本物のチーム

私たちが取り組んでいる一円対話は、本質的なチームを実現させるために実践を行う仕組みです。その智慧は、日本の伝統的な精神でもある「和」に基づき、それを人々の間で共有することで多様な価値観を持つ人たちが協働して偉大なことを実現するという仕組みを用いています。

チームといっても、いろいろなチーム観があります。例えば、似た価値観を持っている人たちが集まる仲良し集団のチームだったり、軍隊のように規律正しく一糸乱れぬ集団のチームだったり、専門的なスキルをそれぞれが持ち合って先端的な集団のチームであったり、変幻自在に状況に合わせて変化する集団のチームであったりと、チームという言葉は一つでも、実際には多様なチームがあることに気づきます。

日本にたくさんの色を現す言葉があったり、詳細に分かれた季節を現す言葉があるように、自然界は一つだけの価値観でまとめられるほど大雑把ではなく、繊細で複雑に変化しているものだから一つでまとめることができません。それと同様にこのチームというものも、一つでまとめることはできずその時々に変化していくものですからチームのカタチにこだわっていてもキリがありません。

いつも仲が良く何も争わないことがいいチームだと思い込んでいる人がいますが実際には人間は複雑ですから個々の感情を無視したり我慢したり、抑え込んだり、分けたりしてもそれでは本当に力を合わせることはできません。チームワークには、常に感情も伴いますからお互いの価値観が異なり感情が入っていても認め合いみんなで「和」を尊びながら助け合い思いやり取り組んでいくのが本質的なチームワークになります。

そのためには、それぞれ個々が目的や初心を忘れずに、感情もあるけれどその我を省きながらもみんなのためにと「和」を優先して心で聴ける共通理解が必要です。言い換えれば、みんな異なっていてもいい、そのうえでみんなで助け合えればいいという具合に全体快適になるようにみんながそれぞれに自分を修めていくのです。そしてそれもいいね、これもいいねと、みんながあるがままで働けるように場を整えていかなくてはなりません。

その環境を用意していくには、日ごろの修練が必要です。今の時代は、個がすべてにおいて優先され自分のことしか考えない、自分のことしか守らない、全体やみんなによって活かされていると思いにくいような社会があります。それに全体主義やみんなを優先とするとどこか個が消されて軍隊のようになると思い込まれている人もいますが、本来はみんながいる御蔭で私が暮らしていける、社會があるからこそ私が活かされると、みんなで社會を見守り育てていくことが「和」を優先するという本質なのです。

どんな社會を創っていきたいか、それはどんな小さな組織であったにせよその理念が必要です。それはみんながそれぞれに価値観が異なっても理念があればそれでいいとし、それを活かそうとお互いを認め合って協力していくような社會にしていくことが創始人類からこれまで平和を維持してきた智慧だからです。

他を排除し、自分さえよければいいと、自分にとって都合のよい社会などでは社會は育たずバラバラになって消失してしまいます。

人類の平和を保つためにも子どもたちに譲り遺していきたい社會を今の大人たちが創ってこそ、それを憧れて真似をしてくれる子どもたちが増えていくことと思います。チームは何のためにあるのか、それをもう一度、真摯に見つめ直して取り組んでいかなければなりません。

一円観は、人類社會のあるがままの姿です。そして本物の社會を創るために本物のチームはあるのです。

引き続き、本物のチームを実現させるべくパートナーの皆様と一緒に子どもたちのために貢献していきたいと思います。

民話の智慧

むかしの民話の中には、私たちにご先祖様が大切にしてきた生き方を伝承するものがたくさんあります。その多くは、どのような選択をすることでどのようなことが発生するかという人の生き方を示してあるように思います。

