至ります。そうやって自然とは一体何かということを、深めていく中で人は自然から乖離しながらも自然を内包し続ける矛盾を受け容れることができるように思います。
自然を学ぶということは、真理や本質を学ぶということです。自然から学び直すのは自分自身から学び直すことであり、学問の基本姿勢を身に着けるということです。自分の心の声が素直に聴ける人は自然を学んでいるとも言えます。そのうえでエゴを従えつつ心を優先できる真心の人は自然体の人だとも言えます。
自然体になるということが人間本来の大目標の一つであることは、改めて歴史や世界を見渡すと自明の理です。
引き続き、子どもたちに自然あるがままの生き方を伝承できるように自然から心の本来を学びつつ深め続けていきたいと思います。