祭りの起源

今月末に天神祭を聴福庵で開催しますが、本来、お祭りの起源を辿るとお米づくりであることが分かってきます。共食という言葉も、本来は祭儀によって発生してきたものです。

新嘗祭は毎年の祭儀ですが、天皇陛下が即位するときのものを大嘗祭といいます。これは皇太子が天皇即位式にイネの初穂を神に供えることにより、その霊力で天皇の霊魂の再生と復活を祈願する国家的な儀式です。甦生をお米が促すのです。このお米の祭儀について、世界大百科事典の中にはこう書かれています。

「宮廷において天皇の行う最重要の祭政は,高天原から中津国にもたらされた稲の種子を奉じて,それをあやまりなく栽培することであり,祈年祭は米の豊作の祈願であり,新嘗祭は収穫のよろこびの奉告であった。また天皇の代替りに行われる大嘗祭は,米の霊的力によって皇太子が天皇としての霊魂を聖体に鎮ませる儀式であった。 米が天皇をはじめとする人々の霊魂を再生復活させる力をもつ食べ物であるという信仰は,民俗としてはさまざまな形で伝えられている」

かつてお米には霊的な力をもつと信じられてきました。節分の豆まきのようにお米をまいて悪霊をはらう儀式もあります。お米を神仏に供えることでその霊力をいただいたのです。

正月に食べる御餅も、米をついて作る餅が神や精霊の宿る神聖な食べものと考えられてきました。他にも節句、誕生、結婚式といった特別のハレの日には御餅を食べるのもそのお米の力、田の力に肖るためです。お年玉の意味も、正月に祝う年神(としがみ)も元々は年神が配るお持ちのことを指しています。

お米は日本の伝統行事と御祭の起源なのです。

一昨年より、天神祭の甦生に取り組みお祭りを深めて、古民家甦生に取り組み行事を深めていたら竟にはその起源であるお米につながりました。お米は私たち日本人の主食です。主食とは、食の主と書きます。

本来の日本人の生き方の中に、お米が中心であることを思い返す必要があります。子どもたちの未来のためにも、古代から受け継がれてきたその意味や価値を伝承していきたいと思います。

新饗祭

来月、むかしの田んぼで一年の感謝と来年の豊穣をいのるために新嘗祭をすることにしています。私たちの行う新嘗祭は、一般的な神社のものとは異なるかもしれませんがむかしの人たちの暮らしの智慧を伝承していくためにも温故知新して楽しみたいと思っています。

そもそもこの新嘗祭とは、古代より天皇が新穀を天神地祇に供えみずからもそれを食する祭儀とされています。この新嘗祭の語源は「新饗(にいあえ)」と考えられているそうです。これは新穀を捧げて饗応するという意味になっています。

通常の神嘗祭は、供物を捧げることですが新嘗祭は天皇がそれを一緒に食べるという神事になっているといいます。地域によっては、この新嘗祭までは新米を食べないという地域もいまだに存在しているといいます。私たちにとっても今年の田んぼで収穫した新米を食べる特別な日です。

昨年のみのりに感謝し、翌年の五穀豊穣をいのるのは、信じ待つことを大切にした日本の生き方だろうと思います。

またこの新嘗祭の日は、戦後のGHQから明治以降は11月23日に固定されこの日を現在は「勤労感謝の日」として国民の祝日に換えられてしまいました。日本人の本来の行事の意味も、祝日の意味もよく深めればいつから誰によって行われ、一体どんな意味があるのかがわかってきます。ただ闇雲に、周囲がそうだからと意味を深めなければ本当のこともわかりません。

新嘗祭の時期は、11月23日固定になりましたが本来は旧暦の第 2の卯の日に行われていました。この日は、ちょうど冬至のころで、太陽がもっとも弱くなり再び力を取り戻す日でもあります。この日に、新米を食べることで力を蘇らせるという意味もあったように思います。

昨年は、いろいろとあり病気や怪我などをしたクルーたちもいました。そのクルーたちと一緒にむかしの田んぼで新嘗祭を行うことで実りの感謝と来年への祈り、そして新しい力を甦生させるということができるのがとても楽しみです。

