昨日は2か所のミュンヘン市内の保育園と幼稚園を視察しました。その1カ所は文化財になっている130年くらい前の古民家を改修して利用している保育園。もう1か所は、オープン保育や小さな科学者といった教材やノウハウの認定を受けた幼稚園です。
久しぶりに訪問して興味深かったのは少し前まではクラスという概念の中で各クラスの部屋の中にコーナーやゾーンが存在していましたが今回はすでにクラスがそのままコーナーやゾーンになっていました。つまり園の中にクラスが分かれているのではなく、園そのものがクラスという概念になっている感じです。
これは個々の子どもの発達や個性を大人たち職員みんなで見守るという仕組みであり、これはミマモリングソフトでよく言う、全体から個ではなく、個から全体を観ていくという仕組みと同じ方法です。このようにミュンヘンの陶冶プログラム(日本でいう保育指針や教育要領)の理念に沿って発展を続けていました。
ミュンヘンでは昨日書いた「参画」をどのように見守り育てていくか、それが保育に反映されています。以前、私もこのブログで紹介しましたが参画協働は一人ひとりがよりよい人生を成熟させ、社會の中で主体性を発揮していくためにも絶対的に必要な力の一つです。
そもそも参画とは協働することです。
人間が社會の中でそれぞれの持ち味を活かし協働するためには、単なる参加ではなく最初から参画している必要があります。言われたからやるではなく、指示だからやるでもなく、自分に関係があるからやるでもない。
自分が所属しているすべての世界において、自ら考えて自ら行動することが協働することです。協働というのは、日本では誰かと同じことをすることだったり、全体のために自分を使うことだったりという認識を持っている人が多くいます。
しかし全体のためにといっても、参画は全体快適のことであり、協働というのは一緒に物事を自他を分けずに一体になって取り組んでいくことを言うのです。
資本主義や歪んだ個人主義の刷り込みは、人々のつながりをバラバラにしていくことが無意識行われていくものもあります。いろいろな縁が結ばれながら社會は大きな生命体として発展していくのですが、その社會に責任を持とうとせずに自分さえよければいいという考えを持ってしまえば、世界はもっとバラバラになります。
現在の世界情勢をみてみても、保護主義を中心にそれぞれが自分のことばかりを自国のことばかりの利益を叫ぶようになりました。本来、人類は今まで何を大切にしてきて生き残ることができてきたか。
教育は社會そのものに通じていますから、すべての教育に関わる人たちはこのことを真剣に考える必要があると私は思います。
参画や協働は、日々の働き方の中に出てきます。単に仕事をするのか、それとも働くのか。人生でいえば、ただ学校に行くのか、それとも自分の人生を生きるのか。
自分の足で歩んでいく力をつけるためにも、参画協働の仕組みはこれまでの刷り込みを取り払う重要な鍵です。引き続き、ドイツ視察を通して参画協働の試行錯誤を洞察し社業でも活かしたいと思います。