かけがえのないもの

私たちが参拝にいく神社仏閣もしくは、観光にいく遺跡や遺構などを拝見できるのはそこにお世話をしてくださっている方々がおられるからです。当たり前のことすぎて気づかないものですが、守ってくださっている方々が守ってくれる存在を守り続けているのです。

これは親子においても同じです。子どもが元氣でいるのは、子どもの陰で見守ってくれる存在があり、それを大きくしていけばご先祖様がおられ、また支えてくださった縁者の方々がおられ、地域があり、国があり、世界があり宇宙があるということ。

自分ひとりで生きているわけではないのだから、陰ながら常に助けてくださっている存在があって私たちは日々に生きて暮らしていくことができるのです。

目立たない存在、陰ながらの存在、しかしそのかけがえのない存在にどれだけ気づいているかということが真実を見極めるには必要だと思います。

今の時代は、唯物主義論的で物質文明に偏っていますから派手に見た目の結果を出している人や、肩書や地位や名誉、富を多く持つ人の方が価値があるように信じられていたりします。

しかしその陰のさらに奥の方に、もっと偉大な陰徳があるという事実。これを知っているのなら、結果よりも大切にしなければならない存在を感じ直すように思います。

謙虚さというものは、これらの御蔭様を観る力の一つであり、御蔭様の存在が感じられるのならいのちを粗末にすることもないし、心が枯渇することもありません。しかし現代は、評価を中心に誰かの目線を常に浴びて常識という刷り込みによって個性を蔑ろにされますからどうしても御蔭様を感じにくくなっているようにも思います。

陰ながらの存在のことを大切にするという実践は、身の回りの道具たちや日々に当たり前になっている存在を見つめ直し丁寧に手入れをするということのように思います。

親しき中にも礼儀ありというのもまた、親しくなるからこそお互いに思いやり手入れをしていこうという意味もあるように思います。コミュニケーションもまた、お互いに感謝の言葉を交わし、謙虚に御蔭さまの恩徳をお互いに認め合うことのようにも思います。

自分が支えていたようで支えられていたのは自分、自分が見守っていたようで見守られていたのは自分、自他一体というのは自分が相手そのもの、相手は自分そのものといった陰徳の御蔭さまの世界です。

引き続き子どもたちの今と未来のために、生き方を見つめ丁寧に改善していきたいと思います。