自分のルーツを知ろうとすると私たちはますはじめに自分の血筋というものを確かめていきます。自分の中に流れている血は確かなもので、その血がどのようにこれまで受け継がれてきてかを辿っていくのです。
そして同様にそこには確かな歴史があります。一部は文献として遺されるものもありますが、その文字で書かれたものは当時に誰かが改ざんしてしまったり、自分たちに都合が悪いものを消し去ってしまうこともあります。
だからこそ自ら血筋を辿り、自ら縁故各地を巡り、自分の足で歩いてはその道筋を確認することや、その土地の人から伝えられることや、自分の中で感じるその懐かしさや直観を使って全体的な筋道がどうなっているのかを掴むことが大切であろうと思います。
私もここ数日、自分の先祖に何方が居てどのように今に至ったかを調べていく中で自分の血が滾るのを何度も何度も覚えました。時には悲しい歴史を知り心を痛め、時には素晴らしい偉業を遂げた先祖を誇らしく思い、また時にはその歴史から自分が何を気を付ければいいかを先祖から直接的に諭された気がして頭が垂れる思いがしました。
本当の歴史とは、紙や文字で伝えるものではなく自分が伝えていくことです。それはいつまでも自分自身の感覚が歴史を忘れていないと信じることです。頭や知識で分かるのはせいぜい文字の範囲であり推測や記録の域を超えません。しかしこの自分の感覚で道筋を遡りそして筋道を確かめる、この筋が通った道理を自分自身が確認すれば、なるほど自分にはこういう歴史があると必ず直観できるのです。
ご縁はとても不思議で心に強く思い願えば、自然に導かれるようにその道が示されます。特に因果律が存在する以上、必ず今につながっている結果を遡れば原因に出会います。その原因と結果の間には、列記とした筋道がありますからその筋道の間をどのように直観していくかが歴史を知る醍醐味なのです。
私はもともと直観が強いタイプで、デジャブやシンクロニシティが多く奇跡のような体験が日常的に発生しやすいような気がします。表現が難しいですがまるで何か小さな出来事や微細なご縁につながるメロディーが聴こえて直観し、その筋道や道理がハーモニーを奏でるように観えてくる感じです。これが血が滾るという感覚ですが、歴史を辿るときっと同じような感覚を誰しも持つはずです。そしてその音楽を通して過去に何があったのか、この先の未来に何が起きるのかも心で察知していくような具合です。これは歴史の端を発する音を聴き分けているようにも思います。歴史は音楽を奏でている物語のようです。
そして今でも人々が記憶に遺したい口伝や石碑などにも、その道筋のヒントはたくさん隠れています。そして文献が残っていないものにこそ遺しておきたい事実は隠れています。その隠れたものを自分の足で歩いて手探りで掘り出していくことが歴史の探索の面白さです。
子どもたちにも、歴史の大切さを伝承していけるように私自身がご縁の筋道を通す生き方を磨き継承していきたいと思います。