一流と陰徳

日本の格言の中の一つに「三流は金を遺す。二流は事業を遺す。一流は人を遺す」という言葉があります。他にも「金を残すは「下」、事業を残すは「中」、人を残すは「上」」という言葉もあります。

同じ意味ですが、この「一流や上」とはその道を究めた人物ということです。道を究めた人が流派を立ち上げるのもまた、その道の基本を徹底して学び達人の域にまで到達した人こそ一流とも言えます。

その一流は、同じように道を歩み自らを高め精進していくような人物を薫風してはぐくんでいきます。つまりはその生き方や生き様が、周囲の人物やあとから伸びてくる者たちの指標になっていくのです。

何を残すかと考えるとき、もっとも子孫たちへ残しておきたいものは何かと考えます。山岡鉄舟は金を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも守らず。書を積んでもって子孫に遺す。子孫いまだ必ずしも読まず。陰徳を冥々の中に積むにしかず。もって子孫長久の計となす。』と言います。

お金は事業は子孫や周囲の人たちは必ずしもそれを継承することはないし、それがいつまでも継続することもない。では何を残すか、それは陰徳を粛々と積むことでその遺徳遺恵が代々に受け継がれ永続的に繁栄と発展をするのだということです。

この陰徳というものは、人知れずして善い行いを積み重ねていくことです。つまりは天を相手に天に恥じない人格を磨き、世のため人のためになることを誰も見ていないところで実行していくということです。

中国の易経に「積善の家には必ず余慶あり」という言葉があります。善行を積み重ねてきた家には必ず子孫に歓びが起こるということです。因果律からもこれは当然のことと言えるでしょう。

人間はとても長い目で観ると、善いことを積み重ねること以上に効果のある行為はありません。短期的にみると自分に損と思えることでも、長期的にみて子孫のためだと思えば価値のある行いはたくさんあるのです。

子どもたちのための仕事というものは、かくありたいものです。 引き続き、周囲になかなか理解されなくとも自分の信念に従って同行してくれる志の友たちと伴に道を極めつくしていきたいと思います。