引き続き、むかしからの先人の智慧に学び直しつつ子どものあこがれる生き方を伝承していきたいと思います。

和合経営

昨年、あるコンサルタントの方からティール組織みたいですねと言われたことがありました。私たちは、自分たちは伝統的な徳を基盤にした日本的な和合経営を目指し実践していると思っているのであまりその時は関心もなく深めませんでしたがどのような組織のことをいうのか少し深めてみようと思います。

このティール組織のティール(進化型組織)という言葉の提唱者は、エグゼクティブ・アドバイザーやコーチ、ファシリテーターとして世界各国で活動を行っているフレデリック・ラルー(Frederic Laloux)氏という方です。

具体的には、今までの既存の一般的な組織とは大きく異なる組織構造や慣例や文化を持つ新たな組織モデルをもった組織のことを指すそうです。例えば、階層的な上下関係や細かなルール、定期的なミーティング、売上目標や予算の設定等々、その多くの組織で当たり前にある組織構造や慣例、文化の多くを撤廃し、意思決定に関する権限や責任のほぼ全てを経営者や管理者から個々の従業員に譲渡することによって、組織や人材に革新的変化を起こすことができる《次世代型組織モデル》とされているようです。

以前、ザッポスという会社が「ホラクラシー」という考え方を提唱したときに似たようなことが書いてあったように思います。これも階級や上司・部下の関係が一切存在しない組織の管理体制のことを指しています。

「ホラクラシー」の特徴は柔軟な組織体制、長所を活かした役割分担、効率的な組織運営、主体性の強化のことをいいます。そして先ほどの「ティール」組織は、上司ー部下の関係なし、管理職ナシの組織運営。セルフマネジメントされたチーム群からなる組織、また一人一人が自我や自己の深い部分をオープンにする、そして組織の生命力に人々が力と知恵を合わ組織が変化したら、目的も進化させるとされています。

共通しているのは、人間を尊重して衆智を集める仕組みになっているということです。日本ではこれを和合と呼びます。

私は本来、日本人はこの和合によってさまざまな歴史的困難をみんなで協力して助け合って乗り越えてきました。遡れば、聖徳太子の時代にすでにこの組織は実現していたのであり、その時代の組織の人たちの和合組織の形跡は法隆寺などの大工の仕事の中に遺っているのを宮大工西岡常一棟梁がそのことを語っておられました。その頃の大工や職人は祈るように取り組み、一人ひとりが全員棟梁として大家族として睦ましく仕合せに働いていたというのです。

聖徳太子は、国家の理念を「和をもって貴しとなす」と定め和合しあって仲よく豊かに生きていくことを方針として示しました。その理念に沿って建てられた建造物は今でも日本の伝統と精神を支えているのです。

西洋から来た新しいものをすぐに最先端だと流行に飛びつく前に本来の自分たちの先人たちや先祖が築いてきた歴史を鑑み、自分たち日本人ならどのようにそれを吸収していくかとよくよく吟味していく必要性を感じます。それが菅原道真公からの和魂漢才、和魂洋才であり、私たちの言い方では和魂円満となり正統を維持していくことになるのです。

ただ世界では成熟した組織が、同様に古来目指した組織に近づいてきているというのは有難い流れです。私たちも、大和の人たちが実現したころの平和を今の時代でも実現できると思えると挑戦してみたい思いです。

引き続き、子どもたちに譲り残したい経営や生き方を社業を通して実践して伝承していきたいと思います。

 

セルフイメージ

人は他人からの期待にばかり応えようとしていると自信を失っていくものです。本来は、自分に対して自分が期待することが自信の本質であり他人から評価を気にしていては本当の自分になることはできません。

この自分が自分に期待するというのは、自分の可能性を自分自身が信じるということです。

例えば、自分の理想があったとします。その理想を、他人からどう評価されたいかということばかりを意識すれば他人から評価が気になります。他人からの評価などは、上がればいいけれど下がることもありますからそれを恐れてビクビクしていたら本当の自分が求めていることにたどり着くことはないのです。

自分の理想があるとするのなら、その理想を自分自身が信じてみる。言い換えれば自分が自分に期待することで、自分の期待に自分が応えることができるのです。これが自分自身を信じているということです。

そのためには、自分自身のセルフイメージを高める必要があります。このセルフイメージは、他人からどう思われたいたいかというものよりも自分がどうありたいか、自分がどのようになれるかというように自分自身を自分自身が信じてあげなければなりません。

