国を安んずるとは

東京の九段下に靖国神社という神社があります。よく報道でも大臣や首相が参拝すると、国際問題になりニュースで取り上げられます。私は九州にいましたから以前はあまり靖国神社といってもその存在も知らず、東京だと明治神宮くらいしか思い当たりませんでした。

戦後、70年以上経て改めてあの頃のことを風化しないようにと感じるようになり改めて深めてみるとその当時のいろいろなことが分かってきます。あの悲しい戦争による犠牲者が何を子孫たちに祈り願いいのちを盡してきたかを思えば忘れないためにも自分で向き合い考える必要性を感じます。

そもそも靖国神社の「靖國」という社号は「国を靖(安)んずる」という意味で、靖國神社には「祖国を平安にする」「平和な国家を建設する」という願いが込められているといいます。はじまりは明治2年(1869)6月29日、明治天皇の思し召しによって建てられた招魂社で国家のために尊い命を捧げられた人々の御霊みたまを慰め、その事績を永く後世に伝えることを目的に創建された神社です。

御祭神は幕末以来の国事殉難の英霊であり、246万柱以上に及ぶといいます。国家のために戦争で亡くなった方々を祀っていますが敵方だった方々は祀られなかったりと鎮魂としてはどうかとも思いますが、戦時中に靖国神社を心の拠り所にされた方も多かったように思います。

先日、知覧に訪問した際に「同期の桜」という歌を知りました。特攻の方々がみんなで一緒に歌っていたそうです。その歌詞の中に靖国神社が出てきます。

「貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
咲いた花なら 散るのは覚悟
みごと散りましょ 国のため

貴様と俺とは 同期の桜
同じ兵学校の 庭に咲く
血肉分けたる 仲ではないが
なぜか気が合うて 別れられぬ

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
仰いだ夕焼け 南の空に
未だ還らぬ 一番機

貴様と俺とは 同期の桜
同じ航空隊の 庭に咲く
あれほど誓った その日も待たず
なぜに死んだか 散ったのか

貴様と俺とは 同期の桜
離れ離れに 散ろうとも
花の都の 靖国神社
春の梢に 咲いて会おう」

本来、この『同期の桜』の原曲は「戦友の唄(二輪の桜)」という曲で、昭和13年1月号の少女倶楽部に発表された西条の歌詞を元とし、とある海軍士官が勇壮にアレンジしたものだといいます。本来は軍歌ではなく、人の手を経るうちにさらに歌詞が追加されていき時局に合った悲壮な曲と歌詞とで陸海軍を問わず大いに流行したともいいます。

どんな状況でも明るく前向きに生きた人たちが、どのようにいのちを失っていったのか、靖国神社云々が問題ではなく、戦死者の人たちのことを偲び、私たちが今あるのは誰の御蔭様なのかと考える機会にしていく必要を感じます。

極論でばかりで物事を安易に裁かないように、子どもたちのためにもその時代のことを鑑みて物事の本質を伝承していきたいと思います。

 

日本人の母~観音様~

先日、鹿児島県知覧町にある富屋旅館に宿泊するご縁がありました。特攻の母として有名な鳥濱トメさんが開業した富屋食堂の離れとして特攻隊員が最期のお別れを家族で過ごしたり、自分らしい最期の時間を過ごすためにとご用意した場所をそのまま旅館として経営されております。

最初にその離れにお伺いすると、その佇まいはとても凛としていてまるで荘厳で澄み切った神社のように清々しい場が醸成されておりました。場を守るというのは、その魂を守ることであり、言い換えるのなら心の故郷を守ることでもあります。

心の故郷を大切に守り続けている富屋旅館には、日本人の原点に気づく貴重な何かが存在しているように思います。

また鳥濱トメさんの遺した言葉や遺志をお聴きしていると、日本のむかしの教えがそのままに伝道されており如何に気骨がある人物だったかを直観します。遥かかなたのクニの行く末を案じ、いつまでも子孫たちが平和で暮らしていけるようにとその祈りがこの富屋旅館で往き続けています。

