経営論を勉強した人の話と実際に経営をした人の話は、その体験からの学びが異なります。実際に経営をしてみてはじめてわかるものが多い中、先に勉強をしてしまうと本来素直に学べるものが学べなくなるものです。
結果や問題を気にするあまり、先手先手と先を読んでやっていくようですがそのノウハウによってなぜそれをする必要があるのかということが分からなくなるものです。何でも思想と技術のバランスが大事で、どちらかに偏ることはできません。
例えば、思想に偏れば技術がついてきていませんから空論ばかりが空回りします。思想を語れて教えることができても具体的な技術がなければ相手は救われません。また逆に技術だけを指導してできるようになっても、その背景にある思想を理解しなければその技術を相手は正しく実行できません。
思想があって正しい技術を持てるようになるためには、体験を通して一つ一つの意味を積み重ねていく必要があるように思います。その積み重ねの中で本当の楽しさや豊かさを知り、思いやりが出てきます。技術に優しさが着いてきていたり、思想が丸く柔らかくなっていたりと、その人物の人格が磨かれていることに気づきます。
何のために思想や技術を習得するのか、それは誰もが「仕合せ」のためであるのでしょう。人が仕合せになる、地球が仕合せになる、そういう思想から生まれた技術は自然の叡智に従った素晴らしいものばかりです。しかし自分さえよければいいと思ってつくられた技術はやはりどこか自然から乖離した危険なものになるように思います。
先人たちがどのような文化を創ってきて伝承してきたかを思う時、戦争に使われるような技術や思想、そしてみんなを仕合せにするような技術や思想ではその生産しているものが全く異なることに気づきます。
人間がコントロールすることができなくなっているほどの技術や思想が欲と合わさり取り返しがつかないところまで来ているようにも思います。本来の在り方、先人たちが守ってきた古きよき伝統を改めて学び直しながら永続していく思想と技術を伝承していきたいと思います。