私が特に覚えている民話の中で好きな話は「笠地蔵」です。あらすじを紹介すると、

『ある雪深い地方に、ひどく貧しい老夫婦が住んでいた。年の瀬がせまっても、新年を迎えるためのモチすら買うことのできない状況だった。 そこでおじいさんは、自家製の笠を売りに町へ出かけるが、笠はひとつも売れなかった。吹雪いてくる気配がしてきたため、おじいさんは笠を売ることをあきらめ帰路につく。吹雪の中、おじいさんは7体の地蔵を見かけると、売れ残りの笠を地蔵に差し上げることにした。しかし、手持ちの笠は自らが使用しているものを含めても1つ足りない。そこでおじいさんは、最後の地蔵には手持ちのてぬぐいを被せ、何も持たずに帰宅した。おじいさんからわけを聞いたおばあさんは、「それはよいことをした」と言い、モチが手に入らなかったことを責めなかった。その夜、老夫婦が寝ていると、家の外で何か重たい物が落ちたような音がする、そこで扉を開けて外の様子を伺うと、家の前に米俵やモチ・野菜・魚などの様々な食料・小判などの財宝が山と積まれていた。老夫婦は雪の降る中、手ぬぐいをかぶった1体の地蔵と笠をかぶった6体の地蔵が背を向けて去っていく様子を目撃した。この地蔵からの贈り物のおかげで、老夫婦は良い新年を迎えることができたという。』(wikipediaより)

この民話に、私は幼心に正直者についてのお話で正直であることの尊さ、正直者は必ず将来にその徳が報われるということを教えてもらったような気がします。

現実にはお地蔵様が歩いて探しに来ることや、財宝を持ってくるなどありはしない出来事でそんなことをしても意味がないという人もあるかもしれません。しかし、人間には他のいのちを思いやる徳心は必ず備わっており、それが無機物か有機物か、生きているか死んでいるかの区別もなく、それをみて自分を映し共感する心があるように私は思うのです。

辛い思いをしているいのちを観れば、かわいそうと思う優しい心、助けたいと思う思いやりの心があります。孟子はそれを惻隠の情という言い方をしましたが、人間は誰しも自分を差し置いても誰かのためにと真心を盡したいという美徳があるように思うのです。

そうでなければ、赤ちゃんが生きていけるはずがなく、老齢になり生きていけるはずもなく、いついかなる時も誰かの優しさや思いやりに助けられて生きているのが人間の本質なのです。

その本質を引き出していく民話や、童話は、生き方やあり方、その道が示す徳の意味を語り掛け人間としての本来の在り方を忘れないようにと見守ってくださっているように思います。

現在は、あまりこのような民話が語られることが少なくなってきましたがむかしから語り継がれるものにはご先祖様の生きてきた智慧がたくさん詰まっています。その宝のような智慧を如何に伝承していくかは、今を生きる私たちの使命かもしれません。

引き続き子どもたちに譲り語り遺していきたい未来のために、実践を続けていきたいと思います。

心の持ち方を変える

以前、ある方から心の持ち方としてコップのお水のお話をお聴きしたことがあります。コップに水が半分入っているとして、ある人は「コップには半分しか水が残っていない」とし、ある人は「コップにはまだ半分も水が残っている」とし、またある人は「コップに水があるだけで有難い」という人がいるという話です。

これは物の観方のことで、見方を変えれば見え方が変わるだけではなく心の観え方が変わるということを示唆します。つまりは、心の持ち方次第で観えている世界が変わるということです。

これを社会学者であるP.Fドラッガー氏が語ると「コップに『半分入っている』と『半分空である』とは、量的には同じである。だが、意味はまったく違う。とるべき行動も違う。世の中の認識が『半分入っている』から『半分空である』に変わるとき、イノベーションの機会が生まれる」というように「イノベーション」(意識の転換)ということになります。

そもそも立っている場所が変わらないのに、観ている世界が一瞬で変わる。意識の転換とも言いますが、これが価値観の変化であり、すべての在り方を変革させてしまうということです。

私の思う変化というものは、単に成長した先にあるというものではなくある時突然に意識が変わってしまうという具合にそれまでと物事の捉え方がまるで変わってしまうときに変化したというように定義しています。

人は観え方が変わらない限り、次第に窮屈になりマンネリ化し、狭く囲まれた常識や枠の中で閉じこもってしまいます。その枠を外すには、無理にその枠から出ようともがくよりも先ほどのコップのように物事の観方の方をさらりと変えていく柔軟性を持った方が変化がしやすいように思います。