鳥濱トメさんは知覧から知覧からクニの行く末を見守り続けるトメ観音様、また特攻の母と呼ばれていますが、実際に感じたのは「日本人の母」でした。そう省みると、あの特攻の人たちは代表的な日本人であったということです。

その代表的な日本人たちが、クニの行く末を心配し子どもたちの未来を信じて笑顔で生き切っていった。その日本人の魂を見守り見送った母もまた、日本人の母であったという事実。そしてこの日本人の母こそ、観音様そのものであったということ。むかしから日本にある人生の教えは、この観音様と大和の心魂の間に生き様が智慧として連綿と伝承されてきたのかもしれません。

現代は、とかくクニのことをいえば政治問題にされ、魂のことなどをかけば宗教などを批評されます。しかしよく考えてみれば、当たり前なのは自分の今を想えば御先祖様たちの人生や生き様の積み重ねた上に私たちが今あって生きていることは揺るぎません。

だからこそ、行く末を案じてくれて自分のいのちを懸けて捧げてくださった方々の御恩を忘れたらいけないと切に思うのです。その御恩を思う人たちは、政治や宗教などという言葉で批評することはないと思います。そしてそのつながりが見える人は、白黒や右左と分けずに真実を観ようとするでしょう。自分の人生は短く、子孫のこの先の人生は長いのです。だからこそ、子孫のために何ができるかと願い生きた人たちの私心なき生き方のご先祖様に自分の魂は深く揺さぶられるのかもしれません。

日本人として生きていく若者たちは、この教えに触れることで本来の道徳や生き方を学び直すことができるように思います。

私もこの富屋旅館で得た気づきを、次世代の人たちにつないでいけるように真摯に自己を磨き魂を錬磨していきたいと思います。

ありがとうございました。

 

いにしえからの風

「萬古清風」という言葉があります。これは中国・唐時代の漢詩の一節で禅語でもよく見かけますが「はるか昔から清らかな風が変わらずに吹いてくる」、「古きにも新しきにも全ての時空にあまねく清風が吹く」という意味で用いられます。

とても素敵な言葉で、大昔の古来から永遠に風が吹いている様子に心が洗い清められるようです。私たちは、昔の教えや知恵、先祖の生き方や伝承などをお聴きするご縁に巡り会うと、古来より何が真実であったか、そしてむかしから何が根本であったかに気づき有難い思いがしてきます。

それはまるで、何百年前から何千年前も、そしてこの今に向かって彼方から風が吹いて自然の循環が已まないで私たちに恩恵を与え続けてくださっているかのようです。

これは御先祖様の遺風や遺徳なども同様に、今の私たちがあるのは何の御蔭様かを思い出すとき、そして子孫の行く末をいつまでも案じてくださっている親心を感じるときにこの清風を感じられます。

人間は私心を捨て去り、万物一体善の境地になれば心が澄み渡り自然そのもの、言い換えれば神人合一の境地に達します。その崇高な穢れなき魂は至純であり透明で水や光そのものになります。

そうやって無私の境地でいのちを奉げてきた方々の陰徳は、忘れないで居続けることでいつまでも子孫にその徳風が吹き続けてきます。この徳風とは、無私の人たちの生き様から吹いてきます。その吹いてきた徳風が心身を通り抜けていくとき、私たちはその新しい風をいつまでも浴びることができ、その新しい風によって私たちの記憶もいつまでも甦生し続けていくことができます。

いのちの甦生です。

いのちがこのように甦生し続けるのは、まさに萬古清風の御蔭なのです。

いつの時代も人間である以上、自分との向き合いは人間の課題であり、その中で私心が私欲に呑まれる人と私心や私欲に打ち克つ人がいます。しかしその生き方の模範として、魂を極限にまで磨き上げ美しく光る人たちが子孫たちに徳の道を繋いでいきます。

