人間は体験することによって、様々なことを知ることができます。その体験が基盤になり、その後の人生の判断基準を定めていくこともできます。体験の価値は、あまり重要視されませんが実際には何よりも優先する人間育成の智慧です。
例えば、むかしはまだ物が少なく自然環境が豊かなときの幼い頃の体験は現在よりも豊かであったことが分かります。物がなかったけれど、そこには自然がありないものを探さずにあるものから私たちは様々な遊びを発明したり開発しました。同時に、身近には自然そのものの道理に囲まれ子どもたちもたくさんいてお互いに人間関係の摂理や天地自然の法理なども遊びを通して伝承されていきました。
今では、自然環境が少なくなり人工的な環境や物などは増えましたがあるものだけでなければできないとし、遊びも固定化されていきました。子どもは少なくなり、大人と子どもの関係ばかりが強くなり遊びも伝承されなくなってきました。
このようにむかしと今では、私たちの環境は大幅に変わってきています。私たちの人生は、すべて体験によって学びますからどのような貴重な体験をしたかで学ぶ質量も変化してきます。その体験の中でももっとも貴重なものが自然と遊んだ体験であろうと私は思います。教育が人が人に教えることが常識になってしまった昨今において、この自然が人を教えるということの意味もまた失われてきたように思います。幼少期の自然体験は、人の人たるものを教えます。それは風土が人を創り、風土が人を育てることこそが人類本来の学び方であるからです。
本質的な体験とは何か、それは自然から学ぶということです。
最後にフランスのヴォルテールの言葉で締めくくります。
「自然は常に教育よりも一層大きな力を持っている」
何が自然であるか、何が体験であるか、何が教育であるか、子どもたちの環境を考えて深め直していきたいと思います。