国の価値観

今週後半から久しぶりに北京に訪問しますが、23年前に留学してから急速に発展したことを肌で感じたいと思います。

中国に最初に訪問した時の印象は、個々のパワーが漲っているという感じがしたのを思い出します。訪問したのは上海でしたが、24時間片時も止まらずビルの工事が進められ、街の区画整理なども大胆に行われていました。日本では、なかなか進まないような調整が難しい工事も人数とアイデアと力技であっという間に無理を通してしまいます。

常識的には考えられないような方法で次々に現実を何とかしてしまう、前例に囚われず失敗を恐れず不可能に挑戦する姿に中国のスケールの大きさを感じたものでした。もちろん一長一短ありますから、それが反って問題になることも多々あるものです。しかし時代の急速な変化の中で、地勢的なチャンスを活かし、マイナスをプラスに転じて、プラスをさらにプラスにしていこうとするエネルギーは現在の中国の発展を支えているように思います。

それぞれの国や民族には、それぞれの歴史があります。私たちが中国と一括りに読んでも、その実態はそれぞれの民族や部族の集合体のようなものです。アメリカも他民族の国家ですが、中国もまた他民族の国家だとも言えます。その中で何度も失敗を繰り返し、多くの人たちがいのちを落とし、このような多民族国家の中で何を頼りにすればいいか、何を信じて立ち回ればいいかをそれぞれが磨いてきたとも言えます。

私たちの日本は、ほとんど同一民族で形成されていますから多民族国家のことはなかなか理解し難い部分もあります。また儒教を中心に、私たちが中国から取り入れた文化と今の中国との印象の違いに驚くことも多いと思います。歴史の中で、私たちが明治の頃に西洋の価値観と日本の価値観を入れ替えたように、中国もまた文化大革命の頃にそれまでの価値観を入れ替えるような出来事が発生しています。

しかし連綿と続いてきた歴史に裏付けされた価値観は多く現在も遺っています。その一つが、「血縁」の強さです。むかしから中国は、血縁者を頼り、子孫を残し、そのつながりによって出世していきました。親族の中で、出世するものがいればそれを頼りそこから大きくしていきます。逆に、権力者や王朝が変われば悉く血の粛清といってその血縁を根絶やしにするほどです。

私たち日本人は血縁よりもムラといった所属する組織や家といったものを重んじる価値観ですが、中国はあくまで血縁中心の価値観が重んじられています。

このように価値観というものは、国家の形成や歴史、地理的環境によって変化しその国のカタチに影響を与えているのです。

引き続き、中国の歴史や文化について改めて見つめ直してみたいと思います。