人が仕事をするのに「やらされ感」というものがあります。やりたくないことを誰から言われて仕方なくやらないといけない時や、義務感からしなければならない状態の時、また自分の仕事があるのに他の誰かの仕事を手伝わないといけない時などやらされ感というものを感じるものです。
やらされ感がなぜ出てくるのかを深めてみると、その根底には自分にとっての損得や担当制のように自分がやりたいこととは別のものに取り組まないといけないことへの不平や不満から出てくるものです。これは被害者意識もそうですが、比較や評価、自分を認めてもらえていないことへの不満から余計に担当意識というものが強くなるように思います。
担当意識といっても、例えば会社であれば雇われている意識と自分が会社を創業している意識とでは言葉が同じでもその意味が異なります。前者は、雇われている中での自分の義務感からの担当という意識であるのに対し、後者は自分も会社を創っている担当なのだという使命感を帯びた担当意識になります。
つまり担当がいいか悪いかではなく、どの意識で取り組むかで担当の意味が異なってくるのです。
やらされ感というものは、そもそも何のために自分が仕事をして自分にしかできないことが何かを自覚していないことから出てくるものです。本来の会社の目的を知り、自分の初心を忘れず、全身全霊で粘り強く取り組んでいけば自分にしかできない仕事が増えていきます。
そういう人は周囲から信頼されていきます。信頼されるから遣り甲斐を感じより周りから仕事が集まり人気が出てきます。忙しくなりますが、その分、多くの人たちへお役立ちできる実感と信頼関係が増えていくことによる支援が多くの人たちから入ってきます。その逆にやらされ感でやっている人は信頼できないから人気がなくなり仕事が減り暇になります。暇になっている人は、与えられた担当の仕事をやることだけに集中していますから仕事の質が下がっていきます。本来は与えられた仕事をすることが仕事ではなく、自分から仕事をすることで信頼は積み重なっていきます。
与えられたことを言われた通りにやるだけでは信頼は増さず、言われたこと以上のことに取り組んだ時に人はその人を信頼します。つまりは「自分から」取り組んだ分だけ信頼は増えていくということです。
当たり前のことですが、人は仕方なくやっている人や嫌々ながらやっている人に頼もうとはしなくなります。人が頼み信じるためには、頼む人が「自分から」取り組んでくれる人かどうかを見定めているのです。それに言われたことしかしないことよりも、「自分から」取り組んでいく方が仕事は楽しくなっていきます。自分も楽しくなるだけでなく信頼されるのだから本来「自分から」取り組むことは一石二鳥なのです。
どんな大きな目的もそして会社経営も、皆で力を合わせて「協働」してはじめて成り立ちます。だからこそこの「自分から」という主体性は何よりもその協働の信頼関係を築き自ら心地よく楽しく仕事をするためのなくてはならない初心者の基本なのです。
つまり人生の中でどれだけの人に信頼される人になっていくかがその生き方の明暗を決めるということかもしれません。皆から信頼される人は、自分に正直で誠実、そして素直で真剣な人です。
環境によって歪められた主体性は、初心や理念、その他の風土の醸成によって改善できます。子どもの憧れる大人になるために、生き方の癖や習慣を直す仕組みに取り組んでいきたいと思います。