楽観的で気楽な人は、それだけ物事の観方を転じやすく心の持ち方を変えるチカラが高い人のように思います。マジメにあまり無理をしてやっていてもより追い込まれてしまうだけで、そこから革新的な発想は生まれにくいものです。

そういう時は、先ほどのコップのようにないものを見るのではなくあるものを観ること、そして足るを知り感謝で生きていこうとすることで心の持ち方を変えていくことができるように思います。

どうにもならない現実(常識)を変えるのは、悲壮感ではなく前向きな楽観性です。まだあると、ある方を観ることができるのなら発想もアイデアも無限に湧いてきます。頭で考えすぎたり、恵まれすぎていたりすると、人は謙虚さを失いないものばかりを追い求めるようになるのかもしれません。失っているものばかりを見るのではなく残っているものを観る方が豊かだし、遺してくださったと感謝する方が仕合せです。

人間は時代がどんなに変わって環境が変化したとしても心の持ち方次第であり、どんな時もあるものを観て心で有難さを感じいただいているご縁に感謝しながら生きていくことで道が拓けていくように思います。

難しいことに挑戦していくからこそ人生は遣り甲斐も生き甲斐もあります。楽しく豊かに心の持ち方を転換しながら自助錬磨を味わいたいと思います。

ルーツを辿る意味

自分のルーツを辿っていきながら不思議に思うのは、いつも自分がなにかに見守られたり助けてもらったり、教えをいただいたり、気づきを得られたところに先祖のつながりがあると発見することです。

自分はここがかつてご先祖様が居たところだと頭では知らなくても、なぜかそこに何度も訪問していたり、そしてそこで育っていたりと後から調べるとわかってくるのです。そうやってご先祖様とのつながりを感じていたら、次第に感謝の気持ちが湧いてきます。

御先祖様の見守りの御蔭様で今の自分があることを知れば知るほどに何かご恩返しができないかと考えるようになります。ルーツを辿ることで得られるものは、感謝の気持ちがつながることかもしれません。

感謝の気持ちがつながれば、自ずからご先祖様に手を合わせて拝んでいます。そしてご先祖様が叶えたかった夢の延長線上に今の私がいて、その志を継いで今私がそれを仕事にしていたり、生き方を追い求めていることに気づきます。

つまりは御先祖様が、大事にしてきた初心が今の私の精神や魂を形成しているということに気づくのです。

思い返せば私はなぜ今、こんなにもこれを想うのか、そして願うのか、それは一体何処からやってきたのかと省みるのなら、それはすべて過去の体験で得られた気づきであることを覚えます。

その体験からの智慧が、その後の誰かの役に立ったり、そして同様に共に志に生きた仲間たちがまた今世で集まり、その夢を子孫たちが叶えようと挑戦を続けます。ご縁がある人たちはみんな、御先祖様が大切にしてきたことを一緒に体験した同志かもしれません。

私は、未来にこれからずっと生まれ続けてくるであろう子どもたちのために日本の智慧や叡智、そしてご先祖様の思いやりや優しさが途切れないようにしたいと願うのです。その思いやりや優しさが循環し続けるように、循環を遮るものや循環を変えてしまうものを取り払いたいと挑戦するのです。

子どもの志事というのは、決して単なる教育か何かだけをすればいいのではなく子どもたちが安心してこの先も暮らしていけるように今、私たちにできることを真剣に取り組むことです。

それが今、失われつつあるものの甦生であったり、繋がりが切れないように強く結び直すことであったり、取り組むべきことは多岐に及びますが、自分が気づいたところから直していくしかありません。

ルーツを辿ることは、自分たちの循環を知ることです。

感謝のままに、子ども第一義の実践を強めていきたいと思います。

本物の和

日本は明治維新後の高度経済成長の中で、古いものを捨てて新しいものばかりを追い求めてきました。外国から入ってくる新しい価値観や、文化を取り入れては古いものはダメだとさえ言い聞かされみんな新しいものに飛びついていきました。

それまで大切にしていた先祖代々の風習や地域のつながりなども捨てて若い人たちを中心に都会に出ては、過去の日本で行われていた地域地域の風土に合った生活習慣や文化なども否定していきました。今では後継者も育たず、立ち消えたところ、または風前の灯のところも増えています。

