社會の抑圧が強い場所や環境では人はその人に与えられた役を演じるようになります。自分らしくいることよりも、如何にその立場の人であろうとするのです。立場を守れば自分を守れると信じているから本心を隠して立場を優先する生き方を選びます。
この抑圧とは、行動や自由を抑え込まれることをいい自分の言いたいことも我慢し、やりたいこともできず、牢屋の中に入れられるような感覚を言います。みんなと同じでないといけないと個性を抑え込まれ、そうやって支配者が望んだ姿になれば優等生だ優秀だと評価されていれば役を演じることがいいこととなり、その役を演じているうちに本当の自分が一体どのようなものだったのかも思い出すことができなくなるのです。
本心を隠してというよりも、本心が何かすらもうわからなくなったりします。自分が本当はどうしたいのか、それは自分の信念に従うということです。自分の信じることはこうだから、自分は信念ままに生きるとできるのならその人は役を演じるのをやめることができます。
しかし信念を諦めてでも役を演じていたら、抑圧された自分がずっと我慢をしなければならずいつの日か無理がたたりいつの日か役を演じ切ることができなくなるのかもしれません。そうやって頑張ってみんなで役を演じ続けていたら、みんな本心が出せなくなりみんな自分を信じることができなくなります。つまり抑圧から自信がなくなってしまうのです。それが現代の抑圧社會の温床になっているのです。
自信とは、常に自分の信じる道に従って行動していく中で醸成されます。他人の評価ではなく、自分の信じたことをやり切る中で自分自身の本心と向き合い、本音を隠さなくてよくなります。本音と建て前を使い分け、いつまでも本心を隠して役を演じるていては自分自身が信じられなくなります。本来は当たり前のことができなくなる環境の中では、人は簡単に本心をさらけ出すことができません。役を演じるルールは絶対的であり、みんな本心を隠しあっていますから何を信じていいのかもわからなくなるのです。自分が演じみんなも演じるからみんな本心が分からなくなり孤独になっていくのです。誰も信用できず孤独になり精神が疲れていくのは演じるのが疲れた証拠なのです。
みんなが自信をもった安信社會を築くためには一人ひとりが日々に初心に帰り自分は何を信じて生きていくのか、そして信じたことに誠実に生きていこうと、勇気を出して自分の信じるものを優先していくことかもしれません。それは誰かに敵対することではなく、感情をぶつけることでもなく、自分は一体何を信じて生きていくかと自分の人生で実現したい自分自身の「心の本」(初心)と対話していくということです。
心は何をしたいのか、そして心は何を信じたいのかと、心を探していくのです。心の中にある自分の心の本は常に声を発しています。その声に耳を傾けてあげる、その声に共感し受容していく。子どもが泣きながら聴いてほしいと喋っている声に、寄り添い耳を傾けて聴いてあげるように心を抱きしめながら受け容れてあげることが心との対話なのです。
役を演じ続けて心を置き去りにしていかないように、そして演じているうちに心が迷子になり自分を見失うことがないように、日々に自分の心と対話をしながら信念の実践を一つ一つ積み重ねていけば心の不安もまた消えていくように思います。
日々の実践とは、心の対話であり自分の信念を磨く砥石です。
引き続き、弱い自分を認め受け容れながら弱さの中にある真の強さとやさしさに出会えるように諦めずに丹精を籠めて歩んでいきたいと思います。