先に自分の方が無理だと諦めていたり、どうせ自分はできないからと最初から挑戦もしなければ信じることができなくなるばかりです。自分が自分に期待するということは、自分自身が自分に求めていくということです。それが自分自身を変えることになり、自分が信じている自分に近づいていくということなのです。

自分ならできると信じてあげること、自分なら大丈夫と背中を押してあげること、その繰り返しが周りの人たちの自信を与えることにもなります。誰かの挑戦が誰かの勇気になるのも、自分自身への応援が誰かの応援になっていくのもまた、信じる実践が自他一体になっていくからです。

信じるということは、人の可能性を信じるということです。

未来は信じることで明るくなり、信じることで生き方は気楽になっていきます。極楽気楽の手放し運転のような人生は、信じる境地を会得した人たちが観ている世界なのかもしれません。

子どもたちのためにも、未来を信じ今を信じ、自分を信じて歩んでいきたいと思います。

みのる

人間は信じて実践していくことで、様々なことが実っていきます。この実るというのは、心がけを続けていくことで竟には形になっていくということです。

この「みのる」は、言い換えれば「いのる」ともいい、いのちを懸けて信じ続けていくことで「いのりになりそれがみのり」になるということです。

この季節は、お米をはじめ様々な野菜たちが収穫の時を得て実ります。その実りは、そのいのちを伸ばしてきたことで結ばれた実りです。これを結実ともいい、さまざまなご縁の中でお互いに活かしあい和合しあい実を結ぶことができたということです。

一つの実を結ぶためには、本当に多くのご縁が必要でその一つ一つに対して丹誠を籠めて取り組むことで心が結ばれて実が成るのです。

この丹誠は真心のことで、丹精とも書きます。これは丹精の「丹」は赤い色を指し赤心のことをいいます。赤心とは赤ちゃんの心、つまり丹も精も嘘偽りのない純粋な真心のことです。

丹誠を籠めて労を惜しまずに実践し続けることを精進ともいいます。

人間は何を信じて生きていくか、何を信じて行じていくか、それが生きる修行であり結実する人生の姿のようにも思います。どんな状況下であっても、どんな環境下であったとしても、それでも丹誠を籠めて生きていくという心がけこそが実りになるということでしょう。

どんなに少なくどんなに貧弱な実であったとしても、その実からつながった種によって前進し続けることができます。思い通りの結果にならなかったにせよ、その種は次の未来への希望となります。

希望こそが結実の姿であり、希望を結ぶことで私たちは今につながっているのです。希望の光は、いのちの輝きであり、いのちの輝きはみのりによって燦然と道を照らします。

希望を子どもたちに譲っていくためにも自分の信じた道を自分の信じたやり方で貫徹し、道を切り拓いていきたいと思います。

正面突破とは

いろいろな問題が増えてくると、その問題を避けたいと無意識に心が感じるものです。すると、どこかいい方法がないかと方法論ばかりを探して少し試したらこれではないと避けているうちに八方ふさがりになってくるものです。

これは自分が現実逃避をしている証拠であり、目の前の困難を乗り越えるために自分にとって不都合なことが多いために何かもっともよい方法がないかと探しているということでもあります。

しかし実際に物事を直視すると、現実には正面突破しかないこともあります。つまりは活路というものは、逃げないと覚悟を決めてなければ活かす道も出てこないということです。

この正面突破というものは、時間がかかっても本気で取り組むという覚悟に似ています。自分が苦手だと思っていたり、自分に向いていないと思っていたり、自分ではできないと決めつけていたり、過去の様々な失敗や苦手意識からどうしても脇道や裏道ばかりを通ろうとしてしまうものです。しかしその道しかないと現実を直視するとき、人は活路が拓けるように思います。

言い換えるのなら、「改善」できるということです。

改善を続けていくことは本当に根気がいることですし忍耐がいるものです。しかし同時に、改善を続けていくことは成長を続けていくであり、学び続けていくことです。改善がないというのは学びがないといっても過言ではありません。

だからこそ学び続けていくことで変化し、変化し続けることで今を刷新して自分の視座をさらに高めていくことができます。人は時として、背中を押されることでしか動けないことがあります。その一つは、応援であったり、その一つは、危機感であったり、その一つは、誰かのためにという思いであったり、それぞれです。