子孫や子どもたちのためを思えば、ひとつでも多く遺したいと思うのですが古いものはダメという価値観があるからかなかなか関心を持つ人が増えていかないように思います。

私は現在、古民家甦生や伝統文化の伝承など子どものために尽力していますが古くからある智慧や叡智を垣間見るとどれにも感動します。それは単に古いから感動するのではなく「本物」であるから感動するのです。

私は別に古いか新しいかという二元的な見方で物事を判断するのではなく、それが本物かどうか、そして本質かどうかを考えます。すると別に古くても新しくても本物でないものには感動しないだけで、本物はいつの時代もどんなに古くても新しいままの普遍の価値を持っているのです。

最近では、「和風」というように家も和風にします。実際に置いてある道具や家具、そして建材などを確認すると畳はイ草でもなく、障子も紙でもなく、土壁も土ではなく、柱も木ではないなどといったものが「和」に「風」がついて和風といわれ横行しています。しかもその和風に何の違和感もなく、これが日本の文化だと語られていたりします。本物と偽物の違いが分からなくなってきているから、新しいか古いかの価値観に人は縛られているのかもしれません。

古いか新しいかではなく、本物であるかという物差しを持てば、日本古来から様々な伝統文化や暮らしで用いられた智慧の凄さを再実感できるように私は思います。

子どもたちは自分たちの文化を知るのに、和風ではわかるはずないのです。

本物の和を遺し譲っていくことなしに、日本文化の甦生もあるはずはありません。引き続き子どもたちの仕事をするからこそ、偽物か本物かを見極める心と目を持ち、何百年先にも普遍的なものを遺し譲れるように妥協せずに社業を挑戦していきたいと思います。

つながりの意味~ご縁に生きる~

「つながり」という言葉があります。この「つな」は、「綱」ですが綱を作るので植物の蔓の蔦(ツタ)を使ってきたものとあります。綱は、縄や紐よりも太く強いものです。「繋がり」の意味もこの綱を絡み合わせていくというところから出ている言葉です。そして切っても切れないほどのつながりのことを「絆」とも言います。

この「つながり」は、遠い先祖から今に至るまで出会い様々な物語を体験してできた魂や心のつながり、そして様々なものが不思議に絡み合って形成し続けているつながりがあります。

例えば、今身の回りにあるものもそれを発生したものは過去の何かとつながり存在しているという事実。またこれから新しいものとつながりこの後に存在を創造していくという事実。あらゆるものの実相は、このつながりに由って存在しているとも言えます。

しかし私たちは、目に見えるものしか信じなくなってくると目には観えないつながりの方を感じようとはしなくなっていきます。歴史や過去を遡り、自分の身の回りにあるものとのつながりを感じようとも思わなくなります。そうしているうちに、つながりが分からず、なぜ今、それが其処にあり、一体何の意味があるのかということにも思いを馳せらず、ただ起きた事象に一喜一憂しているだけになってしまいその意味を深めていくことを怠ってしまうものです。

人は出来事や事象、その存在を深めるとき意味に出会います。

その意味は、何をつながっているのかと感じるとき全体的に何を体験したがっているのか、またその体験をする理由を悟るようにも思います。人生は何度も何度も似たような体験をしながらも、もっとこうやりたいや、もっとこうしたかったというやり直しがきくのです。

だからこそ、人生は面白くその意味を深めながら何度も思い出とつながり、味わえ楽しめるヒントやチャンスを得ることができるように思います。つながりを感じて生きていく人は、心安らかであり、平和を感じます。

このようなつながりのことを日本人は「ご縁」と名付けました。

ご縁を得ることで仕合せを味わい、ご縁を結ぶことで心の平安が訪れる。ご縁を大切にして生きている人は、どのような時代であったとしてもその人生において福を得ているのかもしれません。

引き続き、ご縁を大切にしながら自分の天から与えられた使命を全うしていきたいと思います。

見守り続ける意志

むかしから「守る」という言葉は、私たちの暮らしにとって欠かせないものでした。何かを守ろうとする人は、守る意志を持っている人です。この「守る」は大切なものだからこそ、いつまでもそれを大切なままにし続けていくという意志があるということです。