道は終わりなく、また魂も廃ることはなく、永遠に風が清め続けますから私のその風の一吹きになって子どもたちの行く末を見守り続けていきたいと思います。いにしえからの風になりたいと思います。

人間学の要諦~気づきの学問~

人間は自分の先入観が壊れるような出来事や、今まで見知ったものがまったく異なるという体験をすることで目から鱗が落ちることがあります。私は探求心が強いからか、自ら体験を重視し自分の先入観を疑い真実を知りたいと思うタイプのようで敢えて怖いことでも学びたい欲求の方が上回ります。

本当のことがわかると、それまでは上辺だけでしか知らなかった自分を恥じてさらにその本質を深めたくなります。今の時代のように知識ですぐに何でも分かり調べることができるようになったからこそ、知識で分からないものが理解できたとき目から鱗が落ちるのです。

この「目から鱗が落ちる」という言葉の由来は、新約聖書の中の話のひとつでイエスキリストを迫害していた男性が、天の光によって目が見えなくなってしまったのちそのキリストの弟子の一人であるアナニアからイエスキリストの啓示を聴いたとき目から鱗のようなものが落ちて目が見えるようになったことが由来であるといいます。

今では何かを切っ掛けに急に物事の道理が理解できるようになったという意味で使われますが、本来は自らの間違や誤解から悟りをひらき、諸所の迷いから覚めることができたという意味の言葉です。

本当のことに覚めるというのは真実を悟ることで、真実とはありのままの現実を理解するということです。人は体験していないものをいくら理解しようとしても、自らの人生で直接的に体験していないものを真実のままに理解することはできません。例えば、何かの味があったとしても食べてみなければわかりませんし、五感なども感じてみなければわかりません。修行もまた、頭で修行したとは言わないように似たような体験を思い出し多少は近づくことはできても、同体験の精進なしに意味を感じることはできません。そういう意味で人生は必ず誰にしろ平等なのです。現在は知識でなんとなく頭で妄想したり空想したりして分かった気になり処理してそのまま片付けていますが、その頭で行ったことがのちのちまでの先入観となり真実を理解する機会を遠ざけていたりするのです。

そうならなためにも日々の気づきを高めて精進していくしかありません。そのためにも私たちが目から鱗の体験は貴重なのです。目から鱗が落ちる体験は、その体験をした人たちのあるがままの言葉をお聴きし現地に足を運んだり、自分の妄想や空想よりも現実の真っただ中に存在した真実を直視して心で感じたり、現在でも目に見えてその本質を悟り実践している人の現場を一緒に味わうことで鱗が落ちることがあるように思います。

自分の直観を信じて現地に足を運ぶのは、自分が真実を追求したい、本当のことを知りたいと探求していくからです。そして道はその探求した中にこそあり、探究する過程においてその道は次第に拓けていき、自分の中にある道理もまた繋がっていくのです。

道理を学ぶというのは、この目から鱗が落ちる体験をどれくらい行うかということのように思います。刷り込まれた知識や自我妄執からの迷いを取り払うためにも、歴史やその道の達人から直接学ぶことが効果があるのは間違いありません。その体験した気づきこそ本物であり、人間は気づく感度が高いほどに学問が研ぎ澄まされていくからです。

気づきこそ、人間学の要諦なのです。

子どもたちに真実が伝道できるように、安易にわかった気にならず一つ一つを足を運び、気づきの学問を伝承していきたいと思います。

歩み方=生き方の改善

人は小さな習慣の積み重ねで経験を積んでいくものです。継続は力なりともいいますが、小さな日々のことをコツコツとやるかで未来の出来事を手繰り寄せていくものです。しかし、このコツコツと行のを面倒だと嫌がり目に見えてすぐに結果が分かった方がいいと焦るのは心に不安があるからとも言えます。