しかしそのどれかがあるのなら、人は成長を已まず変化を創造し続けるリーダーになっていきます。リーダーの潔さにはこの覚悟が備わっているのです。

孟子に「天のまさに大任をこの人に降くださんとするや、必ずまずその心志を苦しめ、その筋骨を労し、その体膚を餓えしめ、その身を空乏くうぼうにし、行いにはその為すところを仏乱す」(『孟子』)とあります。

非常に困難な時、精神的に苦しいときこそ、死中に活を見出すチャンスであり、その時こそ「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」ということでしょう。自分自身に執着せずに、正面突破する覚悟をもって改善に向き合っていきたいと思います。

自己発奮と自己受容

向上心というのは成長にとっては必要なものです。人はもっともっとと自分をより高みへと運ぼうとして努力をすることで新たな技術や才能を開花して実力をつけていくものです。私も向上心が高く、なんでもやってみたいという好奇心と、やるからにはある高みまで到達してみたいという向上心があります。

しかし時として、それが欲望になってしまえば足元をすくわれて転がってしまうことがあります。言い換えれば、足るを知らずにできないことにまで手を出せばそのことによってかえって無理なことばかりを選択してしまうからです。

そういう時は一つ一つを丁寧に、分を弁えていくことで謙虚さに気づき今の実力に相応しい努力に換えていくことができます。だからといって向上心がなければうまくいくということではなく、向上心と謙虚さが共存している状態でなければ物事を正しく進めていくことができないのです。

そのためにはその目的はそもそも何のためにやるのかということを忘れず、目的に対して自我の執着をしないということを実現させていく必要があります。目的や初心、理念が実現するのならそれ以外はこだわらない、柔軟に融通無碍に対応していくという姿勢がいるのです。

自然体や素直さというのは、自分自身への囚われが少ない状態のことをいいます。そのためにはあるがままの自分を受け容れ、自分の弱さもまた認める必要があります。向上心は、理想に対しての自己発奮ですが謙虚さは自分の甘さや弱さ、現実を受け容れる自己受容が必要になるのです。

本気ならなんでもできると教えられてきましたが、本気ならなんでも受け容れることができるとは教わってはこないものです。覚悟を決めるというのは、引き受ける、受け止める、受け容れるといった丸ごと受容の境地を得ているということでしょう。

今を大切にして自分自身と正対して、自己発奮と自己受容に取り組んでいきたいと思います。

 

天命と不惑

自分には一体どのような天命があるのか、天に問い続けて今を全身全霊で生きることで人は命を通して天を知ります。

命を盡すということは、今のような時代は並大抵ではなくあらゆる刷り込みや比較競争や差別の中で自己を確立していかなければなりません。そのためには周りの雑音や自分の中にある雑念と正対する必要が出てきます。

論語では四十にして惑わずとありますが、天命に惑わなくなったというほどに真心の日々を孔子は天に問いながら道を歩んでいたのかもしれません。

真心を盡すためには、自分という我欲よりも天は自分にどうしてほしいと思っているか、そしてこれが会社であれば会社はどうしてほしいと思っているか、そして家ならば家がどうしてほしいと思っているかと、無私の境地で自分自身の天与の才を存分に発揮していく必要があります。

自分にしか与えられていない本物の才は、無私の時、忘己利他のときにこそ発心され発揮されていきます。自分はこうではないと不満ばかり並べたり、自分のことばかりを苦しみ思い煩ったり、思い通りにいかないことに不平を並べていては天命とは遠ざかる生き方をするのです。

全体快適とは、自分を含めてみんなが楽しく豊かになるために自分を活かしていくという道です。自分も楽しみ、みんなも楽しむ、そのためには、みんなで平和のために、世の中のために、そして子孫のためにと協力して和合していく必要があります。

天と命とは常に一体であり、その一体感を感じるとき、つまり至誠真心が天に通じているときにこそ人は天命に惑わなくなるのかもしれません。

自分の人生を生き切ることは、その評価を天にお任せするということです。いつまでも自分は自分はと自分に悩んでいては不惑とは程遠い心境です。

子ども第一義の理念を掲げている以上、余計なことを惑わずに真摯に今に至誠を盡して精進していきたいと思います。

過去帳の今

昨日、先祖代々の菩提寺にお伺いし過去帳を拝見する機会がありました。現在では、個人情報保護の観点から過去帳を他人に見せることが禁じられています。一部には戒名から差別的なことを調査することもあったりしてほとんど見る機会がありません。