その意志とは何か、それは「子ども心」のことです。

私たちは子ども心に憧れを持っています。生まれる前の記憶のようなイメージでもいいかもしれませんが、最初から「これをやりたい」という意志があるように思います。それが時間と共に色褪せていき、何をしたかったのかなど思い出せなくなっていきます。

しかし何かを切っ掛けに思い出したり、ご縁が結ばれて導き出されたりしてその「子ども心」に出会います。その時、守るものの存在に気づきます。その存在は「子ども心」であり、その子ども心を守ることでその人は意志に守られていきます。

人は何かを守ろうとするとき、強く優しくなっていきます。それは、子ども心の意志が目的に向かって助けてくれるからです。守るものが守られ、守られるものが守ろうとします。これが人間の奥深さではないかと私は思います。

一体、天や神様や御先祖様、またお地蔵様は何を守っているか。

その守っているものに気づくことが、道の入り口かもしれません。守られてきたからこそ守りたいと思う心は、恩のことです。恩はめぐり合うことで積み重なり強くなります。その恩を大切に生きていけば、自ずから守られる存在になり守る力を持てる存在になるように思います。

私自身は、子どもの頃から守ってくださっていた存在を守りたいと願っています。

引き続き、子どもたちが安心して自分の天命を全うできるように見守り続けていきたいと思います。

守り祈る

むかしから私たちは信仰心を大切にしてきた民族です。全国各地には神社や仏閣、そしてありとあらゆるところに祠やお地蔵様が祀られているのに気づきます。現在は車中心の世の中でアスファルトが整備され、隅に追いやられ参拝し難いところにひっそりと存在しています。

地域の人たちや関係があった縁故の人たちも、皆で守ろうと声をかけても現在では宗教の自由だといわれむかしから守ってきたものを放棄しようとします。責任感が強い方や、情け深い人が中心になって自費で維持管理しているところも増えているように思います。

地域の神社も、自治会が管理していても最近では若い人たちが減り、高齢化から体力的にも金銭的にも管理が行き届かなくなり次第に荒れてきています。そうなれば鬱蒼とした場の雰囲気にまた人が寄り付かなくなり、さらに参拝する人が減り荒廃します。

そもそも宗教に宗派や教祖が出たのはずっと後の話です。本来、私たち人類は自然に山を拝み、太陽を拝み、海を拝み、天を拝み、誰が教祖でもなく何の宗派もなく、自ずから偉大な見守りに対して自然に頭を下げて祈りを奉げてきました。

世界に宗教宗派が発生し、争い出したのはずっと後になってのことです。その人たちが自分たちの宗派は宗教、教祖を偉大にするために分けて自由を押し付け合っているのは根本的にズレているのです。そもそも自由とは不自由に対しての自由(自分勝手)ではなく、思いやりがある自由なのです。宗教の自由というのであれば、思いやりをもってお互いを尊重して助け合おうとすることを優先する必要があると私は思います。

私の郷里の御地蔵様は、陰ながら管理してお世話をしてくださっている人がいます。祖母の代から、祖母が守ってきたものをその娘がと代々守り続けています。今では地域を離れ遠くにいって若い人がいなくなってきて存続すら難しくなっているといいます。守られていると感じている人は、守り続けていきます。この守ろうとする心の中に、人間本来の深い信仰心が存在しているように思います。

当たり前にあった人類の根本が、便利で歪んだ個人主義によって荒廃してきますが必ず人類に信仰が必要になる時代は回帰します。その時のためにも、先祖からずっと守ってきたものや祈ってきたものを子孫へと繋げることは一生を懸けた一大事なのです。

子どもたちに譲り遺していきたいものをご縁のある身近なところからまた一つずつ増やし守っていきたいと思います。

むかしから今を想う

昨日は雨樋の歴史を書きましたが、大きな目で観るとむかしはなんでも自然からの恩恵を勿体無く使い活用していたのに対し、それが近代になればなるほど便利か不便かという考え方に切り替わってきたようにも思います。

それはいわば人間が自然に対して共生するか征服するかという自然との付き合い方の歴史だとも言えます。むかしはどうだったか、改めて「むかし」を学ぶことで私たちの先祖は何をどう選択してきたかという生きた教材から大切な智慧を学び直すのです。

