古民家甦生で雨樋の修理のことでその歴史を深めています。あまり意識することもありませんがこの雨樋は家を守るためにとても大切な道具の一つです。
そもそも雨樋の登場を調べてみると、平安時代後期に作られた歴史物語「大鏡」の中のの一節『あわいに「ひ」をかけて涼し』という記述にあるそうです。この「ひ」こそ「樋」を意味し 当時の建築様式であった多棟住宅の谷の部分である「あわい」に取り付けた「受け樋」でこれを「懸樋」とも呼ばれ、雨水を排水するよりも飲料水や生活用水として屋根から水槽に導く「上水道」の役割を果たしていたといいます。
むかしは、綺麗な雨水は飲料水として確保していたのがわかります。以前、カンボジアにいったときも天井からの水を水甕に貯めてそれを飲料水や調理用の水として活用していました。川の水が不衛生であるのに対し、天から降る雨は清潔であったからこそ屋根を水受けにして水を沢山貯めていました。雨が降らなければ飲料水もなく、生活に雨と雨樋は大変大きな役割を果たしていたといいます。
飲料水としての使用から今の排水のカタチになるのは、奈良時代だといいます。奈良時代には仏教が伝来し神社仏閣が瓦屋根になってきました。そして江戸時代になると密集した住宅の隣家の雨水が流れ込む、雨だれが跳ね返って壁を汚す、 土台を腐らせる、といったトラブルが起こるようになり排水としての雨樋が創られていきます。
ここから排水用としての雨樋に変わり、雨樋の素材も竹や木から銅、ブリキ、プラスチック、そしてステンレスなどの合金に様変わりしていきます。最近は銅の雨樋が少なくなりましたが、瓦の塗薬が酸性雨で融けて銅を腐食させてしまうからだといいます。
聴福庵の古民家甦生では、銅の雨樋を使うことにしています。手づくりでひとつずつ職人さんが創っていく銅の雨樋は味があり、経年変化と共に緑色になっていくのを子どもたちに感じてもらうためでもあります。
銅の歴史はまた今度深めますが、一つ一つが大切に紡がれて今があるのを忘れたくないものです。子どもたちに譲り遺したい日本の歴史とその中にある心を伝承していきたいと思います。