そもそもこの過去帳とは、寺院で檀家・信徒の死者の俗名・法名・死亡年月日などを記しておく帳簿のことです。今回拝見した過去帳は、鎌倉時代から残っていて古い和紙に墨で書かれた字は今でもはっきりと残っていました。

現在のマジックペンや筆ペンなどで書くと、あっという間に字が消えてダメになってしまうそうです。和紙も普通の紙では数十年もつこともありません。いくらパソコンで記録しても、OSや機器が変わってしまえば開くこともできません。

そう考えてみると、古今から和紙と硯で墨をつくり書いた字が何百年ももつということが歴史からも証明されているのです。ご先祖様の知恵は偉大だと感じさせてもらう機会になりました。

また、名前も名字が出てくるのは明治以降でそれまでは名前しか出てきません。しかしよく拝見していると、何歳で亡くなったかというところをみればまだ子どものころであったり、働き盛りであったり、大往生であったりと、それにたくさん子孫が分かれたり、何度も結婚していたりと、いろいろとその人の人生が観えてきます。

出てくるのは享年の数字だけですが、 その人はどのような人生だったのだろうか、そして子孫がそれを見ているのをどう感じるだろうかとも思いを馳せるのです。私もまたいつかは寿命が尽きて過去帳の中に書かれます。そして新たな人が現在を生きて、私が過去になっていくのです。

そう考えると、何をするかではなく何のために生きるのか。死を思うのです。生きていると死ぬことが遠くにあるものですが、過去帳を拝見したり過去に遡ったりすることは今を強く感じさせるものかもしれません。

今を大切に、今を愛して歩んでいきたいと思います。

傳灯の巡礼

私の故郷は小さな町ですが、四国のお遍路さんの道のように八十八か所巡礼を行っていた形跡が残っています。これは明治のころに、村の方々が協力して各地域にお地蔵様を設置し、御大師様を祀り巡礼を続けていたものです。

今では、そのお地蔵様もどこにいったのかわからないほどで全部ではありませんがところどころで子孫の方か、自治会によって守られています。一部はかなり荒廃していて、誰も見ておらずどこに行ったのかわからないものもあるそうです。

巡礼するための導師が、だいぶ前に他の町へ引っ越したのを最後に春と秋に行われていた恒例の巡礼もなくなったそうです。当時は、巡礼のお世話をする方々もそのお地蔵さんの近くにおられお遍路さんを見守ってくださっていたようです。

この原点になっているのは、四国八十八か所巡礼です。これは今から1200年前に弘法大師空海が42歳の時に人々の災難を除くために四国八十八ヶ所霊場を開創されたことが発祥です。このお遍路は約1400kmの行程をお大師様の足跡を辿りながら身心を清め煩悩を滅して生きる喜びと感謝を体感する祈りの旅だと伝わっています。いろいろな説がありますが、空海が自身の厄払いのためにはじめたというものもあれば、弟子の僧侶たちが空海を慕い遺跡を巡拝したためというものあれば、山伏などの聖がもともと修行として巡礼していたなど言い伝えとして残っています。

この八十八という数字は、人間には全部で八十八の煩悩があるといわれ四国霊場を八十八ヶ所巡ることによって煩悩が消え心願成就するということです。この巡礼者のことをお遍路さんといい、むかしは接待宿があったりして托鉢だけで四国を一巡できるほどだったといいます。

巡礼する人と巡礼者を見守る人々の間で、信仰は澄まされていたのを感じます。その後の霊場は四国だけではなく、全国各地に広がっています。私の小さな町にも、八十八体のお地蔵様が祀られ南大師遍照金剛と称された白い袈裟と金剛杖を持った方がが年に2回ほど子どもたちと一緒に町のなかを手を合わせて拝みながら巡礼していたのかと思いを馳せると懐かしい気持ちになります。

日本人は、古来より自然とともに祈り、人々の幸せを願い拝み感謝で道を歩んできました。現代では、あまり信仰は生き方ではなく一つの宗教観もしくは職業観のようになってしまっていますが本来は人間としてどう生きるかという生きる道です。

今回、改めてお地蔵様の建屋を建て替えるという任務をいただきこの時の空海と同じ年になった私も使命を新たに確認しています。子どもたちのためにも、大切な傳燈が途切れないように真摯に今にできることを感謝でやり切っていきたいと思います。