野性のチカラ

昨日、熊本で自然を愛する会と共にヒューマンネイチャースクールを主催する方とお会いするご縁がありました。会が立ち上がってから43年間、自然と共に育ち、自然と共に生きる、「共育」・「共生」を願いに、登山やキャンプといったアウトドアをベースに、会員相互の親睦や社会奉仕活動・国際交流事業をはじめ、様々な活動を行っておられました。

お話をお聴きしていると、私たちの観ている子ども観と同様で「子どもはできないのではなく、知らないだけだ」という言葉に改めて環境が変わって得たものと失ったものの存在を再確認することができました。

公式サイトには、「子どもたちの現状とこれから」というところでこう書かれています。

『「生きる力を育む」ということで、教育の現場では様々な取り組みが行なわれているようですが、昔の子どもと今の子どもは何処が違うのでしょうか?食生活が欧米化したことにより体型の変化はあるようですが、本質的な部分は少しも変わっていないように思います。大人が作り出した社会環境の影響をまともに受けているだけで、子ども達は今も昔も子どもらしい部分は何も変っていないように思います。確かに今の子は、昔の子に比べて我慢強くありません。辛抱出来ない子が多いと言われます。しかし、それは大人の都合ではないでしょうか。出来ないのではなく、したことがない、しなくていい、する必要がない、知らないという環境にいるからだと思います。昔の人が創意工夫してきた知恵を含め、私たちが子どもの頃に当たり前のようにやっていたような体験が不足しているだけのようです。体験させ伝えてあげることができれば大丈夫だと思います。』

今の時代は、物に溢れ、環境に恵まれ、自ら何もない中で強烈に「求める」ということも少なくなってきています。現状に満足してこのまま特に大きな辛抱や苦労をしなくても生きていくことができる時代でもあります。そんな状況の中で、最初からやる前にできないと思い込んでいたり、どうせ自分にはできないと決めつけたりして諦めている人も多いように思います。

本当はそれは単に「知らない」だけで、何でもやってみようとすれば人間はなんでもできます。私も幼少期から何もない中で、様々に創意工夫してやってきました。それは今も会社経営をはじめ、現在挑戦しようとしていることも前例に囚われず諦めず「辛抱」して忍耐しながらも子どもたちの未来のためにと日々に新たな挑戦を求め続けています。

最初からできないと思い込んだり、大変なことを避けて苦労を嫌がるのは今の恵まれすぎた環境に対して本来備わっている生きる力が減退しているからかもしれません。農業一つでも、農薬がないとできないとか肥料がないから育たないとか、自然に育つ環境という観点ではなく材料や道具がないからできないと思い込んで最初から諦めていたら共に育つものも育ちません。

人間というものは、なんでも環境を整えて安心安全になってしまうと生きる力がなくなってくる生き物なのです。だからこそ、過保護過干渉にせず信じて見守りその人が育つために敢えて自分から主体的に活動できるような「自然野性環境」が必要になるのです。

この自然野性環境とは、五感を総動員し、ないものねだりはせずにどんなものでもすべて活かそうとする野性のチカラの発揮できる環境のことです。そうすれば元来備わっていた持ち味や活力が引き出されその人にしかできないチカラや魅力が顕現してきます。言い換えるのなら汗と苦労のチカラです。

あまりにも恵まれすぎる環境を与えれば与えるほど、汗も苦労もせず人間はもともと備わっている野性のチカラを消失していきます。そしてそのうち環境がないからできないと何かのせいにしているうちに自分自身も消失していくのかもしれません。

子どもの頃の野性のチカラを発揮する体験は、大人になってもその人の人生に自信を与えるように思います。自然の中で、創意工夫して生きた力はそのままに自分自身の可能性を拡げていくからです。

私も自然や伝統文化を愛するのは、そこにむかしからの先人の智慧を身近に感じるからです。先人の智慧は今のように何でも環境が整っている中では一つとして生まれてはいません。その智慧はすべていのちを使い切るような自然の叡智の中で創意工夫して実現してきたものです。

子孫たちに、その智慧が伝承していくことが生きる力を伸ばしていくいのちのリレーでありかけがえのないバトンになります。

子どもたちが置かれている現代の風土や環境をもう一度、研究し直し何を得て何を失っているのかを真摯に学び直していきたいと思います。