永遠の友情

人間は様々な出来事や機縁を通して共に信頼関係を築いていく中で、お互いの心を通じ合わせていくものです。そして仲間や友達といった、人生を彩る豊かな人間関係を形成していくことができます。そしてそれは一瞬でできるものではなく、長い時間をかけてじっくりとゆっくりと醸成していくものです。

アメリカの初代大統領であるジョージ・ワシントンは、『友情は成長の遅い植物である。それが友情という名に値する以前に、それは幾度か困難の打撃を受けて耐えなければならぬ。』という言葉を遺しています。

友情は一朝一夕でできるものではなく、長い時間をかけてお互いに磨き合い錆びない関係を築いていく中で育っていくもののように思います。

「友」という字の語源は、「右手と右手を取り合う」象形から「とも」を意味する「友」という漢字できました。また同じような意味で「朋」は、「数個の貝を糸で貫いて二列に並べた」象形から「とも」、「友達」、「仲間」を意味する「朋」という漢字ができたといいます。むかし貝殻を、糸でつなぐことは家族や仲間の証であり古代の人たちはその首飾りをすることでこれだけの友達がいる人間であると相手に伝える手段にもなっていたとも言います。

自分が困ったときに助けてくれる存在があること、自分が仕合せな時に一緒に喜び合う存在があること、そして人生のあらゆる喜怒哀楽の感情と共にそれを分かち合える人の存在があることが心を和ませ心を癒し安心する人生を支える土台になっていくように思います。その友情は、立場や肩書などを超えて本物になればなるほどに真実の関係に近づいていきます。

しかしこういう言葉も小林多喜二は遺しています。

『困難な情勢になってはじめて誰が敵か、誰が味方顔をしていたか、そして誰が本当の味方だったかわかるものだ。』と。

実際の友人の人生が何かの出来事によって社会的制裁を受けたり、犯罪者のようになったり、もしくは裏切りというような場面に出くわした時、その時、友情は試練を迎えます。その時、大切なのはお互いの生き方であり、自分自身が大切にしている人生の物差しのようなものが試されるのです。

真の友情は、自分の中にもその友と同じものを持っている中でどれだけゆるすことができるのか、どれだけ信じ抜くことができるのか、そして人生の中で生き方を優先できるかという思いやりや真心との正対になります。いわば、信念のようなものが問われます。

真の友情を持てる人は、その心に真の生き方を持てる人かもしれません。しかしそれもまた永遠の時間をかけて醸成していくものです。だからこそ友情は永遠というのでしょう。

子どもたちのためにも、生き方を貫き、徳を高め、一期一会の永遠の友情を醸成していきたいと思います。