心が安定している人は、コツコツと地道に一歩ずつ取り組んでいくことができます。これはコツコツと地道に一歩ずつ取り組むから地に足が着いているため心が安定しているとも言えます。頭と異なり心は常にちょっとずつ活動しているからです。

心をなおざりにしてやったりやらなかったりしその分、一気に結果だけの帳尻を頭で合わせようとすればそれだけ心が不安定になります。そして不安定になるからまたマイナス思考になり焦り結果ばかりを追いかけてまた地から足が離れて空回りするのです。

心というものは、目には観えませんが自分の体と一緒に歩んでいるものです。体の足が一歩前に出れば、一緒に心もまた一歩前に出る。これを同時にしていくことで、現実や真実が変化していくのです。

自分がいつまでも変化しないのは、自分が一歩足を前に出してもいないのに心だけは10歩や100歩など先に先にと進めようとしている時です。これは体と心が和合していませんから、ずっこけてしまいます。心と体はまるで二人三脚のように、息を合わせて一緒に歩んでいくことではじめて前進していくのです。

日々に心の一歩と、体の一歩は、具体的に言えば、思いを醸成する一歩と、具体的に実践する一歩を同時に行うことをいいます。例えば、何かを決断し行動すると決心したのなら、何かを已めて何かを始めるという具合に心と体を一致させていく必要があります。

そのために人間は、自分の一日を反省し、「自分の一歩はどのような一歩だったか」と振り返り次の一歩に向けて改善していくことで、歩き方を変えていくのです。

人生も同様に、歩き方を変えていくというのは生き方を変えていくということです。自分の歩き方は、一歩一歩、自分で意識しながら変えていくしかありません。

人間は怪我をしたり病気をして立ち止まり、上手く歩けなくなる時こそ、自分を変えるチャンスであり、もう一度、一歩一歩歩き直す中で自分の歩き方を見直していきます。そうやって歩いていけば、生き方も同時に変わり、人生も変わり、未来も今も変わっていくように思います。

一歩一歩と地に足が着いている人は、不平不満を言う暇がありません。一つずつ、丁寧に取り組んでいこうと改善することに着手し日々の一歩を豊かに楽しんでいくように思います。その歩み方は軽やかで楽しく、安心して歩み続けてきます。

人生は自然と同様に周りは日々に変化を已みませんが、その中でもどのように歩んだかは自分の歩き方で決めていくことができます。どんな状況でも歩くというのは、どんな状況でもこのブログに取り組む私の姿勢も歩み方を磨く大切な砥石です。

子どもたちのためにも道が続いていくことを祈り、日々に歩むことの大切さを伝承していきたいと思います。

永遠の友情

人間は様々な出来事や機縁を通して共に信頼関係を築いていく中で、お互いの心を通じ合わせていくものです。そして仲間や友達といった、人生を彩る豊かな人間関係を形成していくことができます。そしてそれは一瞬でできるものではなく、長い時間をかけてじっくりとゆっくりと醸成していくものです。

アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンは、『友情は成長の遅い植物である。それが友情という名に値する以前に、それは幾度か困難の打撃を受けて耐えなければならぬ。』という言葉を遺しています。

友情は一朝一夕でできるものではなく、長い時間をかけてお互いに磨き合い錆びない関係を築いていく中で育っていくもののように思います。

「友」という字の語源は、「右手と右手を取り合う」象形から「とも」を意味する「友」という漢字できました。また同じような意味で「朋」は、「数個の貝を糸で貫いて二列に並べた」象形から「とも」、「友達」、「仲間」を意味する「朋」という漢字ができたといいます。むかし貝殻を、糸でつなぐことは家族や仲間の証であり古代の人たちはその首飾りをすることでこれだけの友達がいる人間であると相手に伝える手段にもなっていたとも言います。