むかしという意味は、向かうから来ている言葉で今はむかしとなると今に向かってきた方ということになります。つまりは、古から今に対してどのように向かってきたかというプロセスことを言います。むかしという言葉を人が使うとき、それは単に過去にあった出来事を語るのではなくご縁を語っているのです。どのような縁起があって由緒があり今に至るのか、その全体の意味を直観しているのです。

全体の意味の直観とは、智慧のことでこうしたらこうなるという歴史から得た教訓を学んでいるのです。そのうえで私たちの先祖たちが何を選択してきたか、そしていつも何に憧れて挑戦してきたかを学び直すのです。

私たちの先祖はいつも徳治による自然との共生を大切にしてきました。簡単に言えば、自分を含めたいのちへの思いやりや全体への優しさを大事に和して生きていく背中を子孫へ譲っていくことです。

その自然やいのちへの思いやりが、人間として尊いとし、自分勝手な利己的な生き方よりもみんなが仕合せになる利他的な生き方をしてきました。そのことにより全体調和し全体快適な暮らしをみんなで支え合ってくることができたのです。

平和というものは、そういう暮らしが長く続くことでいつも思いやりや優しさこそ最善であるとしみんなそれぞれに自分を磨き自分に打ち克って魂を高めてきたのです。

世界には多様な民族があってそこには多様な歴史があります。しかし日本が世界から尊敬されるのは、一体どこのことを言うのかと自分たちは歴史から見つめ直さなければなりません。

神話の国譲りより今に至るまで、私たちの先祖はその生き方を何度も試されその都度貫いてきた人たちが守ってきました。その守ってきた文化を、どのように次世代へと譲り渡していくかは今の世代の大きな使命です。

むかしから今を思うことは、わたしたちの使命を振り返ることです。

引き続き子どもたちに譲り遺したい生き方を磨いていきたいと思います。

雨樋の甦生

古民家甦生で雨樋の修理のことでその歴史を深めています。あまり意識することもありませんがこの雨樋は家を守るためにとても大切な道具の一つです。

そもそも雨樋の登場を調べてみると、平安時代後期に作られた歴史物語「大鏡」の中のの一節『あわいに「ひ」をかけて涼し』という記述にあるそうです。この「ひ」こそ「樋」を意味し 当時の建築様式であった多棟住宅の谷の部分である「あわい」に取り付けた「受け樋」でこれを「懸樋」とも呼ばれ、雨水を排水するよりも飲料水や生活用水として屋根から水槽に導く「上水道」の役割を果たしていたといいます。

むかしは、綺麗な雨水は飲料水として確保していたのがわかります。以前、カンボジアにいったときも天井からの水を水甕に貯めてそれを飲料水や調理用の水として活用していました。川の水が不衛生であるのに対し、天から降る雨は清潔であったからこそ屋根を水受けにして水を沢山貯めていました。雨が降らなければ飲料水もなく、生活に雨と雨樋は大変大きな役割を果たしていたといいます。

飲料水としての使用から今の排水のカタチになるのは、奈良時代だといいます。奈良時代には仏教が伝来し神社仏閣が瓦屋根になってきました。そして江戸時代になると密集した住宅の隣家の雨水が流れ込む、雨だれが跳ね返って壁を汚す、 土台を腐らせる、といったトラブルが起こるようになり排水としての雨樋が創られていきます。

ここから排水用としての雨樋に変わり、雨樋の素材も竹や木から銅、ブリキ、プラスチック、そしてステンレスなどの合金に様変わりしていきます。最近は銅の雨樋が少なくなりましたが、瓦の塗薬が酸性雨で融けて銅を腐食させてしまうからだといいます。

聴福庵の古民家甦生では、銅の雨樋を使うことにしています。手づくりでひとつずつ職人さんが創っていく銅の雨樋は味があり、経年変化と共に緑色になっていくのを子どもたちに感じてもらうためでもあります。

銅の歴史はまた今度深めますが、一つ一つが大切に紡がれて今があるのを忘れたくないものです。子どもたちに譲り遺したい日本の歴史とその中にある心を伝承していきたいと思います。