明日から一週間、久しぶりにドイツへ視察研修に訪問します。このドイツ視察研修は4回目になりますが、今までとは違って日本の伝統文化を深めているからか改めてその国の多様性や暮らしについて興味が湧き、新たな発見の予感がありワクワクしています。
せっかくなので訪問前にドイツの歴史について少し深めてみようと思います。
このドイツという国は、ヨーロッパのほぼ中央にありおよそ人口8,108万人、総面積357,121㎢で16の州からなる連邦国家です。もともとローマ帝国時代には、ゲルマニアと呼ばれていました。その後ゲルマニアは次第にローマに溶け込み、800年にローマ皇帝としてのちの神聖ローマ帝国の祖とされるカールが帝冠します。そしてカール大帝はイギリスの神学者アルクィンを宮廷に招き相談役として共に「カロリング・ルネッサンス」と呼ばれる古典古代(ローマ)文化、カトリック、ゲルマン文化の要素を融合した独自のヨーロッパ世界を創り上げました。
その後は、息子たちに遺産相続として領土を分割します。この時に、現在のドイツ、フランス、イタリアの原型ができました。ドイツ王国の初代国王は選挙で選ばれたコンラート1世といいます。三代目に選出されたオットー1世が神聖ローマ帝国という国家理念を樹立しキリスト教理念に基く普遍的な帝国を目指していきます。ここで宗教的な理念の対立が生まれローマからドイツが離れていきます。そして有名なマルティン・ルターが現れ宗教改革が行われます。ルターを擁したドイツが、新約聖書のドイツ語版を完成させます。こうしてカトリックとプロテスタントに分裂しました。その後、30年間に渡りこの両者の勢力によってドイツ国内を中心に戦争が続きました。戦争が終わって衰弱しきった国家にペストなどが流行し人口は激減、神聖ローマ皇帝の地位は名目上のものとなりドイツは300もの領邦に分かれた領邦国家として存在していくことになります。
そして名目だけ存在していた神聖ローマ帝国は、フランスのナポレオン皇帝の台頭により完全に解体されました。そしてナポレオンの衰退と共にドイツはオーストリアを盟主として連邦国家として名乗りを上げます。その後はプロイセンが中心になりドイツ統一国家の道へと繋がっていきます。
このようにもともとゲルマニアのローマの融合からそれぞれの国家間の融合に続き、それぞれの領邦の融合がありました。ドイツという国は、いわば多様性を維持したまま存在する連邦国家であるというのが歴史から見て取れます。
それぞれの地域性や生活文化を大事にして伝統がいつまでも遺り大切にされているのは、それが領邦の暮らしを守るものであったからです。
引き続き、はじまりを深めつつ近代ドイツを深めていきたいと思います。