自分が困ったときに助けてくれる存在があること、自分が仕合せな時に一緒に喜び合う存在があること、そして人生のあらゆる喜怒哀楽の感情と共にそれを分かち合える人の存在があることが心を和ませ心を癒し安心する人生を支える土台になっていくように思います。その友情は、立場や肩書などを超えて本物になればなるほどに真実の関係に近づいていきます。

しかしこういう言葉も小林多喜二は遺しています。

『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』と。

実際の友人の人生が何かの出来事によって社会的制裁を受けたり、犯罪者のようになったり、もしくは裏切りというような場面に出くわした時、その時、友情は試練を迎えます。その時、大切なのはお互いの生き方であり、自分自身が大切にしている人生の物差しのようなものが試されるのです。

真の友情は、自分の中にもその友と同じものを持っている中でどれだけゆるすことができるのか、どれだけ信じ抜くことができるのか、そして人生の中で生き方を優先できるかという思いやりや真心との正対になります。いわば、信念のようなものが問われます。

真の友情を持てる人は、その心に真の生き方を持てる人かもしれません。しかしそれもまた永遠の時間をかけて醸成していくものです。だからこそ友情は永遠というのでしょう。

子どもたちのためにも、生き方を貫き、徳を高め、一期一会の永遠の友情を醸成していきたいと思います。

清明心~徳の祈り~

先日、終戦間際に「特攻」をして亡くなった若い方の遺言やメモを拝見し色々と考える機会がありました。この特攻は、「特別攻撃」の略で敵に対し、兵士自身が兵器を抱えて突撃、もしくは兵士が搭乗する兵器をぶつけて道連れにする自爆攻撃のことをいいます。

お国のために死ぬと分かってて突入する、その必死の人物たちはどのような人たちだったのか、今のように平和ボケしてしまっている現代においては戦争のことすらも理解するのも難しいように思います。

その特攻の方々の遺言やメモを観ると、大切な国を守るため、大切な人を守るためにと、自ら真心で命を懸けて前向きに生き切った証が随所に残っていることが多いように思います。そしてその特攻する人たちを見守った人たちの覚悟もまた、想像を超えるような命をやり取りばかりです。ただの愛国心という言葉で片付けられるものではなく、生き方として真心や誠実に生き切った人たちから私たちは生き方を学び直す必要があるように思うのです。

今度お伺いする鹿児島の知覧には、特攻の母とも呼ばれ親しまれ、特攻隊員たちを息子のように真心で見守り続けた人物がいました。富屋食堂を切り盛りしていた鳥濱トメさんが、戦後、遺族や生き残った人たちが知覧を訪れた時、泊まるところがないと困るだろうという気持ちから、特攻隊員たちが当時訪れていた建物を買い取って、来訪者を泊めている旅館を買い取り子孫の方々が語り部として経営しておられます。

この鳥濱トメさんは、訪れた人たちに「とく」という漢字を掌に書いてくださいと言っているそうです。その上で下記のような言葉を伝えるといいます。

「善きことのみを念ぜよ。必ず善きことくる。命よりも大切なものがある。それは徳を貫くということ。」と。

そしてこう仰ったといいます。

「私は多くの命を見送った。引き留めることも、慰めることもできなくて、ただただあの子らの魂の平安を願うことしかできなかった。だから、生きていってほしい。命が大切だ」と。

人間はどんな極限的な状況であっても、誰かを思いやり誰かのために自分の真心を盡そうとします。それがたとえ悲惨な運命であったとしても、自分自身の真心のままでありたいと思うものです。それが日本人が大切にしてきた清明心でもあります。

清らかで素直に明るく正直に、思いやりをもって優しく生きた人たちの生き様こそが本当に遺していきたいものだったのかもしれません。「人徳」とは、人間が生きる道であり、人間が人間として磨かれ玉として顕現する最期の姿なのかもしれません。

以前、島浜トメさんと同じように「徳という自を書いてみよ」とはじめて致知出版の藤尾社長からお聴きした13年前を思い出しました。あれから生き方をどう磨いてきたか、改めて振り返り原点回帰したいと思います。

 

 

徳の本体

「徳」という言葉があります。今の時代は損得の得ばかりが優先されているようにも思いますが、この「徳」は人間が本来備わっている天性の種でありそれをどう育てていくかで今や未来が変わっていくものです。改めてこの「徳」とは何かを少し書いてみようと思います。

松下幸之助氏は、「人間として一番尊いものは徳である」といいます。

本田宗一郎氏は、「人間にとって大事なことは、学歴とかそんなものではない。他人から愛され、協力してもらえるような徳を積むことではないだろうか。そして、そういう人間を育てようとする精神なのではないだろうか」といいます。

吉田松陰においては「士たるものの貴ぶところは、徳であって才ではなく、行動であって学識ではない」といいます。

論語や老子、修身など学問をするものたちにとってこの「徳」は中心に置かれ、その徳を歩むことこそが人間の道であるともいいます。

しかしその徳はどのようなものか文章で書けということになるとはっきりしません。松下幸之助さんもこのように語ります。

『君が「徳が大事である。何とかして徳を高めたい」ということを考えれば、もうそのことが徳の道に入っていると言えます。「徳というものはこういうものだ。こんなふうにやりなさい」「なら、そうします」というようなものとは違う。もっとむずかしい複雑なものです。自分で悟るしかない。その悟る過程としてこういう話をかわすことはいいわけです。「お互い徳を高め合おう。しかし、徳ってどんなもんだろう」「さあ、どんなもんかな」というところから始まっていく。人間として一番尊いものは徳である。だから、徳を高めなくてはいかん、と。技術は教えることができるし、習うこともできる。けれども、徳は教えることも習うこともできない。自分で悟るしかない。』

この徳は、頭や知識で理解するものではなく心境によって学ぶものです。ただ良いことをしたら徳かといえばそうではなく、徳は目には観えないものだからこそ心で悟るしかありません。

例えば、太陽の徳とは何か。日々に私たちを照らし続けていのちに大切な光を与えてくださっています、これを徳とも言えます。他にも太陽は私たちが目には観えない偉大な効果や効能があり、万物を活かします。言い換えるのなら太陽の徳は、陽徳ともいい、明らかにはっきりと徳が観えますが同時に目には観えない陰徳もあります。この陰陽の徳とは、万物の徳のことを指します。

これだけ徳というものは、生きていく上で欠かせない恩恵のことです。太陽を擬人化するのならそこには自己中心的な生き方はなく、万物を活かし続けていく生き方があります。そこは無為自然であり、我欲のない澄んだ真心の姿があるのみです。

老子はその徳にも最上の徳があるといい、それをこう表現します。

「徳のある人は自分の徳を意識しない、それは徳が身についているからだ。徳のない人は徳を意識するため、なかなか身につかない。だから、最上の徳は無為であり、わざとらしいところがない。低級な徳は有為であり、わざとらしいところがある。」

老子はこう続きます。

「ところが最上の礼をわきまえている人ほど、相手がその礼に応えないと、 腕まくりしてでも、自分の礼に合わせようとする。なぜだろう。つまり、こうじゃないか。 無為自然の「道」が失われて、その後に“徳”が説かれ、“徳”が失われたあとに“仁”が説かれ、“仁”が失われたあとに“正義”が説かれ、“正義”が失われたあとに“礼儀”が説かれたのだ。だから、礼儀が説かれだしてからは無為自然の徳など、どこかにいってしまったのさ。なぜなら、礼儀というのは、人間のまごころが薄くなったからできたものであり、世の乱れのはじまりなのだ。仁義を形にする礼がはびこるのは、 見せかけだけのもので、「道」の本質を表したものじゃないんだよ。そんなものは「道」のあだ花であり、人間を愚劣にする始まりなんだ。なぜなら、立派な人間というのは、まごころの厚いほうにいて、 薄いほうにはいないものだよ。だから、もう一度、 形ばかりの礼とか知を捨てて、もとの「道」に戻るしかないのさ。」(老子)と。

ここまでくると徳の本体がはっきりとしてきます。

この「徳」とは、人間でいえば真心のことであり、思いやりのことであり、至誠のことを言うのです。この真心や至誠は決して単なる知識や学識を語るだけで実現するものではなく、真心の行動と実践によって実現するものです。

太陽の徳も月の徳も、水の徳も火の徳も、あらゆるすべての宇宙や自然には真心が存在します。その真心を発揮していくことこそが徳であり、私たちは真心で生きることではじめて本来の徳を積むことができます。

徳を積むことを頭で計算でできるはずはなく、徳を譲ることは我欲など入ればできるはずありません。ただただ一心に真心を澄ませ、思いやりのままに行動し実践することで徳は積まれていくものなのです。誰かのためにや、大切な人たちに自分の保身を入れず誠心誠意尽力していくことで顕現してくるものなのです。この徳を極めはじめて次第に万物自他一体善の境地を体得することができるように思います。

だからこそ徳を悟るには、この真心の実践の場数を積み重ね自分自身が仁徳を身に着けていくしかありません。この道には決して終わりがなく、今も生死を超えて永遠に存在し続けるているのです。

学問は本当は何のためにあるのか、それはこの徳を積み、心を磨き、魂を澄ませ無為自然に徳そのものに近づくためにある唯一の道なのです。人間が人間であるために、自然の中の一部として偉大なる与えられたいのちを活かすために古から今に至るまで本物の学問は須く「道」を説くのです。

引き続き子どもたちのためにも、徳を積む大切さ、徳の経営を実践していきたいと思います。

 

 

全体観~歴史という学問~

歴史を深めていると、その時あったことが後になって全く別の効果を発揮することに驚きます。たとえその瞬間が誰が見てもいいことではないと思っても、その反対側の側面では別のいいことが発生していることもあるのです。つまり物事は全方位で観る場合と一方方向だけで観る場合では意味が全く異なるということです。

この全方位で観るには、長い時間をかけたり、反対側から物事を鑑みたり、もしくは広く大きな視野で観るなど物の見方が成熟している必要があります。意識しなければ人は自分の都合のよい観方しかしていませんから、自分を中心に損か得かで物事を判断しては一喜一憂し一挙一動を決めているからです。特に我が強くなればなるほどに視野は狭くなり自分の価値観や感情に呑まれますから注意が必要になります。自分にいいことだけをやっていたら自分が追いつめられたでは本末転倒になるからです。

先日、応仁の乱のことを調べるとこれより戦国時代がはじまり内乱が続き多くの人たちが亡くなり悲惨な出来事でもありましたが同時に芸術方面の文化や、それまでの身分や差別などの制度も刷新されたりと新たな一面もありました。一見して、ただ悪いと決めつけるのではなくその歴史を深めれば同時にそうではない一面も出ていると思えば完全にマイナスや完全にプラスなどというものはなく、物事は常に両面や全体によって影響を与え合っているということなのです。

これは自然界も同じで、快晴が続けば人間にとってはいいのでしょうがそれが続き過ぎれば水不足になり多くの生き物たちが困ります。台風や嵐も地震もまた一方では都合が悪いのですが別の方向からだと大変な恩恵をいただいていることもあります。天候は常に調和していくのは、全方位全体に対して吉になるようにと働いていくからです。

誰かが都合を押し付ければ、誰かが不都合になる、如何に全体にとっていいかと正対する力を育むことこそが人類が永続するための真の文明人を育てていくように思います。

そのためにもっとも大切な学問が、「歴史」であろうと私は思うのです。歴史は単なる数字やものごとの意味を暗記することではなく、今に生きている歴史を遡り、その中で得る教訓や智慧を学び、全体観を身に着けていくことだと思います。

この全体観が身に着けば、人間は自分というものの存在を正しく認識することができ如何に全体にとっての善さが反って自分のためになるということに気づけます。すると自分にマイナスだと思い込んでいたものが、物の見方が転じられそのすべてが「今の自分に相応しい」ことに気づけます。

するとそれまでマイナスだと思っていたことが、プラスになる、いや「相応しくなる」ことで足るを知り、本来の自己を発揮でき本当の仕合せを永く享受されていくように思うのです。そのためには、常に自分が全体観で物事を捉えているか、全体観で自分を見つめているかと内省を続けなければなりません。

時として、その全体観は誰にも理解されず、非難や否定、批判や恨みを買うときもあるかもしれません。しかし真心や思いやりで取り組んだことは、後の歴史で必ず証明されるものです。

自分の信念を信じて、全体観で歴史から学び実践を積み重ねていきたいと思います。

心と器

「ゆるし」をテーマにして取り組んでいると、そのゆるすことの難しさに驚くばかりです。このゆるしというものは、今の自分を丸ごとゆるすことですがそのためには自分の過去の傷を癒したり、自分の視野を広げたり、自分の体験した歴史を認めたり、あらゆる自分自分の今と向き合いそれを許容できなければなりません。

実際に許容するというのは、言い換えれば器を大きくしていくことであり自分自身のゆるしの器が大きくなればなるほどにゆるしの許容量もまた大きくなります。しかしこの器を大きくするというのは、自分をゆるすことができること、そして他人をゆるすことができることに比例します。自他をゆるすことは、自分自身の器を育てていくことでありこれは一朝一夕ではできないことです。

人は自分自身の器を見るとき、そこに自分の本性や本体を心に映し見ます。この時、器の周りの境界線には縁というか壁ができます。その壁がプライドであったり、トラウマであったり、恐怖心であったり、先入観であったりと、自分の器がここまでと決めているものが壁になります。その壁を壊されることもあれば、その壁を融かすこともあり、もしくはその壁によって自分を守ることもあれば、誰かを守ることもある、つまりは自分の心を載せている器が自分自身の心を支えているのです。

人は心が大きくなっていくと、それを載せる器もまた大きくなっていきます。例えば心が大きくなるのに器が小さければ器の壁が邪魔をして心がその器よりも外に出ることができません。その器は心の成長を抑制し、心の壁を厚く大きくしていきます。その器とは自分の価値観のことであり、自分の価値観を変えていかなければ心のままに自分をゆるし生きていくことが難しくなるのです。その価値観の壁は、例えばありのままを受け入れられなかったり、執着にこだわったり、他人からの評価が気になったり、誰かのせいにしたり、等々とプライドの壁として頑固に強くなるばかりです。

その心と器の関係を良好にしていくことで視野が広がり、許容量もまた増えていくように思います。人は心の成長に伴い、必ずこの器の成長があります。器を大きく豊かにしていくためにも、ゆるしの実践は欠かせないものです。

ゆるすためには、今のありのままの自分をあるがままに丸ごと認めることです。自分のことを自分が受容する、もっと簡単に言えば今の自分がもっとも今の自分に相応しいとそのままの自分でいいと自分自身が受け容れることです。そしてそのためには積極思考というかプラス思考というか、物事を前向きに捉えるということを大前提にしていなければ心は器と調和することはできません。

ゆるしとは、つまり前向きな心器を持てることでありすべてのことを全肯定する幸福の道の理なのです。これはまさに自然界に生きる生き物たちが安心してこの世でいのちを全うしている信の境地のことです。今の人間の社會は安心から遠ざかって孤独と孤立の雰囲気に心を病む人が増えています。

安心して子どもたちが生きていけるように、ゆるしを通してあるがままの自分で自由に幸福になり社會を仕合せにしていけるようにまずは自分たちから生き方を改め見直し、心器を豊かにしていきたいと思います。